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羯南没後110年に向けて

 来年2017年は、羯南の没後110年の年にあたる

 2007年の没後100年には、地元弘前市で、記念の展覧会も開かれ、その業績が偲ばれた。
更に10年が経過して、日本のアジア地域、また世界の中で、おかれている状況は、ますます複雑化し、改めて、もし羯南が今も生きていたら、何を訴え、何を為したであろうかと、問い直される機運が高まっているようにも思える。

 先月、弘前で開かれた陸羯南会の総会に出席させて頂いたが、今、まさに青森から中国の天津への直行便就航の議論がなされているという。
かって、鉄道が青森まで延びるときに、その効用を羯南が説いたことがあったが、地元から中国へ直接行けるようになるかもしれない事態を見た時、彼が何を訴えるか
 
 奇しくも、1901年に羯南が、近衛篤麿の誘いで中国を訪問をした際に、最初にその一歩をしるしたのは天津であった。今や、日本のほとんどの地方空港に中国各地からフライトが実現するようになった事実は、単なる<爆買い>招聘のみならず、中国からの目線では、そこに別の企図があるものと、考えたほうが良いのではとも思えてくる。

 その背景にあるものは何なのか
そして、また多くの観光船が、日本の港に、中国の観光客を運んできている。今は、観光客であるが、それを運びながら、今後、何をしようとしているのか

 没後110年に向けて、彼が育てた人材の振り返りとともに、彼が見た国際環境と現在の国際環境を比較しつつ、彼の視点の現代における意義を改めて検討することは、深い意義を有しているものと思量される。

たかぎ

 
# by kuga-katsunan | 2016-03-12 05:25 | トピックス

「海難1890」と山田寅次郎

 2015年12月から全国の映画館で「海難1890」が上映されている。この映画は日本・トルコ合作で、日本側の主演は内野聖陽、忽那汐里である。必ず複数回にわたって涙が出ると思われるので、最近泣いていないあ~とお思いの方には是非お勧めしたい。

映画の内容は、やまださんが2009年8月18日に書いた「100年忘れぬ恩義」、2010年2月9日「トルコ軍艦調査」に詳しいのでここでは割愛する。

ウイキペディアによれば、山田寅次郎(山田宗有とも、1866-1957)は、茶人で実業家。1892年にオスマン帝国軍艦・エルトゥールル号遭難事件の義援金を届けにトルコに渡って以来、日本とトルコとの交流に深くかかわった人物として知られている。

友人だった幸田露伴が、山田寅次郎のことを短編「書生商人」としてまとめている。

1890年にエルトゥールル号の遭難事件が日本中で大きな衝撃を呼ぶと、山田寅次郎は親交のあった日本新聞社の陸羯南に働きかけ、募金運動を起こした。日本中で演説会をして回り2年間で5,000円(現在の金額で1億円)の寄付を集めたという。

山田寅次郎は当時のほぼ唯一の長期滞在者として、イスタンブールを訪問する日本人に様々な便宜を供用した。山田寅次郎に接遇を受けた主な日本人には、徳富蘇峰、深井英五、田健治郎、松永武吉、朝比奈知泉、望月小太郎、池辺吉太郎、徳川頼倫、鎌田栄吉、寺内正毅、橋本圭三郎、中村直吉、伊東忠太などがいるという。

しぶさわ
# by kuga-katsunan | 2015-12-29 16:27 | トピックス

<羯南と古島一雄>(92) 私立大学評判記(その81)

 「私立大学評判記(二十六)慶応義塾の学風(二)」も今回で最後となる。
 古島一雄は最終に向けて、このように語る。

 「再び下りて犬養、伊藤、高島、村井時代を見よ。福澤氏は万来舎を塾中に設けて生徒と共に其長広舌を揮うて藩閥政府を攻撃し、犬養等は猶興社を塾中に建てて政治を談論し、尾崎等は幼年寮に在て新聞を発行す。内には演説会堂を設けて公然政治を論議し、外には交詢社を建てて大政党の基礎を作る。」

