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タグ:東亜同文会 ( 7 ) タグの人気記事

東亜同文会報告の復刻完結

  羯南が初代幹事長をつとめていた東亜同文会の機関誌<東亜同文会報告>の復刻版全26巻128冊が完結し、東奥日報に紹介されました。(2012年11月22日夕刊)

  http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2012/20121122160206.asp

以下、記事の一部になります。

  「陸羯南(くが・かつなん)研究会(東京、高木宏治主筆)が進めてきた「東亜同文会報告」の復刻が、

  最終第3回刊行にこぎ着け、計128冊の復刻が完成した。

  前身の「東亜時論」も復刻済みで、所在が確認されていない「東亜同文会報告」の第1~4回号を除いて

  全ての復刻が完成した。

  高木主筆は「会員の多かった青森県内に未発見号が存在する可能性がある」として、

  捜索を続ける方針だ。」
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by kuga-katsunan | 2012-11-24 05:52 | ニュース | Comments(0)

甦る東亜同文会   東亜同文会報告 いよいよ復刻へ

 昨年復刻した東亜同文会の最初の機関誌<東亜時論>の後継雑誌である<東亜同文会報告>がいよいよ復刻の運びとなった。

 http://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843337219

 清朝末期の明治33年(1900年)から辛亥革命直前の明治43年(1910年)までの10年強の期間の中国を各地に点在した有名、無名の筆者たちが、生の姿を報告している。

 羯南も、明治34年8月の第21回報告で、東亜同文会での講演が採録されている。(全集未収録)
講演の採録という、いわば羯南の肉声は、新聞日本の愛読者の団体、日本青年会が発行していた雑誌<日本青年>に掲載されている座談を除けば、唯一のものである。

 題して<東亜平和策>ー満洲開放の利ー。

先述したように、この講演の前後、羯南は近衛篤麿と、中国、韓国を視察している。

 日清、日露の両戦争の間、日本は中国の政治的安定の方向性を自らの国家の運命と重ね合わせて考え続けた。今年100年を迎える辛亥革命の裏の立役者の多くは日本人、そして大多数は東亜同文会の会員であった。武漢での革命成功の報を聞いて急遽中国に帰った孫文を、最初に上海で迎えたのは、羯南の盟友、犬養毅であり、古島一雄であった。

 今年も、何とか、12月の青木先生の御命日に間に合った。

たかぎ
 

 
 

  
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by kuga-katsunan | 2011-10-08 21:14 | ニュース | Comments(0)

東亜同文会幹事長 陸実

 東亜同文会は、羯南らの東亜会と近衛篤麿の同文会が合併して明治31年11月に成立した。

 今回、復刻した東亜時論はその機関誌である。

 編集後記の一部を再録させて頂く。


「陸羯南は、東亜同文会の最初の幹事長であった。

 機関誌「東亜時論」にも、彼の文章が発表されている。

 一般に羯南は明治期を代表する新聞人の一人として評されることが多い。

 しかし、改めて彼の生涯の事績をたどってみると決して「新聞人」だけの枠におさまった人物ではなかったことが見え隠れする。

 例えば、明治十二年から十三年にかけて、故郷の青森で「青森新聞」の編集長を勤めていた間、自由民権運動がおこった。

 その運動は、一つには国会開設の建白という方向をとったが、明治十三年三月二十七日、青森県内で会合が持たれた時に、その出席委員として、羯南は参加している。

 この時点での彼の運動への関与の度合いについては、現在残されている資料では、これ以上知るすべもないが、この時期の知識層の青年として、ごく自然に、政治的な志向性を持っていたのではないかと推察される。」


たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-08-01 21:46 | トピックス | Comments(0)

<東亜時論> いよいよ復刻

  羯南が初代の幹事長を務めた東亜同文会の機関誌である幻の資料<東亜時論>がいよいよ復刻される。

  日清戦争後、ロシアの南下政策のもと、風雲急をつげた日本、中国、朝鮮半島、沿海州地域を入口にアジア全体への取り組みをどのように行うかを悩み、模索したのが東亜同文会であった。

