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福富臨淵(孝季)のこと

 「一老政治家の回想」(古島一雄著、中央公論社、1951年)の第2章「新聞日本の思い出」の中に、福富臨淵(孝季=たかすえ)のことがでている。該当部分を抜き書きしてみる。

「・・・福富は三十三で死んだが、谷と陸を結びつけた人で、福富と陸を結びつけたのは杉浦だ。将軍として日本新聞に出資したのは谷で、それを捉えて来たのが福富だ。

福富は六尺豊かの大男、白髪赭顔、大酒飲み、ヨーロッパから帰って学校の教授をしていたが、教場で酒を飲んでいるという変った男で、しかも非常な熱情漢であった。

そのくせ謹厳な杉浦とは仲が好い。杉浦はカンカチで芝居を見たことがない。福富は芝居好きなものだから、『君に一つ団十郎の忠臣蔵を見せてやろう、とにかく来てくれ』といって自分は一足先に出懸け、茶屋にいいつけて置いた。

杉浦は例の流儀で茶屋に行って福富に会いたいと面会を申込むと、茶屋では杉浦の様子から見て芝居を見に来たと思わない。『今幕が開いておりますから暫くお待ち下さい』ということだった。

杉浦は幕が開いているから待っていろというのが何のことかわからないが、いわれるままに待っていた。福富の方はせっかく約束しておいたのにどうして来ないと不思議に思いながら、幕が終わったから茶屋に来て見ると、杉浦が四角張って座っておる。

『君どうしたのか』『俺はさっきから待っている』『それはとんでもない行き違いだ、君に見せたい幕はもう済んでしまった』。

忠臣蔵の判官切腹の場だったか大石の城明け渡しの場だったか忘れたが、その一幕を杉浦に見せたかったらしいのだが、杉浦がかしこまって茶屋で待っている間に幕は閉じてしまった。

それっきり杉浦は一生涯芝居を見ずにしまった。杉浦と福富は開成学校時代から一緒だったのだ。

 福富は自殺したが、何の原因かわからない。当時福富は高等師範の教授であったが、造士館(鹿児島)の校長になって行くという一週間前に自殺した。

懇望されたのだろうと思うが、行くのが嫌であったのか、自殺の理由はわからない。非常な熱情漢で酒を飲んでは慷慨してワーワー泣くことがある。

谷がよくいっていた、『俺を泣かせるのは福富だ』と。『臨淵言行録』にも、陸が、世の中で誠というものを感ぜさせるのは福富だといって、

『嗚呼臨淵は至誠の人なり、才能人に優るものあるにあらず、ただ誠の一時を以て同人会社に推重せらる』 と書いている。」

しぶさわ
by kuga-katsunan | 2007-10-21 15:42
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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