羯南の盟友、三宅雪嶺の故郷、金沢支部のこなか君からのコラムです。
日本における近代ジャーナリズムの先駆者、陸羯南(くが・かつなん)生誕から今年で150年、没後100年になる。「多いというほどの研究者をその故郷に持っていない」(司馬遼太郎)とされてきたが、出身地の青森県弘前市では今月2日の命日を中心に多くの記念行事や事業が行われ関心を集めた。
羯南は、明治22年に新聞「日本」を創刊。発行停止処分を何度も受けながら屈せず活動し、「明治時代きっての偉材の一人」(同)といわれる。また、そこに集った言論人たちが活動の場を広げ、日本のジャーナリズムの基礎を築いたという意味での評価も高い。
金沢出身の三宅雪嶺もその中の一人だ。雪嶺は雑誌「日本人」などで日本人が世界にどう寄与すべきか訴え、「日本」でも論説などを執筆した。後には同紙を引き継ぎ、雑誌「日本及び日本人」を創刊している。金沢ふるさと偉人館を訪ねると横顔などが分かる。
ただ、雪嶺も「地元では研究者は多くなく、研究も十分とはいえない」(関係者)という。一因は雪嶺にまつわる「ナショナリズム」の響きゆえとも聞く。
しかし、ナショナリズムといっても当時のいわば健全なそれでもある。最近は「改めて光を当てる意義」を強調する声も強い。
折しも偉人館は今春から「日本及び日本人」執筆者ら関係者をリスト化、人脈から雪嶺を浮き彫りにする試みをスタートさせた。
3年後は雪嶺生誕からも150年。雪嶺研究に、地元ならではの一石を期待したい。
こなか