 犬養とは解説するまでもなく、犬養毅のことであり、ジャーナリストから政治家となり、総理大臣にまで上り詰めるも、五・一五事件で凶弾に倒れた。伊藤は伊藤欽亮のことであり、陸羯南研究にとっては因縁ともいえる人物である。彼は時事新報編集長を経て、日本銀行へ行き、その後、周知のように羯南を継いで、新聞「日本」の社長となった。しかし三宅雪嶺等の有力者が離反し、倒産に至らしめることになる。

 高島は高島小金治のこと。大倉喜八郎のもとで、実業家として活躍した。村井は村井保固のことであり、福澤諭吉の推薦で森村組へ入社した。後に森村市左衛門らと日本陶器(現在ノリタケカンパニーリミテド)の創設にかかわるなど、実業家として活躍、社会事業にも尽くした。

 その当時、慶応義塾では政治活動が最高潮に達していたのである。また、ここから万来舎、猶興社、演説会堂、交詢社の由来がわかる。
そして最後に、古島は次のようにまとめている。

 「慶應義塾は此に至りて全く薩長藩閥に対する政治学校の面目を備え、福澤も亦た一面在野の後藤伯と結び、一面私かに大隈、伊藤、井上に謀り以って其大野心を試みんと欲せしなり。此時に方て彼の教育主義豈に独り常識のみならんや。況んや町人主義をや。況んや又た拝金の思想をや。彼は富に覇気満々たる政治上の大山師たりしなり。」

 後藤は後藤象二郎のことであり、大隈、伊藤、井上はそれぞれ大隈重信、伊藤博文、井上馨であり、説明の必要はないであろう。

 慶応義塾はこの時期、実質的に政治学校であり、福澤も政治への思い入れが強かった。古島はこの事実を見れば、慶応義塾が世間の言っているような常識主義、町人主義、拝金主義にはあたらないというのである。

 いしがみ
# by kuga-katsunan | 2015-12-26 10:15 | その他

弘前市立博物館「陸羯南とその時代」展 開幕

 羯南の故郷、弘前市立博物館で、

「陸羯南とその時代」展が開幕した。

 以下、同博物館のHPから

「「名山(めいざん)名士(めいし)を出(い)だす」の名山詩で知られる郷土の先人 陸羯南 の展覧会を、おとなだけでなく、小中学生にぜひ見てほしい、と思います。

 この展覧会は、東奥日報夕刊に昨年の元日号から1年3カ月にわたって掲載された「道理と真情の人 陸羯南」に基づくもので、平成27年の6月から8月にかけて、横浜市の日本新聞博物館で開催された「孤高の新聞『日本』―羯南、子規らの格闘」に展示された資料の一部を借用し、弘前の資料を加えて展示するものです。

 陸羯南は明治22年に新聞「日本」を創刊し、特定の勢力の宣伝機関紙ではない「独立新聞」の理念を掲げ、頻繁な発行停止処分にも屈することなく、ときの政府を厳しく批判し、日本の針路を示し続けた、明治を代表する言論人であります。

 当館独自の展示となる「明治の弘前」を紹介する部分は、たとえば、明治26年の弘前の街の様子がイラスト入りで描かれた絵図があります。商店などの紹介が多いのですが、120枚の図で店や各施設を拡大して展示します。

なお、展覧会全体の内容としましては、小学校高学年以上が対象となるかと思います。弘前市中学校文化連盟のご協力のもと、中学校の壁新聞の展示もありますよ。自分たちで作った壁新聞やほかの学校の壁新聞をチェックしに来てね!」

会期 12月19日(土曜日)~平成28年2月28日(日曜日)