  この会は羯南、犬養毅、三宅雪嶺、池辺三山、福本日南を中心とする東亜会と近衛篤麿を中心とした同文会が合体して成立した団体であり、そこには今の日中関係の原初的姿が見られる。

  新聞日本を中心としたジャーナリスト羯南のもう一つの顔が、この資料を通して浮かび上がってくる。

  近日出版、乞う御期待

たかぎ 


http://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843334218 
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by kuga-katsunan | 2010-06-06 08:01 | ニュース | Comments(0)

羯南の肉声

 羯南の百一回目の命日が過ぎた。

 昨年の百回忌には、弘前でシンポジウムなどが開催された。
これは今後の羯南研究の大きな礎石になったと思う。

 ちょうど一年前のこのブログでは、

<羯南は、欧州旅行の疲れ、帰国後の経営困難が重なり、病勢が進み、明治40年9月2日、静養中の鎌倉の別荘で帰らぬ人となった。家族のこと、新聞のこと、心残りが多くその心中、察するに余りある。

 (中略)

 たしかに羯南が経営のために奔走しているときに、誰か、経営と編集を分離して、羯南に編集、論説の作成に専念できるように、助言をするものはなかったのか。
歴史にIFはないが、<記者>に専念できた羯南が、その後の日本の変転に対しどのように評したか、聞いてみたかったが、それも今は虚しい。

 今、せめて我々にできるのは、20世紀の泥沼から抜け出したにも拘わらず、再び各国のナショナリズムが勃興し始めている現代にあって、国と民族と個人の存続を賭けて悩み、議論した羯南たちの考え方を、如何に現代に活かすか、ということなのであろうか。

 没後百年、今、甦る羯南の声に耳を傾けたい。>

と、書いた。

 羯南の書いたものは、勿論彼の声ということになるが、本人のもっと肉声に近いものはないかと探し続けていた。

 近衛篤磨と羯南のことを調べていくうちに、東亜同文会活動がでてきた。

東亜同文会は、明治31年羯南等を中心に組織された東亜会と篤磨等を中心に組織された同文会が合併して出来上がった団体である。この会は19世紀末から20世紀初頭の日本とアジア、中国の関係を考えていく上で非常に大きな意義をもっている。

 この会の機関誌があった。
初期は<東亜時論>としていたが明治32年12月から<東亜同文会報告>という名前に変わった。この機関誌には種々の論文と併せて東亜同文会が開催した講演が掲載されていた。

 東亜同文書院の後裔である愛知大学の図書館の皆様の御厚意で内容を教えて頂いていくうちに
   <陸実君講話>

という記事があることがわかった。

  講演の題目は

   <東亜の平和>
     <附 満州開放の利益>

とされていた。

 羯南は、その中で

<私は平和と云ふことに就て一寸考へた事がありますから、それを申上げやうと思ひます>

と語りはじめている。

たかぎ


 


 
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by kuga-katsunan | 2008-09-03 04:54 | トピックス | Comments(0)

<羯南と篤麿>“近衛篤麿日記”・書簡を読むーその七

  当時の中国をめぐる国際情勢は、19世紀中葉に勃発した西欧列国の中国侵略が、日清戦争の清国の敗北を契機に益々加速されていた時期にあたる。日本は目の前に中国が蚕食されていく有様を見、自国の防衛上、その蚕食に加わるか、中国を<保全>する側に立つかの議論がなされていた。

 この会は、上記の綱領、主意書にあるように、中国を<保全>する側にたった組織であり、それが日本の防衛、発展に繋がる、という立場を明確にしている。(そのために朝鮮の改善も重要事となってくる。)篤麿は、別の場所で<亜細亜のモンロー主義>という発言をしているが、このモンロー主義が果たして誰にとって利のあるモンロー主義であったのかがその後の日中関係に影をおとしていくことになった。(早期の日独及び日露開戦の提言にも発展していく。)

