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100年忘れぬ恩義

何の因果か、新聞「日本」とも関わりの深い「山田寅次郎」というテーマをふられなければ「エルトゥールル号事件」をめぐる「いい話」のことは知らずに終わっていたかもしれない。

国交というとどうしても国と国の利害が絡み合い、狡知な駆け引きが連想されてしまうが、この事件は、それが起こった1890年に生きた人々が、海外との交流をどのように考えていたか、また、その時代の温かい交流が、実は、今も脈々と生きている、ということを実感させてもらえる「いい話」であった。

時は移り、イラン・イラク戦争の最中のこと。
1985年3月。イラク軍によるテヘランへの空爆が激化し、テヘラン在住の外国人たちは国外退避を準備し始めた。フセインはさらに、40時間後という短い期限を設け、イラン上空を飛ぶすべての飛行機を打ち落とすという宣言を出す。宣言後、在留外国人は、それぞれが国籍を置く国の軍隊、ないしは民間航空会社を使っての脱出を計るが、日本の中曽根内閣は、何の手を打つこともできず、在イラン日本人215名は取り残されようとしていた。
タイムリミットあと一時間というぎりぎりのところで、この窮地を救ったのは、2機のトルコ航空特別機だったが、この飛行機を飛び立たせたのが、95年前に起きた「エルトゥールル号遭難事件」をめぐる一連の出来事だったということになる。

 1889年夏。その前々年の日本皇族訪問の答礼として、トルコから皇族以下約600名を乗せたエルトゥールル号は来日する。この船は余程ついていなかったのか、故障したり、乗組員がコレラに罹ったりで、帰還が大幅に遅れた挙句、翌1890年紀州沖で台風により遭難してしまう。皇族を含む乗組員のほとんどが助からないという大きな海難事故であった。

 このときの地元の一漁村の人々を中心とした救助の働き、遭難者たちの埋葬、生存者の送還など手厚い救援活動はトルコから高く評価された。さらに、その上、この悲惨な事故により残された遺族を救護すべく義捐金募集の動きが起こる。
 このときの義捐金をトルコまで届けに行き、その後トルコに在住し日本とトルコの国交上で大きな役割を果たすことになるのが山田寅次郎であり、彼は新聞「日本」の人々とも関連が深かった。

やまだ
by kuga-katsunan | 2009-08-18 20:10
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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