新聞日本は、創刊当初の四面構成の時代から、最終面は広告を掲載していた。
内容的には、新刊本の広告、学校の入学案内、新薬の宣伝、はたまた他の新聞の発刊宣伝など多種多様だが、年末近くの広告が面白い。
個人が年末年始の事情を広告の形で掲載しているのである。
例えば明治25年の暮れ
<近県旅行につき歳末年始の礼を欠く 福地源一郎>
<地方へ旅行中に付き歳末年首の礼を欠く 長与専斉>
また前述した貧天地の桜田文吾は年末に引越ししたようで
<転居 神田駿河台南甲賀町八番地川井屋方 桜田文吾>
新聞日本のスポンサーの一人である広島の殿様も
<所労に付き年頭の礼を欠く 侯爵 浅野長勲>
個人情報のうるさい昨今では考えられない長閑さだが、気のきいた盗賊団であればターゲットにしたのだろうか。
その中で
<病気ノ為新年ノ礼ヲ欠ク 在熱海 柴四郎>
というのが、目をひく。
蒲柳の質であったのが知られている柴四郎、即ち当時の政治小説のベストセラー作家東海散士、は、東京電報以来新聞日本には縁の深い人物であるが、詳しくは会津同郷のやまだ君にお願いする事としたい。
この広告という、今でも新聞の主要な収入源については、やまだ君、つるどめ君、かめたに君をはじめ、プロの皆さんが大勢いらっしゃるので、共に考えていきたい。
たかぎ