故居があるはずの北河沿胡同をやっと見つけて、北に上がって行った。
狭い道に左右に古い家が並んでいる。
地図や百度百科という中国の調べものサイトによれば、そろそろという場所
まで来たが、それらしい建物が見当たらない。
ただ、右手の普通の家に「梁啓超書斎」という小さい看板がかかっていた。
ご丁寧に 「個人の家なので問い合わせ無用に願います」 という貼り紙も
ある。書斎が此処ならその向かいが住居かと思い、道の反対側を見ると、
これもまた小さく「四合院」のパネルがかかっていた。
中を覗いてみると、小さな部屋に別れて幾つかの家族が別れて住む、
伝統的な四合院だった。
今や、梁啓超を偲ぶのは向かいの家に掲げられた書斎の表示だけ。
彼の子供たちも、墓を作った長男の建築家をはじめ、中国の現代史に名を
残しているが、時ははや二十一世紀も十数年を過ぎて、皇帝英雄文人が
あまた輩出した北京では、順番に歴史の暗闇の中に消えて行くタイミング
なのかもしれない。
燕京の名前の由来となった、燕たちが胡同を飛び去って行った。
たかぎ