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ミシュレと司馬さん

 12月10日、立命館大学で開催される「近衞篤麿とその時代」というシンポジウムで近衞篤麿と羯南について話をさせて頂く予定です
 あれやこれやと準備をしている中で、学生時代に読んだミシュレを読み直してみたくなり、娘に北京まで持ってきてもらいました。
 パラパラとめくっているうちに月報が出てきて、この巻の編集担当の桑原武夫先生と司馬さんの対談が掲載されていました。ああ、こんなところにも、と司馬さんの足跡の広さに改めて感心。

 「フランス革命史」を読まさせていただき、驚いたのは、文章のうまいことですね

          (世界の名著 第37巻 ミシュレ 中央公論 1968年1月) 
 
 と冒頭で褒めています。もちろん、日本語訳を褒めているわけですが、桑原先生門下の多田道太郎、樋口勤一、京都大学人文研究所の両助教授が翻訳していたわけで、薫陶が行き届いていたことが分かります。

 興味深いのは、ミシュレの講義を聞いた詩人ハイネが
「ミシュレ先生は、学生のあいだで象徴先生と言われている」
 と伝えているエピソードです。

 「ミシュレは歴史のあいだから、ぴゅっぴゅっと象徴を選ぶのですね」

と桑原先生は語り、マラーを暗殺したことで歴史に名前を残している少女シャルロット・コルデの例をあげています

 「この子がほとんど白ずくめの着物を着ていたということ。その白のトーンにこの可憐なきむすめの純真な、清潔な愛国心の感じが出ているのです。純真とか可憐ということはひとことも書いてないですよ。」

 この話に司馬さんは

 「すぐれた象徴をつかまえることができるひとというのは、これはやはり天才ですね」

とうけています。

 司馬さんの作品を読んでいて、まさにこうした象徴をつかまえて、いろんな人物が生きかえってきているような場面があちこちにある。ミシュレを読みながら、こんな歴史の森の中にわけいっていた先人の歩き方を学んだりしていたのかな、と思ったりもします。

 たかぎ 
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by kuga-katsunan | 2016-11-07 02:17 | トピックス | Comments(0)

青木先生からの電話  ブログ開設一周年

 御蔭様でこのブログも開設から一年になり、ここで一度初心に戻って、私事にわたる部分もありますが、このブログの入口に立ち返ってみたい。

今考えてみると、やはりあの青木先生からの電話が始まりだったように思う。

 香港支店の5年の勤務から帰ってきて、国内の勤務にもだいぶ慣れたころ、中学生以来、長年の愛読作家の一人であった司馬遼太郎が亡くなった。
 たしか日曜の夜にテレビを見ていると速報のテロップが流れた。

  <作家司馬遼太郎氏 逝去>

 そのテロップを見て、不謹慎にも、私はあわてて近くの古本屋に駆け込み、未読の司馬作品を何冊か買い込んだ覚えがる。恥ずかしながらその時点では、青木先生と司馬さんとの縁がこんなにも深いものとは知らなかった。

 しばらくは、私も未読の司馬作品を読んだり、初期の作品をすずき君に頼んで探してもらったりと、司馬さんへの追想にひたっていた。
 そんなある日の午後、職場に青木先生から電話がかかってきた。何事かと思ってでた私に先生がいつもの調子で

 「たかぎ君、子規全集を探してくれないかな。
  すずき君に聞いたんだが、もうない、というんだ。」

 どうも、それが羯南への道の入口だったようだ。

 のちのち先生から直接お伺いしたり、<司馬遼太郎からの手紙>(朝日新聞社、この青木先生への取材も同窓のひのさんが手がけていた、というのは後から知った。)を読んだりすると、どうも先生が新聞社から大学の先生になるにあたって、新聞の先輩である司馬さんは、羯南の研究を勧めていたようだ。(このあたりの経緯は、先生の直系の愛弟子である、かざま君やいぬい君は、もっと詳しいと思うが)

 <司馬遼太郎からの手紙>には、司馬さんから青木先生への手紙がいくつか掲載されているが

 <たれか、講師をよんできて、
     <陸羯南と新聞日本の研究>
というのをやりませんか。
数人が、講師(臨時の)をやって、共同研究式にやって(多分に啓蒙的でも可)、大学の出版局から、軽装の本を出したらどうでしょう。
<陸羯南と新聞日本の人々>
でもいいです。
もしおやりになるなら、小生、学問的なことは申せませんが、子規を中心とした<日本>の人格群について、大風に灰をまいたような話をしてもいいです。露はらいの役です。>
(1986年12月28日 司馬遼太郎から青木彰への手紙)

