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弘前 郷土文学館  陸羯南展

 中国の旧正月の休みを利用して拝見した。

 日頃資料として所蔵はされていますが、なかなか展示される機会のない羯南関係の資料が数多く展示されており壮観です。

 「明治維新後、のちに陸羯南を名乗る中田實は、身を立てるために、東奥義塾、宮城師範学校、司法省法学校に学びました。そこで得た経験が、新聞『日本』で生かされました。国民主義を唱える『日本』は、政府の政策に反対して、しばしば発行停止処分を受けましたが、これに屈することなく、 『日本』は発行を続けました。この日本新聞社には羯南の人物と仕事に共感し、全国から秀才が集まりました。正岡子規がその一人で、羯南は病床にある子規に惜しみなく援助を続けました。子規は夏目漱石に、羯南のことを「徳の上から言ふて此のような人は余り類がない」と伝えています。羯南と子規の間には文人同士の深い繋がりがありました。  羯南は、晩年に清韓視察や世界一周の旅をし、50歳で亡くなっています。今回の展示では『日本』での業績をはじめ、世界一周の足跡を、当時の書簡や写真で紹介しています」(同館ホームページより)

  http://www.hi-it.net/~bungaku/

 本展は、来年1月3日まで開催。春の桜、夏のねぷた、秋の紅葉、冬の雪と四季を通じて、羯南の展示が楽しめます。

 6月からの横浜の日本新聞博物館での展覧会、その後、弘前市立博物館へと移動する予定になっています。まさに来年に向けて羯南イヤーの幕開けとなりました。

 郷土文学館の展示は、3月31日まで増設コーナーも含め展示されています。

「 新聞『日本』のダイジェスト版『日本附録週報』の俳句欄では、正岡子規自ら選句をするというので人気がありました。日本新聞社に籍を置いた正岡子規は、『小日本』廃刊後も『日本』第一面の俳句欄を受け持ち、河東碧梧桐や佐藤紅緑らの俳句、短歌も掲載されました」
                         (同館ホームページより)

 全貌をご覧になりたい方はお急ぎください。

 これまで全体を見ることが難しかった羯南が欧米視察の旅先から家族に送った世界各地の絵葉書も掲載した図録も必読。

  たかぎ
 

  
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by kuga-katsunan | 2015-03-21 09:26 | 紀行 | Comments(0)

陸羯南会設立記念シンポジューム20090124

 07年は羯南、生誕150年、没後100年という節目の年。
 その翌年10月、地元弘前で「陸羯南会」が発足しました。「羯南の真の心を研究する活動、併せて羯南人脈の人々を究明する活動をしていきたい」というのが趣旨。明けて09年1月24日、その設立記念シンポジュームが開かれることは、たかぎ主筆のアナウンスがあったとおり。
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 そのシンポジュームの主賓はたかぎ主筆だったのです。メインテーマの講師として招かれ、講演、およびパネルディスカッションに参加することになりました。わたくしもたかぎさんの講演の記録者として参加しました。
 講演のテーマは、「陸羯南と『日本画報』」ではありましたが、司馬遼太郎から青木彰に託され、そして我々青木塾の面々が羯南研究に参加することになった経緯から始まり、司馬さんの追悼番組に出演された青木先生のビデオをまず上映。そして1時間にわたって、羯南の新聞人としてのユニークな活動の一端である、グラフ誌「日本画報」について説明しました。
 後半のディスカッションでは、地元弘前の羯南研究者のお三方に混じって、たかぎさんは羯南の足跡、受け継がれた遺志を弘前出身者からの観点で光を当てることの意義を強調しました。
 会場は弘前市立図書館の視聴覚室でしたが、約80人の参加者が詰めかけ、補助いすを出すほどの盛況でした。東奥日報、毎日新聞、青森放送など、メディアの取材も入り、地元弘前での熱気を肌で感じてきました。


                                  すずき
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by kuga-katsunan | 2009-01-25 22:09 | Comments(0)

陸羯南生誕百五十年・没後百年の記念イベント参加

 9月1日午前:たかぎ主筆、やまだ氏、ささはら氏とともに、午後からの弘前文化センターで開かれる掲題のイベント「講演会・フォーラム」に備え、青森県近代文学館に於いて、9月9日迄の企画展「陸羯南と正岡子規」を観て予習を行った。
 
