不平将軍、と呼ばれる人々がいた。
明治期の軍人の中には、軍に身を捧げる大部分の人々に混じって、勤皇の志士の延長線上で政治的な発言、行動を行い、薩長を始めとする官軍を構成した人々にあっても新政府の政策に反対するが故に<不平>将軍と呼ばれた人々がいたのである。
彼等の中には自らの政治的意見を発表する手段のために、新聞の後援を行った人々もいた。新聞日本の後援者の中にはこうした<不平将軍>連もいたのである。
つとに有名なのが、長州の三浦梧楼、土佐の谷干城、芸洲の殿様、浅野長勲の三人である。
<観樹将軍回想録>という本がある。観樹将軍とは、三浦梧楼のことである。
大正14年、政教社から出版されたこの本は、三浦の幼年時代の回想から始まり、戊辰戦争、その中にはあの北越戦争についての叙述もある、を経て、明治の主要な出来事に彼なりの批評を加えている。
国会図書館のホームページの中に、<近代日本人の肖像>というコーナーがある。それによれば三浦は
<藩校明倫館に学ぶ。奇兵隊へ入隊し、第2次長州征討、戊辰戦争で活躍。兵部権大丞、東京鎮台司令官、広島鎮台司令官を歴任。西南戦争時は第3旅団司令官として従軍。>
西南戦争では谷は熊本鎮台で熊本城を死守、三浦は広島鎮台司令長官として出征、延岡から薩摩に入り、城山攻めに参加した。共に硝煙の中で、自らの政治思想を先鋭化していったのだ。
たかぎ