上京したささはら君に誘われて青木先生のお墓にお参りした。
ひどい雨だったが、二人とも最近の様子、塾生諸氏の活躍をひとしきりご報告し、なぜか非常にすっきりした気持ちになった。
せっかく学生時代に書を専攻したささはら君なので、飛行機までの時間を書道博物館に案内した。
書道博物館は根岸の陸羯南、正岡子規の家の向いにある。
ここは、新聞日本、小日本の挿絵画家などで活躍した中村不折の旧宅なのである。
不折は、明治27年浅井忠の紹介で子規と出会う。
「その時の有様をいへば、不折氏は先づ四、五枚の下画を示されたるを見るに水戸弘道館等の画にて二寸位の小さき物なれど筆力勁健にして凡ならざる所あり。
而してその人を見れば目つぶらにして顔おそろしく服装は普通の書生の着たるものより遙かにきたなき者を着たり、
この顔この衣にしてこの筆力ある所を思へばこの人は尋常の画家にあらずとまでは即座に判断し、その画をもらひ受けて新聞に載せる事とせり。
これ君が新聞にあらはれたる始なり。」
正岡子規「墨汁一滴」
子規27歳、不折29歳、二人の若き天才の出会いであった。
たかぎ