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<羯南と古島一雄>(40) 私立大学評判記(その29)

 今回は、「(十一)三田の福沢と早稲田の大隈」の後半である。
 
 前回、古島一雄は、福沢諭吉と大隈重信の類似性を批判的に取り上げた。そして、新聞『日本』の同僚とでもいっていい三宅雪嶺が、以前そのことを指摘しているとして以下のように紹介する。

 「骨格の逞ましく、相応の腕力ある所相似たり。理会早き所相似たり。貨殖に巧みなる所相似たり。徒らに金銭を貯蓄せず、能く事業に活用する所相似たり。進んで時勢に順応し、順応すると雖も屈従に甘んぜざる所相似たり。活社会に処し、活社会を動かす所相似たり。」

 さらに次のように続く。

 「学校を設立し、子弟を教育する所相似たり。新聞を使用し、意見を発表する所相似たり。多く部下を有し、其部下が不平を抱きつつ服従する所相似たり。部下の弊短よりして誤解を被る所相似たり。事に当たりて屈せず撓まず、痩我慢を分とし、痩我慢を得る処相似たり。」

 以上のように、三宅も福沢と大隈の類似性を否定的に解説する。しかし、最後に古島は、一転、彼らを評価する。

 「殊に二人者の意地強き、悪く言へば片意地なるものあり。」と始め、まず大隈について以下のように述べる。

 「(明治)二十二年、大隈伯が時の外務大臣として条約改正を断行せんとするや、国論鼎沸、内外敵を受く。烈士の一弾、霞関に爆発し事、中道にして敗れたりと雖も、其能く毅然として大勢に抗したりしは、当時吾人は、敵ながらも其意気地の壮なるに感じたりき。」

 次に福沢について、以下のエピソードを取り上げる。

 「福沢氏の嘗て演説に臨み、其プログラムに、大臣には閣下と書し、福沢氏には只だ『君』と書したるを見、学者の面目に関すると為し、憤然として其会を辞したりしが如き、稍児戯に類するの観ありと雖も、又た其意気地の愛すべきものを存するにあらずや。」

 そして、古島は両者を次のように評してまとめる。

 「而して此の意気地と、彼等の傲慢心とは、福沢氏をして慶応義塾を興して封建の思想と闘はしめ、大隈伯をして専門学校を興して官学に抗せしめたり。大隈伯が学問の独立を唱へ、福沢氏が独立自尊を叫びたるも、皆此の意気地と傲慢心の色彩せられたるものにして、二大学の今日あるは又た此の意気地の賜たるを知らば、二人者の傲慢癖と意気地の功も亦た偉ならずや。」

 意気地と傲慢心を逆手にとって、ほめあげるのは古島の芸当である。また、一方的でないものの見方も彼の面目躍如たるところである。

 ちなみに、実際この二人は盟友であった。大隈は尾崎行雄や犬養毅等の慶応の卒業生を、まだ海のものとも山のものともわからなかったが、当時、自分が監督していた政府機関に登用した。

 また、福沢は大隈が東京専門学校(早稲田大学の前身)を設立するとき、慶応の人材を送り込み、その開校式に出席し祝辞を読んだ。当時、明治十四年の政変で下野した大隈は、藩閥政府から西郷隆盛の私学校のようになることを恐れられ出席することを阻まれたのであった。

 両者は互いの家を訪問しあう仲でもあったという。両雄並び立たずといわれるが、強烈な個性の持ち主である二人が親友とは意外であった。

 いしがみ
by kuga-katsunan | 2011-03-26 11:17 | その他
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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