と言われている。

 この手紙を読んで、青木先生も研究を始める気になり、知り合いの研究者の皆さんや、
はらだ君たち新聞の現場にいる人たちにも声をかけて準備されていた、という。

が、先生が一時期病気になられたり、協力する出版社などをめぐって頓挫してしまったようだ。

 そこへ、司馬さんの訃報である。

青木先生は改めて、<司馬さんからの宿題>、陸羯南の研究を準備され、その入口として、司馬さんが編集された<子規全集>から入ろうとされたのである。

 青木先生からの電話で、神保町、早稲田を歩いて、子規全集を探した。当時は今のようにネット古書店が発達していなかったので、居ながらにして日本中の古書店の商品の比較ができるようなことはなかったので、足で探すしかなかった。

 それから、次は、<日本の名著>の附録にあった読書案内の書籍を探し、そして明治文学全集の資料へと順番に広がっていった。

 とにかく、最終的には

<羯南文録>

<羯南文集>

が見つからなくて往生した覚えがある。

 司馬さんが青木先生に、青木先生が私たちに、羯南とともに、伝えたかったことは何だったのか、それを更に追及しよう、と、つかもと君は言う。

 時どき、はまぐち君に貰った青木先生の留守電のMDを聞いてみる。上海から電話をしたときにも聞いた、御馴染の留守電である。

 <はい、青木です
  只今留守にしております。
  恐れ入りますがピーと鳴りましたら
  お名前と御用件をお話ください
  有難うございました>

  ああ、青木先生は留守なのだと思う。

  今日も留守なのだ。

 でも、私は、今でも、突然、青木先生から、電話がかかってくるような気がしてならない。

 このブログは、皆、今は不在の青木先生に向けての手紙のつもりである。

今度お会いする時には、少しは、司馬さんと青木先生の羯南についての会話についていけるであろうか。


たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-11-24 07:50 | トピックス | Comments(0)

陸羯南の書①

陸羯南の書について述べたいと思う。

当時、毎日筆を持って字を書くというのは、生活の一部であり、特に陸羯南にとっては、他の人達よりも格段に筆を持つ時間が多かったと思う。

原稿をはじめ、手紙、それに漢詩に至るまで、たくさんの羯南書になるものが残っている。
今回、弘前を訪れ、9月の1日から2日にわたり、生誕百五十年没後五十年の記念イベントに参加して、またさまざまな展示物を見て、いかにも書は人を著すものである。との感が深まった。

ここで断っておくが、書の概念については、私個人の観点であるということを述べておきたいと思う。

羯南は、ジャーナリストであり書家ではない。言葉による表現は、どこまでも、言葉自身によって表現を貫くものであるが、饒舌家ではなかった羯南にとって書とは、言葉を紙に記す事により、より忠実に伝達するためのものであったと思う。どの書幅や手紙文を見ても、羯南の書く文字からは、実直であり、力強さを感じさせる。

下の写真をごらんいただきたい。羯南が竹間の友である、伊東重の家で、請われて書いた漢詩である。書法からいうと、少しうねうねとうねる和様書法で、固めの筆で書かれたことが伺える。

名山出名士 此語久相伝 試問厳城下 誰人天下賢
(名山 名士ヲ出ダス/此語 久シク相伝フ/試ミニ問フ厳城ノ下/誰カ人天下ノ賢ナルゾ)
意味としては、「名山の見える土地は素晴らしい士を出すという。このことばが世に行われて久しいが、しかし試みに問うに岩木山の秀峰を見るこの弘前城下から一体どんな天下の賢がでたろう。」(司馬遼太郎「北のまほろば」)

書体は行書で、全体に筆圧が強く、親友に頼まれ一気呵成に書かれたことがよくわかる。
書き出しの「名」「伝」「人」の三文字が大きくなっており、気持ちを強く込めて書かれている。
いかにも、豪放磊落で威厳のある筆運びである。また、他の作品と比べると、羯南の文字が大きく、落款もないことから、親友の勧めに、快く応えて清々しく書いたことが伺える。人を愛し、慈しんで生きていた羯南ならではの作品と言える。

現在は、岩木山が望め、弘前の街並みを見下ろす、狼森鷲ノ巣に、羯南を敬慕した故鳴海康仲氏が、この碑を建立し、天下の賢人の輩出を見守っている。

今後も少し間はあくだろうが、羯南の書について、思いつくまま書き綴りたいと思う。  
ささはら


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by kuga-katsunan | 2007-10-28 18:00 | Comments(0)

岳 みんなの山 

 むろたさんの御紹介で、築地の新聞社の方に、新聞日本との関係についてお話をお伺いした。帰りに、折角なので築地で反省会を開いた。

 遅れてきたひろかわ君が、

「先日、マンガを読んでいたら、突然、陸羯南が出てきたので、驚きました。」
とのこと。

早速帰りにそのビッグコミックオリジナルを買って読んでみた。
作者は、石塚真一、作品は<岳 みんなの山>である。この作品、主人公の山岳パトロールの三歩の飄々としていながら芯の強いキャラクターが印象深く、掲載されている時は楽しみなシリーズだが、今回はある大学の山岳部がメインになっている。

