陸羯南の書簡について述べたいと思う。
まずは、右の書簡をご覧いただきたい。
陸羯南が、明治28年6月2日に高浜虚子に宛てた書簡である。
内容は、正岡子規が、日清戦争での従軍記者として、中国からの帰途、船中で喀血して、重体となり、神戸病院に緊急入院した際に、入院の世話を高浜虚子に依頼するもので、子規への思いやりと心遣いに満ちているものである。
子規子病気不宜候由、昨日之電報ニより同子母堂ヲ河東氏附添、
赴神為致候。数々之御介抱被成候事、乍蔭不尽堪感謝候。
私も一寸なりと御見舞致度存候へども、他故ありて不得其義。
何卒可然御看護願上候。・・・・・
陸羯南の書簡は、通常は、行書体で、起筆・送筆・終筆と流れるように書かれているが、この書簡については、少し違う。陸羯南の逸る気持ちが、書き出しの「子規」の文字に込められ一気呵成に書き出されている。そして、四行目の「介抱」の文字に、子規に対する気遣いの強い気持ちが込められている。
この後書簡は、子規の入院費のみならず、高浜虚子、河東碧梧桐ら付添い人の旅費・滞在費もすべて、面倒を見ることを書き綴っている。
書簡からも、陸羯南の優しい細やかな心遣いが出来る人間性が垣間見ることが出来る。
ささはら