天心こと岡倉覚三は、御存知のとおり近代日本美術のプロモーターの一人である。
たまたま今年の秋は、その活動場所であった芸大の美術館で<岡倉天心展>が開かれているので覗いてみた。
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2007/tenshin/tenshin_ja.htm
内容はその副題である<芸術教育の歩み>が示すように、教育者としての天心像が中心であったが、久し振りに天心の影響をうけた芸術家たちの作品が一堂に会した形になっており、地味ながら見応えのある展覧会となっている。
天心は、福井藩士だった父親岡倉勘右衛門が貿易商となったことから、幼児期から英語に接しており、東京開成所(のちの官立東京開成学校、現東京大学)入所し、政治学・理財学を学んだ。実はこのときの仲の良い同級生に福富孝季がいたのである。
<ある日、天心は同学の福富孝季と一緒に、牛肉屋の二階で大いに英文学を論じていたら、たまたま、その隣りに、坪内逍遥と高田早苗がやってきて、彼らも盛んに英文学について語るのをきいて、ついに一緒になって語りあったということがあった。
それが縁で、お互いの交友もはじまっている。文字通り、天心はよく食べ、よく学び、よく吸収したというべきである。>
(池田諭 燃えるアジアと日本の原点 1974年 産報)
天心の学生時代については、他の文献に譲るとして、実は天心は、福富の死を悼んで、追悼文も書いていたのである。
たかぎ