 ただし、前日の夜遅く青森入りした一同は、「りんご茶屋」というお店で聞いた「津軽三味線」の残響が頭の中で鳴り響いてはいたが・・・。

 午後、青森⇒弘前文化センター移動

・同日午後3時から、神奈川大学教授復本一郎氏による講演「陸羯南と正岡子規」
・午後4時10分からフォーラム「人間 陸羯南」
 を、一同拝聴(なお、会場は満席で立ち見の方が多く見られた)。

 復本教授は、子規が新聞「日本」の文芸欄で短歌革新運動を展開し続け、必ずしも全面的に短歌観が一致していなかった羯南が、これを認めたこと、及び生活の面倒まで見ていた寛大さを高く評価していた。

 また、シンポジウム(コーディネーター:前述の復本教授)では、

1)松山市立子規記念博物館の竹田美喜館長は、子規は、陸羯南のお陰で、新聞「日本」というマス・メディアを通じ(3回目から1面掲載)、古今集に始まる旧派を批判。子規は新派の論陣を広く形成出来、松山では皆、陸羯南に大変感謝していると絶賛した。

2)地元出身のルポライター・鎌田慧氏は、津軽人を「意地っ張り」で、「負けず嫌い」だが、「義侠心」に厚いと分析。陸羯南は、独立不羈(independent writer)の立場に立ち、世論をリード、国民の啓蒙・啓発に努めたと述べた。そして現在の新聞が、ややもすると世論の後追いをしているのでは、と疑問を呈していた。

3)九州工業大の本田逸夫教授は、陸羯南を、①文章・文才が素晴らしい(文章が簡潔で、作為がない。)②リベラル〈自由闊達、他者へ寛容)③視野が広い(和漢、西洋思想の才あり)④理想・信念がある等と分析した。

 9月2日は、朝6時半から、たかぎ主筆の案内にて、陸羯南ゆかりの地を巡った。即ち、狼森鷲ノ巣(おいのもりわしのす)にある「名山詩」or「厳城の詩」碑 * ⇒ 孫文に協力した山田良政顕彰碑(貞昌寺) ⇒ 津軽藩主の菩提寺である長勝寺 ⇒ 津軽藩洋学の祖・佐々木元俊および息子海軍「千島」艦軍医長佐々木文蔚の墓(宝泉院) ⇒ 中田家菩提寺(月峰院) ⇒ 陸羯南生誕の地 ⇒ 郷土文学館・図書館を精力的に巡った。

 *名山出名士 此語久相伝 試問厳城下 誰人天下賢
(名山 名士ヲ出ダス/此語 久シク相伝フ/試ミニ問フ厳城ノ下/誰カ人天下ノ賢ナルゾ)
意味:「名山の見える土地は素晴らしい士を出すという。このことばが世に行われて久しいが、しかし試みに問うに岩木山の秀峰を見るこの弘前城下から一体どんな天下の賢がでたろう。」(司馬遼太郎「北のまほろば」)


 そして最後に司馬遼太郎が1995年1月「街道をゆく41『北のまほろば』」で取材した石場家(重文)を尋ね、今回の旅行を締めくくった。 

 なお、今回のイベントに参加して感じたのは、 会場が満席であったように、地元の方の関心の高さと、これが一過性のものに終わることなく、このイベントをキックオフとして更に陸羯南の研究が進み、日本国の未来への方向性の指針として、陸羯南研究を活用して欲しいということである。                        しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2007-09-02 19:43 | 紀行 | Comments(0)

台風の中「北のまほろば」

8月4日午前7:00過ぎ。目覚時計より先に携帯電話に起こされた。さっそくたかぎ主筆である。今日、明日と、半年以上前から予定を押さえられていた、羯南をめぐる東北ツアーのはじまり。
 
 私は前日夜から盛岡の嫁の実家に泊り。 車を借りて、盛岡駅に午前10:00に到着する ひのさんを出迎え。台風の激しい雨の中、まずは青森近代文学館で行われている特別展「陸羯南と正岡子規」へ。「今、盛岡を出ました」と主筆に電話を入れると、すでに先ノリで文学館の図書室にいるとのこと。まったく熱心である。
 
 東京から旅の行程を考えると、どうしても盛岡、弘前、青森とすべて「東北」とひとくくりに考えてしまうのだが、盛岡~青森は170km。東京~静岡よりも遠いのだ。 ひのさんとはかれこれ10年近く前から「菜の花忌」等々で顔見知りなのだが、パーソナルなことはなにも知らず、「ご実家どこですか?」「何学部でしたっけ?」などと、とぼけた会話で青森までの2時間以上の行程をやり過ごす。
 
