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羯南とエジプト 4

 さて、少し前説が長くなりました。しかし、羯南がエジプトで、何を考えたかを想像するには、現在のエジプト社会を理解することから始めるしかありません。非常に雑な説明ではありますが、エジプトが二千年もの間、外国に支配され続け、現在もその格差社会の中で「支配されることに慣れきっている人」が大勢いるということを理解ください。

 羯南が訪れたエジプトはどんな時代だったのでしょうか。一九〇三年、エジプトは英国の支配下にありました。一八六九年には、スエズ運河が開通。アジア支配を強めていた英仏など欧州列強にとって、地政学上、その戦略的重要性は、かつてないほど高まっていたと言えます。

 そもそも、十八世紀末のナポレオン遠征も英国とインドの通商路を分断するという意図で始まったと言われています。最終的に、ナポレオン軍は、英国とオスマン・トルコの連合軍に敗れるのですが、この遠征をきっかけに、エジプトは、オスマン帝国のくびきを逃れ、自らの指導者にアルバニア人でオスマン帝国の将軍だったムハンマド・アリを選ぶことになります。後に、オスマン帝国にエジプト支配の世襲を認めさせ、事実上の王朝を樹立したアリは「富国強兵」「殖産興業」に着手します。日本の明治維新に相当するエジプトの近代化はアリが総督(パシャ)に就任した一八〇五年に始まったと言ってもいいでしょう。
 
 アリは軍の近代化と農業改革を進めるため、学者やエリート階級の子弟を欧州に派遣します。しかし、オスマン帝国の影響を引きずっていたのでしょうか、こうして派遣された人はトルコ系ばかりでした。また、シリアやギリシャ、オスマン帝国との相次ぐ戦争は、エジプトに近代化を急がせ、最新式の織物工場や造船所の建設は、フランスやイタリア人技術者の手にゆだねられました。さらに、大規模な農地改革はエジプトの伝統社会を瓦解させ、ギリシャ人やアルメニア人ら特権商人を生むことになったといわれます。アリら指導者階級は、このころから民衆の支持を失っていったと言えます。

はまぐち
by kuga-katsunan | 2009-12-06 21:15 | トピックス
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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