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タグ:中村不折 ( 8 ) タグの人気記事

日華出版社  藤井石童

  今年は、新聞日本に縁の深い画家、中村不折の没後70年にあたる。

 不折の資料を少しづつ見ていくうちに、日華出版社の昭和美術百家選の中の、中村不折を見る機会を得た。

  筆者の藤井石童こと、秀五郎の巻頭が面白いので紹介させていただく。

「余が四十余年前、故福本日南の紹介により新聞「日本」の客員として海外事情を同紙に発表したことがある。

  其前後に画人不折の挿絵を同紙に見て初めて彼を知った。
 
  それより十余年を経て支那大陸生活に別を告げ、東都に筆陣を張り、各種述作の刊行に入り、親しく不折其人に接し、晩年美術評論紙を経営する様になり、益々認識を深めて来た。」

(藤井石童「中村不折」日華出版社、昭和16年10月)

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2013-06-23 07:44 | トピックス | Comments(0)

旧上伊那図書館所蔵 新聞日本

  青森の羯南会の関係者でもある東奥日報の方から、新聞日本の所蔵情報をお教えいただいた。

長野県の旧上伊那図書館に日露戦争期間の新聞日本が所蔵されているという。

 以下は頂戴したメールのご紹介。

 「旧・上伊那図書館
(上伊那教育会が昭和5年に設立した財団法人の図書館でH6まで伊那市立図書館でもあった)収蔵。

  日露戦争期、明治37年1月から明治38年12月までの日本新聞社「日本」を綴じて合本したもの。
  
  この時期の発行人は陸羯南と共に正岡子規逝去後に「子規言行録」を編んだこともある小谷保太郎という人。

   日露戦争実記(日本新聞合冊)
第一巻 M37.1.1-3.31 開戦
第二巻 M37.4.1-6/30 汽航全州丸及常陸丸の惨事
第三巻 M37.7.1-9.30 大山総司令官出発 旅順背面攻撃
第四巻 M37.10.1-12.31 露国東洋艦隊全滅 海軍司令長官東郷大将帰国
第五巻 M38.1.1-3.31 陸軍大激戦大勝 旅順開城並奉天付近会戦
第六巻 M38.4.1-6.30 日本海大海戦敵艦全滅 米国大統領講話勧告公表
第七巻 M38.7.1-9.30 平和克復 国民大会 国民憤慨 日英同盟
第八巻 M38.10.1-12.31」


  この建物は建築としても貴重なもので、ブログで紹介されていらっしゃる方も多い。

市の指定、有形文化財で、洋風建築、平成 20年8月27日に指定された。1930年(昭和5)の建築で、伊那市荒井3520にある。
床面積1,330.13平方メートル、鉄筋コンクリート造(一部木造)、4階建、
文化財概要によれば、