 近代文学館は青森中央インターを降りてすぐのところ。車をとめるて建物に向かうとすぐに特別展の看板が目にはいった。主筆と合流。すでに主筆はひととおり見終わっているらしく、スムーズなご案内。今回の特別展は図録がWEB上に公開されており。40数ページにわたるPDFファイルをプリントアウトして事前に「予習」してきたので、意外と展示物がすんなりと頭にはいってくる。(これから行く方「予習」お奨めです)
 
 羯南が欧州旅行中に、妻てつに送ったポストカードが図録に載っている以上にたくさんあり、それがまたデザインも多彩。日本の写真報道の第1号といわれる「日本画報」も興味深い。後ほど文学館の黒岩館長にお話を聞くことができ、展示してある号以外も見せていただいた。当時の事件や世相を映した写真や絵を見てみると、1枚の写真で伝わるものの多さにあらためて驚かされる。ちなみにこの「日本画報」(ほぼ全号)コレクションはweb検索で古書店から入手し、驚くほど安価だったとか。ちょっとした「お宝発掘」である。
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 小一時間のつもりが3時間も文学館で過ごし、このままでは弘前の文学館が閉まってしまうとあわてて出発、旅の昼食も早メシで済ませ、4時ごろに弘前郷土文学館へ。カーナビのおかげで迷うことなく便利である。弘前文学館に入ってしばらくすると、僕らの後ろに文学館のスタッフの方がニコニコして立っておられる。振り返った主筆と顔を合わせると、「いやどーも」と。ここでも主筆はすっかり有名人である。企画展示「政論記者陸羯南 生誕150年・没後100年展」はこじんまりとしながらもポイントを押さえた展示。青木先生の書いた「陸羯南へのおもい」などもある。
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 記念事業実行委員会の舘田事務局長にもご挨拶し、ここでも「顔が利く」主筆のネットワークづくりに敬服! 施設の閉館時間も迫ってきたので退散。羯南の生家のあたりに行ってみようと弘前の市内を散策した。台風も通り過ぎたのか、雨もあがり、今日は「ねぷた祭り」の当日なのだが、山車(?)はそこここにあるものの街は意外と静か。祭りのさわりだけでも見て行きたそうな二人の空気を読めぬふりをして、一路、盛岡へ。(ひのさんは学生時代、友人たちと弘前ねぷたに跳ねに来ていたそうだ)
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 帰路、八幡平のあたりでまたしても雨。少し予定より遅れで嫁実家に到着。さっそく庭で宴会。主筆に「クガカツナンの・・・」と挨拶されてキョトンとしていた嫁の両親も、主筆の豊富な話題と、「飲めといわれれば、、、」という ひの嬢の「男前さ」にすぐに打ち解け、盛岡の夜はふけていった。後半はいつものように覚えていない。

 翌朝、元気に目を覚まし。9時過ぎにはもう原敬記念館へ。ここ5~6年、盛岡にもすっかり詳しくなって、道や店などもジモティなみになっているのだが、ここは初めて。羯南関係では手紙が一通あった程度だが、改めて原敬という人物にふれることができた。そういえば原敬もジャーナリスト出身なのだ。

 原敬記念館で主筆は後藤新平・斉藤実 生誕150年の情報を入手し水沢行きに興味を示し始めた。 せっかく東北まで来たのだからと、そこをまた察しないフリをして近所の鶯宿温泉へ。岩手・秋田方面の温泉にもだいぶ詳しくなったのだが、市内から近場ということではここは泉質・湯量・清潔さともに良くヒットである。

 御所湖を眺めながら戻ってきて、昼は昨日「早メシ」のリベンジとばかり、駅ビル・フェザンの最強回転寿司「清次郎」へ。2000円で新鮮な東北 海の幸を堪能して、解散。オツカレサマデシタ。主筆はやはり水沢で途中下車していたのですね。。。 かめたに
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by kuga-katsunan | 2007-08-09 13:04 | 紀行 | Comments(0)