新人歓迎登山の夜、先輩になぜ山を選んだのかを尋ねられて新入生が突然

「名山名士を出だす

 この話久しく相つたう」

と語り始める。驚く先輩部員に対し、

「僕の地元出身の陸羯南って人の言葉で、つまり・・・・

いい山はいい人を創るって意見です。」

(石塚真一  <岳  みんなの山>ビッグコミックオリジナル 2007年5月5日号  小学館)

 石塚真一という作者については、くめた君に聞くとして、この漢詩は、前に弘前の松蔭室の項で触れたように、羯南のもっとも有名な作品である。

 司馬遼太郎も<街道をゆく  北のまほろば>の中で触れている。

この羯南の漢詩の話になって、同行の

「菊池正浩氏が急に津軽風の含羞を刻んだ笑顔を伏せた。

<この詩は、つらいです。>

きくと、菊池氏が弘前高校時代、先生からこの詩を引き合いに出されて奮起をうながされていたという。」

(司馬遼太郎 <街道をゆく  北のまほろば>朝日文庫  1997年9月)

  風土というものが、精神形成に大きな影響を与えるとすれば、朝に夕に、岩木山という名山を仰ぎ見ることは、一つの<志>を養うことになるのかもしれない。

  満開の桜の向こうに、雪を頂く岩木山を望む、というのはたしかに、<北のまほろば>ならではの絶景、といえよう。この風土で、青春を過ごせる方々が大いに羨ましく思えるのは私だけであろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-04-30 17:49 | トピックス | Comments(0)

司馬遼太郎記念館友の会東京講演会

東京・内幸町の日本プレスセンタービル10階ホールで「司馬遼太郎記念館友の会東京講演会」が行われ、わが青木塾・陸羯南研究グループも特別参加。
今回は司馬遼太郎の義理の弟であり、記念財団専務理事記念館館長である上村洋行さんの講演。
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テーマは「坂の上の雲」

現在、同小説をめぐっては2つの大きなイベントが佳境に来ているという。

ひとつは本の舞台である松山市が「坂の上の雲」を題材に街づくりに取り組んでおり、その中心である「坂の上の雲ミュージアム」の開館が4月に迫っている。
このミュージアム。毎年テーマを変えて展示を行うそうで、現在記念館のスタッフが監修として参加している。

もうひとつはNHKのスペシャル大河ドラマ。2007年秋から撮影に入り、2009年から3年間にかけて合計15本をオンエアするという壮大なもの。だが、原作のもつニュアンスが伝わるよう、ストーリーの打ち合わせで月2~3回は脚本家と会っているとのこと。
どうしてもドラマを盛り上げるために恋愛シーンなどが強調されてしまうので、そのような場合は修正をおねがいしているという。

【未亡人の福田みどりさんも上村さんも、かねてから「坂の上の雲」の映像化には非常に慎重だった。一方NHKは何年もかけて交渉を続けてきた上でのことで、上村さんたちの懸念は十分理解していると思う。
しかし放送の最終年はアナログ停波の2011年。NHKのポリティカルな道具にならなければ良いがと。同業者であるが故の余計なお世話か。。。】

さて、きょうの講演である(とちょっと司馬遼太郎風)。

上村さんによると、司馬遼太郎は正岡子規が好きでこの物語をかいたという。
「坂の上の雲は近代化がテーマでした。日本語の近代化という意味では正岡子規と夏目漱石が果たした役割が大きいのです」
「日露戦争に突入するまでの30年間を礼賛するつもりはありませんが、この時代を生きた人たちの感覚は知る必要があるのでは。そういった意味においても特に若い人たちにこの本を読んでもらいたい」

その上で上村さんは正岡子規の育ての親である陸羯南についてこう語った。
「正岡子規をここまで包み育てた陸羯南の研究を、司馬は同じジャーナリストであり数多の教え子を育てた青木彰さん(注)に託したのです。そして青木さん亡き後、この研究が教え子である青木塾の人たちに引き継がれているのです。」

あらら、コアな司馬ファンの集まりで披露されてしまった!

陸羯南を研究している人、グループはほかにもいる。しかし司馬遼太郎直系で研究に携わっているということが、公認になってしまったのだ。

もう逃げられない。われわれはたかぎ研究主幹とともに一方通行の陸羯南道に突入したということだ。
ライターの皆さん。お覚悟を。

つかもと

注)青木彰は産経新聞から筑波大学教授に転進。同大学のマスコミ志望者を自宅で指導し、12年間で200人以上の教え子を世に送り出す。内80人は現在もマスコミやジャーナリズムの世界で活動中。この「青木塾」OBが、このブログの執筆の中心にいる。
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by kuga-katsunan | 2007-03-10 20:54 | ニュース | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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