前回、学校の存続にとって共同体性が重要であり、その共同体性を支えるためには、学風の醸成と確立がポイントであることを指摘した。そして、学風の醸成・確立にとって、寄宿舎の存在が大きな役割を果たすことにも触れた。
今回から、慶応義塾大学の「独立自尊」の学風を醸成した寄宿舎を詳しく見てみよう。これでようやく「私立大学評判記(十四)慶応義塾寄宿舎」に入る。
まず、古島一雄は次のように語る。
「慶応義塾の寄宿舎は長さ六十間を有する三棟の建物より成る。建築は和洋を折衷し設備は全く洋風に倣う。舎を大別して六寮となし一寮各各々十八室より成る。室は三名乃至四名を容るべく、寮に長たる者を寮長と云い、室に長たる者を室長と曰う。皆な学生中の選挙に成る。其寮名を命じて友愛寮、清交寮、自信寮、確守寮と云うものは例の『修身要領』より適当の文字を選びたるものにして寄宿舎を監するものは三名の舎監なり」
長さが六十間ということは約110メートルである。また、寮生数は全体で約400名となる。ちなみに、「学生生徒の在籍総数は明治30年前後が約1,000名で、33年から毎年2、300名ずつ増加し、38年には2,000名を超えている」(『慶応義塾百年史中巻(前)』)というから、寮生は、普通科や予科を含む全学生のおよそ3分の1から4分の1を占めていた。
寮長、室長は学生から選挙で選ばれ、教員や外国人教師もいたが、寮生の一人として学生委員の指揮下にあった。当時、既に学生自治が確立していたのである。また、舎監は卒業生が勤めていたようである。なお、上記記事には、4つの寮名しか出てこないが、残りの2つは自立寮、進取寮である。【続く】
いしがみ