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タグ:高浜虚子 ( 7 ) タグの人気記事

高浜虚子と正岡子規(2)~道灌山の出来事~

虚子のお孫さんから伺ったお話をランダムに記載してみたい。

 「明治28年、子規は、日清戦争の従軍記者としての業務を終えて、帰国後、神戸病院、須磨保養院を経て、根岸の庵にて療養していた。

 その時、道灌山(現在の荒川区西日暮里4丁目)で、子規は虚子に対し、『河東碧梧桐と一緒ではいけない』といって、自分の後継になるよう勧めたが、虚子はこれを断っている。虚子は東京専門学校(現早稲田大学)で、坪内逍遥からシェクスピアを学ぶ等して、子規の枠にとらわれることなく、小説家になりたかったようだ。」と語られた。

 高浜虚子著の「回想 子規・漱石~子規居士と余~」の中にもこれを裏付ける記述がある。要旨は、以下の通り。

 虚子は、陸羯南からの電報により、子規を神戸病院に見舞っている。また須磨の保養院への転地後も熱心に見舞っている。そして須磨の夕飯の時、子規が虚子に対し、

 「今度の病気の介抱の恩は長く忘れん。・・・今後何年生きる命かそれは自分にも判らん・・・後継者ということを常に考えて居る。・・・自分はお前を後継者と心に極めて居る。・・・(碧梧桐とは)別居をして、静かに学問するよう工夫をおし。・・・」といったとある。

 その後、道灌山にて、虚子が子規に「私(あし)は学問する気はない。」と断った。
それに対し子規は、「・・・今まで私のようにおなりとお前を責めたのが私の誤りであった。私はお前を自分の後継者として強うることは今日限りで止める。・・・」と言った。

 その後、子規がなくなる明治35年まで、道灌山の出来事の連続であったが、虚子は断ったことが、双方にとって幸福なことであったとも考えられるといっている。

 子規は虚子のことがとても好きであったようだ。     しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2008-05-18 22:30 | Comments(0)

高浜虚子と正岡子規(1)

先日、たかぎ主筆と高浜虚子のお孫さんにお会いした。
申すまでもなく、高浜虚子は、松山生まれで、河東碧梧桐を介して正岡子規に師事している。

そこで、まず、有山輝雄先生著の「陸羯南」で正岡子規記述部分を抜き書きし、下勉強をしてみたい。

「明治27年2月11日、羯南は『日本』の別働隊として『小日本』を新たに発刊した。・・・絵入り振り仮名付の小新聞で・・・家庭団欒の模範的新聞・・・。(古島一雄が)編集に正岡子規を推挙した(という)。

東京帝国大学文科の学生であった子規は、明治25年、叔父加藤恒忠の縁で羯南の隣に転居し、この年の12月1日から日本新聞社員として出社・・・俳句欄や「獺祭書屋日記」を連載するなど彼の得意とする文学関係記事を担当していたが、当時27歳の青年で無論家庭を持っていたわけではない。・・・」

「・・・(明治28年)4月、従軍を熱望していた正岡子規もようやく近衛連帯付記者として金州に渡った。しかし、報道統制や拙劣な軍の待遇のため思うように取材できず、結核を悪化させて帰国した・・・」

「略年譜:・・・明治34年1月16日、『日本』正岡子規『墨汁一滴』の連載開始・・・明治35年5月5日『日本』紙上に正岡子規『病床六尺』掲載開始・・・同年9月19日正岡子規没 9月21日、『正岡子規君』連載開始・・・」

以上を押さえて、伺ったお話を記述してゆきたい。    しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2008-05-11 22:09 | Comments(0)

《黄泉還り対談》 陸羯南---正岡子規について語る

問   子規のお母さんと妹さんですね。
陸   「そうです。家の隣だったものですから、私は会社から人力車を飛ばして行ったのです。
そうしましたら、八重さんは『命に別状があるのなら行きますが、そうでないのなら私達より、清さん(高浜虚子)か秉五郎さん(河東碧梧桐)のほうが本人は喜ぶと思います』と仰るのです。私は直ぐに京都に居た高浜君に電報を打たせました」
問   随分つめたいお母さんですね。
陸   「・・・いや、そうではないのです。
お母様は私に気を使ったのだと思いますよ。
母親が息子の心配をしないわけが無い。ここで自分が騒ぐと必要以上に私に負担をかけると思ったのでしょう。努めて冷静を保って居られました。
   お母様には、何日か経って河東君と一緒に神戸に行ってもらいましたが、その時は高浜君の看病のおかげで、峠を超えて大分病状は落ち着いていたと言ってました。
   正岡君の母親は、非常に大らかな人ではありましたが、他人に対して細やかに気をお使いになる人でした」
問   子規はその後どうなったんですか。
陸   「神戸病院に入院したんですが、この病院の副院長が江馬先生と言って私の知りあいだったので特別に診てもらいました。中々食欲が無くて体力がついてこないと言ってました。
それでも看病にあたった高浜君と河東君が摘んで来たイチゴを食べるようになって食欲も出て来て、急速に回復したと言うことでした。
    その後須磨療養所に移り、八月二十日に退院し松山に戻ります。そこには夏目漱石君が松山中学校の先生をしていたんです。ここの下宿を愚陀佛庵と言ってましたが、そこで漱石君と一緒に五十四日ばかり暮らしました。
十月に東京へ戻る事になるんですが、その帰途、関西を旅行します。
途中の奈良で有名な
       柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
   の句が生れます」 
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by kuga-katsunan | 2008-05-11 06:10 | トピックス | Comments(0)

