新聞「日本」第2号については、1期のたけざわ先輩と弘前へお持ちした。
東奥日報さんが下記の様に報じて頂いている。
「これまで現物が発見されず、幻とされてきた、一八八九(明治二十二)年二月十二日発行の新聞「日本」第二号を、東京の陸羯南研究会が入手した。研究会は一日、弘前市を訪れ、「『日本』の主筆兼社主である陸羯南の古里・弘前市で、有効に活用してもらえれば」と、市立郷土文学館に持参した。
新聞「日本」は、大日本帝国憲法が発布された日と同じ、一八八九年二月十一日に創刊した。
創刊号は複数の図書館が所蔵しているが、二、三号だけは見つかっていなかった。復刻版でも欠号扱いで、社説のみが陸羯南全集に収録されている。
その幻の第二号を所有していたのは、東京都の天田晴彦さん。天田さんは、羯南と親交が深く、「日本」にも出稿していた禅僧・歌人の天田愚庵の兄の子孫に当たる。
仕事を持ちながら個々の切り口で研究に取り組んでいる陸羯南研究会のメンバーは十月、天田さんを訪ねて愚庵と羯南のかかわりを調査。後日、天田さんから「研究に役立ててほしい」と寄贈された資料の中に、第二号が含まれていた。
第二号は四面立てで、憲法発布当日の各地方の祝宴の模様を掲載してあり、青森では八十歳以上に祝い金が配られたことも紹介。当時既に、全国各地に情報のネットワークを築いていたことをうかがわせる。」
(東奥日報 2007年12月2日
http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/kugakatsunan/index.html)