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合肥  李鴻章故居

 北京の李鴻章の邸宅が特定出来ないでいる。
彼の故郷、合肥に行く機会があったので、その家を訪ねた。
 合肥は、安徽省の省都、北京からは、高速鉄道で4時間、北京を出て、天津、済南を通って、次の停車駅が合肥だった。
 以前、上海に駐在していた頃、仕事で二回ほど行ったことがあったが、そのころ、2000年前後には、省都といえども、本当の田舎街で、外国経営のホテルもノボテルが出来て画期的、と騒がれていたレベルであった。それから12年、今回、高速鉄道の駅からタクシーでホテルに向かって驚いた。
 今や、高層ビルが立ち並び、高架道路も完備された近代都市となっていた。
 李大人の故居は、旧市街の中心地、観光客向けの歩行者天国の一角にあった。
 故居に行ってくれと頼んだタクシーの運転手は、歴史が好きなのかと聞いてくる。
下関の講和条約の時に、李大人を狙撃した男は、日本では英雄になっているのか、と厳しい質問をしてくる。講和交渉の使者を狙撃するのは、日本の感覚では英雄とはいえない、と答えると、日本の攻撃は奇襲が多いからな、と切り返してくる。
 一理あるので、つまっていると、目的地についた。
「ここで、よく歴史を勉強してくれ」
 と送り出してくれた。
 歩行者天国を歩いてゆくと、雨の朝とは思えない位、名所の前は人だかり。やはり合肥といえばここなのだろうか。
 どんな場所かは、昨年6月に行かれた方が、写真入りの詳細な旅行記を書いていらっしゃる。

http://4travel.jp/travelogue/10902052

 中国語のわかる方はこちらもご覧下さい

http://www.anhuitravel.com.tw/Anhui_Scenery/Anhui_Attractions/Attractions.aspx?cid=54&id=2967&t=1


 改めて、彼の生涯を振り返ると、清末の苦しい時期に、渾身の力を振り絞った政治家だったことがよくわかる。
 羯南たちが、北京で会った時も、義和団の乱、北清事変の後始末で苦悶している時期で、会談の内容が残っているわけではないが、実質的に明治天皇の名代でもある近衛篤麿一行をむかえ、日清戦争、北清事変と負けが連続している老大国を背負いながら苦渋の面談ではなかったかと思えてくる。
 羯南たちに会ったのが8月、9月に北京議定書を締結し、10月30日には大喀血、11月7日に亡くなった。78歳という長命、民族に尽くした生涯といえる。
 彼の伝記を書かれた岡本隆司先生が、彼の絶唱を引用している。
    「秋風の宝剣
     孤臣涙す
     落日の旌旗
     大将の壇
     海外の塵氛
     なお未だやまず
     諸君作す莫かれ
     等閑に看るを」   (岡本隆司 「李鴻章」 岩波新書 2011年11月)

 上海時代に、李大人の愛姫、丁香の邸宅だったレストランに何回か行ったことがある。
当時はその広壮さに、李大人を羨んだものだが、改めてその生涯を見る時、此の位はかるいものだと想い直してしまった。

たかぎ 

  

   
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by kuga-katsunan | 2015-11-07 23:05 | 紀行 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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