陸羯南の書②

e0106376_2318588.jpg陸羯南の書簡について述べたいと思う。

まずは、右の書簡をご覧いただきたい。
陸羯南が、明治28年6月2日に高浜虚子に宛てた書簡である。

内容は、正岡子規が、日清戦争での従軍記者として、中国からの帰途、船中で喀血して、重体となり、神戸病院に緊急入院した際に、入院の世話を高浜虚子に依頼するもので、子規への思いやりと心遣いに満ちているものである。

子規子病気不宜候由、昨日之電報ニより同子母堂ヲ河東氏附添、
赴神為致候。数々之御介抱被成候事、乍蔭不尽堪感謝候。
私も一寸なりと御見舞致度存候へども、他故ありて不得其義。
何卒可然御看護願上候。・・・・・

陸羯南の書簡は、通常は、行書体で、起筆・送筆・終筆と流れるように書かれているが、この書簡については、少し違う。陸羯南の逸る気持ちが、書き出しの「子規」の文字に込められ一気呵成に書き出されている。そして、四行目の「介抱」の文字に、子規に対する気遣いの強い気持ちが込められている。

この後書簡は、子規の入院費のみならず、高浜虚子、河東碧梧桐ら付添い人の旅費・滞在費もすべて、面倒を見ることを書き綴っている。

書簡からも、陸羯南の優しい細やかな心遣いが出来る人間性が垣間見ることが出来る。

ささはら
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by kuga-katsunan | 2007-11-13 23:19 | 研究 | Comments(0)

羯南からの手紙

 羯南の書いた手紙の多くは、全集に収録されている。ただ全集が刊行されてから発見された手紙もいくつかあるようなので備忘のために目にしたものをあげておきたい。

 高浜虚子あてに書かれた手紙は、昨年の高浜虚子文学館で開かれた羯南の展覧会に出品されていた。日清戦争に従軍取材して体調を崩した子規への看病を虚子たちに頼んだ手紙である。明治28年6月2日は虚子あて、6月5日は河東碧梧桐、河東の兄・竹村黄塔、虚子の3人への手紙である。
 神戸病院に子規がかつぎこまれたことを、竹村の電報で知った羯南は、虚子に入院先に行くように頼み、そして河東にはその母に付き添いを頼んでいる。羯南の細やかな心遣いが感じられる。
 
 盛岡の原敬記念館には、原あてに書かれた多くの人の手紙が展示されている中に一通、羯南の手紙が展示されている。内容は外務省職員となってメルボルンの領事館に駐在していた娘婿の兄である赤石定蔵が、上司と折り合いが悪いので、アメリカか日本に転勤させてくれるように当時外務省高官であった原に依頼している。きっと赤石がメルボルンから、羯南に泣きついた結果かと思われる。

 そして意外な近場に、数多くの羯南の手紙が所蔵されていた。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-10-10 23:20 | トピックス | Comments(0)

虚子記念文学館と陸羯南

3期 笹原です。

11月19日(あいにくの雨)、いつものごとく、突然、高木さんが来阪され、芦屋に「陸羯南」の
特別展示をしていた「虚子記念文学館」があるので行くぞと仰ったので、御一緒させていただきました。

残念ながら、陸羯南の特別展は、8月15日から10月9日までで終了していましたが、学芸員の小林祐代(さちよ)さんがおられたので、突然にもかかわらず、いろんな質問をさせていただく
とともに、陸羯南から虚子にあてた手紙などを見せていただきました。

手紙の内容は、当時の陸羯南が、虚子や子規などの文化人の「たにまち」的役割を果たしていた側面が窺える貴重なものでした。

小林学芸員は、陸羯南の研究をしていると話す、高木さんに強く興味を持たれ、時間をかけ丁寧に対応して下さいました。
そして、陸羯南について、協力をしていただけるとの感触を得て、芦屋をあとにしました。

また、高木さんの指示で、司馬財団にも連絡し、今後の協力についても、再確認をしました。
また、後日、住田氏にも、改めて「陸羯南研究」の協力を要請し、了解を得ております。
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by kuga-katsunan | 2006-12-10 12:00 | 紀行 | Comments(0)

<日本新聞社社主陸羯南と子規>展

芦屋の高浜虚子記念文学館では8月15日から10月9日まで、標記の展覧会を開催されました。これはシリーズ<仰臥漫録>展の第五回にあたるもの。会場には、全集にも収録されていない羯南の書簡、ゆかりの品などが展示され、日ごろ俳人の方が多い文学館にもかかわらず、このテーマで、羯南に関心のあるジャーナリストの方たちも多数訪れた、とのこと。

高浜虚子全集の中にも、羯南についての記述を発見したのも収穫でした。碧梧東の全集の中にも何かありそうです。

笹原君のご案内で、文学館報も頂いておりますので、ご関心のある方はご連絡ください。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2006-11-26 01:32 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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