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劉鉄雲と羯南

 樽本照雄先生に、

 <劉鉄雲「三代瓦豆文」「秦漢瓦当文」跋について>

という文章がある。

少し長くなるが、引用させていただく。

「前に掲げたのは、劉鉄雲に関する新出資料である。
日比野丈夫氏よりご提供いただいたものだ。
氏のお手紙に次のようにある。

 陸羯南が中国へ行った時、劉鶚から贈られた「三代瓦豆文」「秦漢瓦当文」の二冊をもっております。
鈴木豹軒先生旧蔵のもので、辛丑六月(明治三十四年)とあり、一度、羯南全集などを調べたいと思いながらそのままになっておりました。
『清末小説』10号のリストにはその名が載っておりませんので、一文したためました。

 瓦豆文、瓦当文ともに一冊で、それぞれ拓本を綴じたものです。瓦当文の方は一つひとつ自筆の解説がついております。ともに開巻第一葉に自筆で書いたもので、瓦豆文の方には年記がありませんが、瓦当文と同時の筆であることは間違いないと思います。

 以上の説明で充分のような気がするが、最小限の補足をしておく。」

 日比野丈夫先生は、京都大学に学ばれたので、羯南の娘婿の豹軒鈴木虎雄の教授も受けていたと思われる。
 虎雄は、この書を羯南の形見として、もらったのだろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2014-04-26 07:54 | トピックス | Comments(0)

旧上伊那図書館所蔵 新聞日本

  青森の羯南会の関係者でもある東奥日報の方から、新聞日本の所蔵情報をお教えいただいた。

長野県の旧上伊那図書館に日露戦争期間の新聞日本が所蔵されているという。

 以下は頂戴したメールのご紹介。

 「旧・上伊那図書館
(上伊那教育会が昭和5年に設立した財団法人の図書館でH6まで伊那市立図書館でもあった)収蔵。

  日露戦争期、明治37年1月から明治38年12月までの日本新聞社「日本」を綴じて合本したもの。
  
  この時期の発行人は陸羯南と共に正岡子規逝去後に「子規言行録」を編んだこともある小谷保太郎という人。

   日露戦争実記(日本新聞合冊)
第一巻 M37.1.1-3.31 開戦
第二巻 M37.4.1-6/30 汽航全州丸及常陸丸の惨事
第三巻 M37.7.1-9.30 大山総司令官出発 旅順背面攻撃
第四巻 M37.10.1-12.31 露国東洋艦隊全滅 海軍司令長官東郷大将帰国
第五巻 M38.1.1-3.31 陸軍大激戦大勝 旅順開城並奉天付近会戦
第六巻 M38.4.1-6.30 日本海大海戦敵艦全滅 米国大統領講話勧告公表
第七巻 M38.7.1-9.30 平和克復 国民大会 国民憤慨 日英同盟
第八巻 M38.10.1-12.31」


  この建物は建築としても貴重なもので、ブログで紹介されていらっしゃる方も多い。

市の指定、有形文化財で、洋風建築、平成 20年8月27日に指定された。1930年(昭和5)の建築で、伊那市荒井3520にある。
床面積1,330.13平方メートル、鉄筋コンクリート造(一部木造)、4階建、
文化財概要によれば、