◇休館日 各月の第3月曜日……12月21日(月曜日)、平成28年1月18日(月曜日)、2月15日(月曜日)
◇観覧料 一般 280(210)円、高校・大学生 140(100)円、小・中学生 80(40)円
◇開館時間 午前9時30分~午後4時30分

http://www.city.hirosaki.aomori.jp/hakubutsukan/

 外地にいて、すぐに見に行けないのが残念ですが、読者の皆さん、年末年始のお忙しいところでしょうが、是非ご覧頂ければ、と思います。

 記念講演会は、以下となります。

・日時  平成28年2月13日(土)13時30分~15時30分
・会場  弘前市立博物館ホール
・聴講料 無料 ※ただし観覧料が必要です。
・講師  舘田勝弘氏(陸羯南会会長)、
・    松田修一氏(「道理と真情の新聞人陸羯南」著者、東奥日報社編集委員室室長)

 
 
# by kuga-katsunan | 2015-12-21 06:48 | ニュース

<羯南と古島一雄>(91) 私立大学評判記(その80)

 今回で「私立大学評判記(二十六)慶応義塾の学風(二)」も3回目となる。
 前回から時代が下り、町人主義批判への反論を、古島一雄は次のように加える。

 「更に下って牛場時代となり、鎌田、谷井時代となり、豊川時代となり、柏田時代となるや。塾規は漸く整頓し、福澤氏亦矢野等の官途に就くを許すに至り。人生官吏となるの必ずしも罪悪にあらざるを知りと雖も、民間政論の勃興と共に藩閥の官吏たるは隆参の意味に於いて解せられ。」

 牛場とは牛場卓蔵のことであり、時事新報の記者、山陽鉄道総支配人となり、実業家、政治家として活躍した。また、鎌田は鎌田栄吉であり、第4代の塾長である。後に政治家となって文部大臣に就任したこともあった。谷井は谷井保のことだと思われる。紀州藩出身で、鎌田と共に慶応義塾に入学したという記述が見られたが、それ以上のことはよくわからなかった。

 豊川とは、豊川良平のことであり、第百十九銀行(現在の三菱東京UFJ銀行の前身)の頭取、三菱合資会社の支配人を歴任し、実業家、後に政治家として大いに活躍した。柏田は柏田盛文であり、東洋自由新聞の創刊にかかわり、後、政治家、さらに第四高等学校校長となった。
 
 この頃には、福澤諭吉も塾生が官吏の道へ進むことを許していた。しかし、自由民権論が活発になるにしたがって、やはり官吏への就職は、「降参」といわれるほど慶応義塾内では嫌われた。
そして、古島は以下のようにつなげる。

 「ミル、スペンサー、ベンザム、ボックル、ギゾーの著書に養われたる彼等は、講堂に出ては民権の大義を説き、稲葉山の老木に攀じては自由の真理を論じ、慶応義塾は純然たる政治学校として其面目を発揮したるにあらずや。」

 もちろんミル、スペンサー、ベンザムは現在でも哲学者としてよく知られている。また、ボックルは『イギリス文明史』の歴史学者、ギゾーは歴史学者、政治家として当時活躍していた。こうした西欧理論を学んだ学生は、それを活かして大いに政論を戦わせていた。さながら慶応義塾は政治学校であったという

 一方、次のような福澤のエピソードもあった。

 「当時美澤某なるものあり入塾して始めて福澤氏に見るや、氏突如として其族籍を問う。某答ふるに農家の産なるを以ってす。氏手を激して曰く休めよ休めよ帰ってドブロクを造るに如かずと。顧みて傍人に言って曰く『百姓の子は学問しても役に立たぬ理』と。当時福澤は米人某氏の遺伝論を信ぜしなり。此時に当たって彼の塾中果たして一人の町人主義ありし乎。」

 この逸話のように福澤には、この当時、遺伝子論の影響で、農民に対して偏見があった。
 したがって、以上のようなことを鑑みると、古島は慶応義塾が町人主義にはあたらないというのである。

 いしがみ
# by kuga-katsunan | 2015-11-21 09:01 | その他




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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