東奥義塾

業務の合間に弘前デジカメシリーズ続けます。
今回の写真は追手門広場にある東奥義塾跡。
津軽藩の漢学の学塾・稽古館が明治になって英学中心の東奥義塾となりました。広場には旧東奥義塾外人教師館などもあり当時のハイカラなイメージが残っています。
「北のまほろば」でも津軽の人は物持ちがいいと書かれています。
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ここで米人教師ジョン・イング夫妻は生徒に大きな影響を与えたとされ、羯南の同窓にも伊東重・一戸兵衛・珍田捨己などがおり、優秀な人材を数多く輩出したとのことです。
この伊東重は前回の養生館の持ち主で(伊東梅軒とは血縁ではないらしいですが)後まで羯南と親しく手紙のやり取りをしていたことが書簡集などから見て取れます。
やまだ
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by kuga-katsunan | 2006-12-05 14:36 | 紀行 | Comments(0)

弘前史

弘前の続報です。
羯南を育てた明治初めの津軽は、遠隔地にありながらも文化水準が高かったと思われます。写真は吉田松陰が訪れた旧伊東梅軒宅で現在は養生園という明治以来続く幼稚園として残っています。
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手前が「松陰室」という座敷のある建物。後ろが幼稚園。この「松陰室」で羯南の有名な「名山出名士」の書が書かれたとされています。高木は実物を見せてもらえたとのことでしたが。。。
「北のまほろば」では「幕末以来、この室はよき人々を迎えた・・・津軽弘前史のよき光が、この部屋に満ちあふれてくるような気がした」と書かれています。
やまだ
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by kuga-katsunan | 2006-11-30 17:02 | 紀行 | Comments(0)

岩木山

弘前拉致組の山田です。羯南入門ということでまずは弘前へ。
秋だったので紅葉がきれいでした。
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写真は「北のまほろば」で「三層の天守閣が、津軽平野の支配の象徴ではなく、じつはこの天守閣は、神である岩木山に仕えている」と書かれている弘前城の本丸から望む岩木山です。(初ブログ投稿なのでうまく投稿できましたらこのときの写真を続報で入れます)

やまだ
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by kuga-katsunan | 2006-11-29 14:23 | 紀行 | Comments(0)

陸羯南没後百年記念企画展

弘前の郷土文学館では、来年の陸羯南の没後百年を記念して新年1月12日から12月まで通年で陸羯南の企画展を準備していらっしゃるようです。

内容は、陸羯南のゆかりの品、及び関連文献の展示など、現状鋭意企画中とのことです。
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by kuga-katsunan | 2006-11-26 01:14 | ニュース | Comments(0)

弘前と東京

弘前へは、通常ルートでは新幹線で東京から八戸、そこから在来線で弘前までが一般的です。

これ以外に、亀谷君の奥様の実家のある盛岡で途中下車して、高速バス:ヨーデル号で弘前まで直行することができます。

他に上野発の夜行列車で翌朝に弘前に着く、浜松町、品川からの夜行バスもあります。

いずれも、意外にも乗ってしまえば早い、というのが正直なところ。

もっとお急ぎの方は、飛行機で青森空港まで飛び、そこから弘前行きのバス、このルートは山田君が一度試しているので、彼の感想を待ちたい、と思います。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2006-11-26 01:07 | 紀行 | Comments(0)

陸羯南没後百年

2004年5月に<青木彰をゆく>の一貫で初めて訪れた弘前行も、今回の塚本君との北帰行で5回目になりました。

10月に鈴木君、11月の頭に山田君と、このところ詰めて通っていましたが、同じようなコースを辿りながらも、毎回新たな発見があるのもひとえに青木先生、司馬さんのお導きの賜物かなと思ったりもしております。(今回は青山県庁県史編纂室の方から、東京の大学の先生で今まさに陸羯南の伝記を準備されているとの御話をお伺い致しました。)

今年の初めに皆さんには、各位こんなテーマでいかがでしょう、という私案をご相談させて頂きましたが、内容は各位の持たれている固有のイメージで結構ですので、このブログを通じて適宜考えて頂ける一つのきっかけになれば何よりと考えています。

日々、忙しい本業の中で、なかなか時間をやりくりするのも難しいこととは思いますが、青木先生が何故、このテーマを我々塾生に残していかれたか、も考えながら、進めていければ、自ずと見えてくるものがあるのではないでしょうか。

折しも来年2007年は、陸羯南没後百年の年にあたります。このタイミングに、青木先生の御遺志のもと、なにほどのものでも手向けられれば、と思っておりますので、皆様も是非ご一考のほどを。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2006-11-26 00:13 | ニュース | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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