「(十五)慶応義塾大学部(一)」の後半に入る。
古島一雄は前回に紹介した門野幾之進の教育改革の失敗について、「吾人此に至りて遺憾ながら鎌田門野の衝突と云える事実を暴露せざるを得ず」と指摘する。
さらに、門野について次のような事実を語る。
「門野氏は新銭座時代の出身者にして鎌田氏等の先輩たるのみならず其の学問の該博深遠なる塾中第一と称せらる。往時、藤田茂吉、波多野承五郎、犬養毅、尾崎行雄が学生時代に於いて最も流行したりし教師に対するストライキは常に一人の門野氏に依って治せられたるを見るも、如何に氏が学問の上に尊敬を受けたるやを知るべく当時剛情者の犬養をして学問は門野に叶わぬと叫ばしめたるを見るも、氏が如何に学問を以って学生を圧迫したりしやを見るべきなり」
このように門野は「学問の上には多大の尊敬」を受けた。しかし卒業後、生徒が他の教師に対しては、「先生」と呼ぶのであるが、門野氏には、「オイ門野」と呼び捨てしたというのである。
ここで古島は、「氏が人格の上に於いて如何に待遇せられたりしを想見すべきなり」と述べ当回を終わる。そして、その詳細は次号「慶応義塾大学部(二)門野氏鎌田氏の争い」へ続くことになる。
当連載は一面のしかも一番最初にしばらくの間、掲載されている。それだけ世間の注目を集めたと思われる。古島の方も綿密な取材を行っていたことがわかる。
いしがみ