「昭和5年に完成した建物で、当時の長野県内において鉄筋コンクリート造に実績のある黒田好造が設計し、岡谷組の施工によって建てられた。

大正末期から昭和初期の思潮を良く反映した近代建築である。

外壁には地元高遠焼きのテラコッタタイルが使用されるなど、貴重な昭和初期の洋館である。実業家・武井覚太郎の厚志によって建てられた」

  伊那は、新聞日本出身の画家、書道家の中村不折の故郷である。

 今年は、不折の没後七十年にあたる。

亡くなった昭和18年は、言うまでもなく太平洋戦争中である。

 不折は根岸の羯南の旧宅の向かいに住んでいたが、この辺りは昭和二十年五月十三日の空襲で焼失した。

 羯南の旧宅もその隣家の子規の旧宅も、そして向かいの不折の旧宅の大部分も焼失した。

羯南の次女と結婚した鈴木虎雄も今年没後五十年になるが、その空襲による焼失を嘆き漢詩を読んでいる。

  「陸羯南先生故宅

    二十一日作 乙酉五月十三日夷機来襲

    東京羯南先生故宅及子規庵皆帰灰燼

    故宅在下谷区上根岸八十三番地

    子規庵在隔隣南鶯横町


  鵲去鳩来憾有餘

  子規庵北臥龍廬

  蓮池竹塢成焦土

  不滅文章照劫壚  」
  

  伊那の諸氏は故郷出身の中村不折の活躍を読んだのかもしれない。

  日本画報の前身である日露戦時旬報も諏訪の図書館で見つかった


  桂湖村、鈴木虎雄の故郷である新潟の図書館にも新聞日本が多く所蔵されているという。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2013-02-10 08:27 | ニュース | Comments(0)

鈴木虎雄遺文集

 鈴木虎雄は羯南の次女の娘婿。

大學を出てすぐに日本新聞にはいったこともあり、種々の人物の結節点にいる。

彼が羯南について書いた文章、子規について、長清会について、とあちこちに残っている。

本業の中国文学についての本は古本になっても高価だが、この種の文章はうもれがちである。

このままでは確実に散逸するので、一冊にまとめられないものだろうか。

さ来年が虎雄没後50年、ここが一つの機会とも思う。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2011-09-06 19:47 | トピックス | Comments(0)

陸羯南の娘婿あて書簡15通発見


東奥日報に羯南の書簡が発見された、という記事が掲載されております。

以下、同社のホームページから転載させて頂きます。

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2010/20100207091807.asp

「弘前市出身で明治を代表する言論人、陸羯南(1857~1907)が娘婿の中国文学者・鈴木虎雄(1878~1963)にあてた書簡が、虎雄の子孫が所蔵する遺品から見つかった。

 解読に当たった中野目徹筑波大大学院教授(日本近代思想史)によると、書簡は全部で15通。

 50歳で死去するまで最晩年の3年間に記したとみられる。

病の前途を悲観して気弱になったり、小さな自然に心動かされたりと、心情が率直につづられており、「人間・陸羯南が表れた資料」と、関係者は注目している。

写真=羯南が娘婿・鈴木虎雄にあてた書簡の封筒や書面(中野目教授提供)」

(東奥日報  2010年2月7日)
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by kuga-katsunan | 2010-02-07 12:36 | ニュース | Comments(0)

豹軒鈴木虎雄

 新潟の吉田町に長善館という漢学塾があった。

弥彦村の村史こぼれ話によれば

<吉田町粟生津、あおうずにある長善館は天保4 年(1833)、鈴木文臺 、ぶんだい、が38 歳で始めた私塾です。文臺、を初代として、惕軒、てきけん・柿園しえん・彦嶽げんがく、の3 代・4 先生により、実証的な学問を中心にした教育が行われていました。
明治19 年(1886)に中学校令が公布され、中学校も各地に建てられるようになると、長善館はしだいに学校としての役割を終え、明治45 年(1912)80 年の幕を閉じました。この間、
千余人の人材を世に送り、政界・官界や地方発展に尽力した方々を数多く生み出しています。>

 鈴木文臺は、良寛との交流でも知られており、その関係の方達も数多く訪づれている。

豹軒鈴木虎雄は、羯南の次女つるよの夫であり、東大卒業後、新聞日本の記者も勤め、戦前の羯南の著作集として代表的な<羯南文録>(昭和13年、大日社)の編集もしている。虎雄は実はこの長善館第二代当主であったの惕軒の八男として生まれたのであった。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-05-04 08:17 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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