さて新聞日本における囲碁欄について触れる前にこんどは当時の囲碁界の背景と新聞について。
江戸時代、幕府に守られてきた囲碁界は維新とともに基盤を失い、家元は屋敷を返上。家禄も奉還となった。パトロンあっての家元。宗家の一人本因坊秀和は倉庫暮らししていたこともあったという。
そうした中、明治11年(1878年)郵便報知に初めて棋譜が掲載された。当時どのような棋譜が掲載されたか不明だが、家元制度崩壊の中、多分江戸時代の打碁集あたりから引っ張ってきたのではないか。
翌明治12年、村瀬秀甫が「方円社」を結成。囲碁雑誌を発行したり級位制を取り入れるなど新しい試みで普及を試みた。
これに対抗して本因坊秀栄は明治25年、「囲碁奨励会」を発足。このころになると政財界がようやく囲碁の援助に乗り出した。あらたなパトロンというわけだ。
方円社のパトロンは井上馨、後藤象二郎、岩崎弥太郎、渋沢栄一。秀栄のパトロンには大久保利通、犬養毅、頭山満らがつき、有形無形の援助を行った。
ちなみに前述の「茶話」によれば犬養は青厓とちょうど同じ力だったそうだ。つまり当時の知識人の趣味として囲碁が定着してきたことがわかる。
これに呼応するように各新聞でも競って囲碁欄が設けられ、やがて新聞碁が囲碁界をリードする時期がやってくる。
つかもと