 この会は、結局その後の日中関係の中で、日中の和解を探る人材育成の役割と、侵略の先兵の役割というアンビバレントな性格を併せ持つ組織となっていったが、その創立時点での理想は、日本の安全保障とそれをバックグラウンドとして支えるアジア、とりわけ中国における平和確立という高度な目標をもっていた。それが北清事変、日露戦争、辛亥革命を経ることによって、満州国設立による日本の中国本土における利権の確保に展開していったことが多くの悲劇を生んでいくことになってしまった。

  その後、8日に羯南と三山は、<東亜同文会>の件で篤麿を訪問、10日・23日には再度東亜同文会の会合があり、会の将来像などにつき協議している。特に23日の会合では雑誌発行の話題も出ており、これが12月の<東亜時論>の発行に結実している。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-09-30 13:25 | 研究 | Comments(0)

<羯南と篤麿>“近衛篤麿日記”・書簡を読むーその六

 次に出てくるのは、将に二つの会の合併の当日である、11月2日の日記である。

<資料7  日記  明治31年11月2日>
一 午後一時、東亜同文会大会に付萬世倶楽部に赴く。出席三十名計、一同よりの依頼にて余座長席に就き、東亜、同文両会合併顛末報告、規則、趣意書、方針、会務等に付相談あり。方針は世に発表するものとすれば穏当ならぬ処ありとて、池辺吉太郎、三宅雄二郎、田鍋安之助を委員として修正せしめ、夫より会長には余を推すとの事、余は適任者あるまで仮りに承諾する旨を答へ、幹事は陸実、池辺吉太郎、田鍋安之助、佐藤宏、井上雄二、と決し、修正方針案は全部可決せり。五時帰邸。

  篤麿は会長に推され、適任者あるまで暫定として承諾をし、会の<方針>は、池辺吉太郎(三山)、三宅雄二郎(雪嶺)、田鍋安之助らが修正することにし、実務を行う幹事は羯南、三山、田鍋、佐藤宏、井上雅二と決した。

   <東亜同文会の綱領と主意書>

△ 綱領

一、支那を保全す。
一、支那および朝鮮の改善を助成す。
一、支那および朝鮮の時事を討究し実行を期す。
一、国論を喚起す。

△ 主意書

日清両国の交や久し。文化相通じ風教相同じ。情を以てすれば即ち兄弟の親あり、勢を以てすれば即ち唇歯の形あり。其の玉帛往来古より渝らざるもの天理の公に出で、人道の正に発するに因れり。豈に彼の環輿列国の朝婚夕冠互に相攘奪する者と同じからんや、何ぞ図らん、前年旻天弔せず、兄弟牆に鬩ぎ、而して列国隙に乗じ時局日に難なり。嗚呼、愆を忘れ嫌を棄て、外その侮を禦ぐもの豈に今日の急に非ずや。このときに当りて、上は即ち両国政府須らく公を執り、礼を尚び、益々邦交を固うすべく、下は即ち両国商民須らく信を守り、利を共にし、ますます隣諠を善くすべく、両国士大夫即ち中流の砥柱となり、須らく相交るに誠を以てし、大道を講明し、以て上を助け下を律し、同じく盛強を致すべきなり。是れ我が東亜同文会を設くる所以なり。請う両国士大夫同じく此の洲に生れ、同じく此の時に志す者、此の意を賛し此の会に入り、以て力をここに戮せよ。
      明治三十一年十一月

 長い歴史をもつ日中両国の関係は、天理に従い、正しい人道に立って打ち建てられたもので、西欧列国の利害によって結ばれ、朝に結び夕に離れる軽薄なものとは本質的に異なっている。然るに思いもかけず不幸にも兄弟が相戦うことになり、それに乗じて列国が野望を逞うすることになった。いまや過去の過を忘れ、恨を捨てて、共に協力して外の侮を防ぐべき重大な時期である。すなわち上にあっては両国政府は邦交を固くし、下にあっては人民が信義を守り、利害を共にし、隣人としての友誼を厚くすべきである。その間にあって両国の知識人指導者たちは独立不撓、節を曲げない精神的支柱となって、上政府間の交流を助け、下人民間の友好を指導して両国の共に盛強をはかるべきである、その任を果すのがわが東亜同文会設立の主旨であるというのである。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-08-18 23:08 | 研究 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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