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青木先生からの電話  ブログ開設一周年

 御蔭様でこのブログも開設から一年になり、ここで一度初心に戻って、私事にわたる部分もありますが、このブログの入口に立ち返ってみたい。

今考えてみると、やはりあの青木先生からの電話が始まりだったように思う。

 香港支店の5年の勤務から帰ってきて、国内の勤務にもだいぶ慣れたころ、中学生以来、長年の愛読作家の一人であった司馬遼太郎が亡くなった。
 たしか日曜の夜にテレビを見ていると速報のテロップが流れた。

  <作家司馬遼太郎氏 逝去>

 そのテロップを見て、不謹慎にも、私はあわてて近くの古本屋に駆け込み、未読の司馬作品を何冊か買い込んだ覚えがる。恥ずかしながらその時点では、青木先生と司馬さんとの縁がこんなにも深いものとは知らなかった。

 しばらくは、私も未読の司馬作品を読んだり、初期の作品をすずき君に頼んで探してもらったりと、司馬さんへの追想にひたっていた。
 そんなある日の午後、職場に青木先生から電話がかかってきた。何事かと思ってでた私に先生がいつもの調子で

 「たかぎ君、子規全集を探してくれないかな。
  すずき君に聞いたんだが、もうない、というんだ。」

 どうも、それが羯南への道の入口だったようだ。

 のちのち先生から直接お伺いしたり、<司馬遼太郎からの手紙>(朝日新聞社、この青木先生への取材も同窓のひのさんが手がけていた、というのは後から知った。)を読んだりすると、どうも先生が新聞社から大学の先生になるにあたって、新聞の先輩である司馬さんは、羯南の研究を勧めていたようだ。(このあたりの経緯は、先生の直系の愛弟子である、かざま君やいぬい君は、もっと詳しいと思うが)

 <司馬遼太郎からの手紙>には、司馬さんから青木先生への手紙がいくつか掲載されているが

 <たれか、講師をよんできて、
     <陸羯南と新聞日本の研究>
というのをやりませんか。
数人が、講師(臨時の)をやって、共同研究式にやって(多分に啓蒙的でも可)、大学の出版局から、軽装の本を出したらどうでしょう。
<陸羯南と新聞日本の人々>
でもいいです。
もしおやりになるなら、小生、学問的なことは申せませんが、子規を中心とした<日本>の人格群について、大風に灰をまいたような話をしてもいいです。露はらいの役です。>
(1986年12月28日 司馬遼太郎から青木彰への手紙)

と言われている。

 この手紙を読んで、青木先生も研究を始める気になり、知り合いの研究者の皆さんや、
はらだ君たち新聞の現場にいる人たちにも声をかけて準備されていた、という。

が、先生が一時期病気になられたり、協力する出版社などをめぐって頓挫してしまったようだ。

 そこへ、司馬さんの訃報である。

青木先生は改めて、<司馬さんからの宿題>、陸羯南の研究を準備され、その入口として、司馬さんが編集された<子規全集>から入ろうとされたのである。

 青木先生からの電話で、神保町、早稲田を歩いて、子規全集を探した。当時は今のようにネット古書店が発達していなかったので、居ながらにして日本中の古書店の商品の比較ができるようなことはなかったので、足で探すしかなかった。

 それから、次は、<日本の名著>の附録にあった読書案内の書籍を探し、そして明治文学全集の資料へと順番に広がっていった。

 とにかく、最終的には

<羯南文録>

<羯南文集>

が見つからなくて往生した覚えがある。

 司馬さんが青木先生に、青木先生が私たちに、羯南とともに、伝えたかったことは何だったのか、それを更に追及しよう、と、つかもと君は言う。

 時どき、はまぐち君に貰った青木先生の留守電のMDを聞いてみる。上海から電話をしたときにも聞いた、御馴染の留守電である。

 <はい、青木です
  只今留守にしております。
  恐れ入りますがピーと鳴りましたら
  お名前と御用件をお話ください
  有難うございました>

  ああ、青木先生は留守なのだと思う。

  今日も留守なのだ。

 でも、私は、今でも、突然、青木先生から、電話がかかってくるような気がしてならない。

 このブログは、皆、今は不在の青木先生に向けての手紙のつもりである。

今度お会いする時には、少しは、司馬さんと青木先生の羯南についての会話についていけるであろうか。


たかぎ
by kuga-katsunan | 2007-11-24 07:50 | トピックス
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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