「昭和5年に完成した建物で、当時の長野県内において鉄筋コンクリート造に実績のある黒田好造が設計し、岡谷組の施工によって建てられた。

大正末期から昭和初期の思潮を良く反映した近代建築である。

外壁には地元高遠焼きのテラコッタタイルが使用されるなど、貴重な昭和初期の洋館である。実業家・武井覚太郎の厚志によって建てられた」

  伊那は、新聞日本出身の画家、書道家の中村不折の故郷である。

 今年は、不折の没後七十年にあたる。

亡くなった昭和18年は、言うまでもなく太平洋戦争中である。

 不折は根岸の羯南の旧宅の向かいに住んでいたが、この辺りは昭和二十年五月十三日の空襲で焼失した。

 羯南の旧宅もその隣家の子規の旧宅も、そして向かいの不折の旧宅の大部分も焼失した。

羯南の次女と結婚した鈴木虎雄も今年没後五十年になるが、その空襲による焼失を嘆き漢詩を読んでいる。

  「陸羯南先生故宅

    二十一日作 乙酉五月十三日夷機来襲

    東京羯南先生故宅及子規庵皆帰灰燼

    故宅在下谷区上根岸八十三番地

    子規庵在隔隣南鶯横町


  鵲去鳩来憾有餘

  子規庵北臥龍廬

  蓮池竹塢成焦土

  不滅文章照劫壚  」
  

  伊那の諸氏は故郷出身の中村不折の活躍を読んだのかもしれない。

  日本画報の前身である日露戦時旬報も諏訪の図書館で見つかった


  桂湖村、鈴木虎雄の故郷である新潟の図書館にも新聞日本が多く所蔵されているという。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2013-02-10 08:27 | ニュース | Comments(0)

犬骨坊と南八

 3月25日の日本経済新聞のコラム「風見鶏」には、羯南が明治29年の三陸津波に際して特派員を派遣して報道したことが紹介されている。

 特派員に動行した画家は、中村不折だったが、特派員二人、ペンネームで現地の様子を書き送った犬骨坊とは、松山出身の五百木瓢亭であり、南八は、青森出身の浅水又次郎であった。

 五百木は、松山の士族出身、松山医学校で医学を学び、医師の資格をとった医師であった。東京に出てから子規と句作に親しんだ。
 日清戦争で召集、その間に新聞日本に「従軍日記」を連載、犬骨坊はその際のペンネームだった。

愛媛県史の資料によれば、帰国後除隊し、日本新聞社に入社した。
 この津波の折には、編集部の社員だった。

たかぎ

 
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by kuga-katsunan | 2012-03-25 18:26 | トピックス | Comments(0)

書道博物館への道

 上京したささはら君に誘われて青木先生のお墓にお参りした。

ひどい雨だったが、二人とも最近の様子、塾生諸氏の活躍をひとしきりご報告し、なぜか非常にすっきりした気持ちになった。

せっかく学生時代に書を専攻したささはら君なので、飛行機までの時間を書道博物館に案内した。

 書道博物館は根岸の陸羯南、正岡子規の家の向いにある。

ここは、新聞日本、小日本の挿絵画家などで活躍した中村不折の旧宅なのである。

不折は、明治27年浅井忠の紹介で子規と出会う。

「その時の有様をいへば、不折氏は先づ四、五枚の下画を示されたるを見るに水戸弘道館等の画にて二寸位の小さき物なれど筆力勁健にして凡ならざる所あり。

而してその人を見れば目つぶらにして顔おそろしく服装は普通の書生の着たるものより遙かにきたなき者を着たり、

この顔この衣にしてこの筆力ある所を思へばこの人は尋常の画家にあらずとまでは即座に判断し、その画をもらひ受けて新聞に載せる事とせり。

これ君が新聞にあらはれたる始なり。」

正岡子規「墨汁一滴」

 子規27歳、不折29歳、二人の若き天才の出会いであった。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2008-06-07 06:50 | トピックス | Comments(0)

不折の<支那絵画史>

 <支那絵画史>というとどうしても内藤湖南の浩瀚な作品を思い出してしまうのだが、中村不折にも同題の著書がある。著書といっても実際は共著者の小鹿青雲という、僧侶で中国に実際に住んで現地の絵画を研究した人物の著作に校閲をした形のようだ。

 大正2年発行の書籍にしては、非常に保存状態がよく、そのうえ、中国絵画の写真も20枚ほど掲載されている、という愛蔵版だが、表紙をあけるといかにも不折が書いたと思われる題字が並んでいる。今も生きている新宿中村屋や長野の清酒・真澄のロゴは、実は皆オリジナルは不折の製作ということだ。決して達筆とはいえないなかに、味のある字が並んでいて、一字一字が自己の存在をアッピールしているようだ。

 不折については、同郷人の諏訪のたけい先生にお願いしてあるので詳細は譲るが、この本、 内容は中国絵画の歴史を漢以前から説き起こし、清朝まで通史する手法だが、最後までめくって奥付を見ておどろいた。

 出版社は、玄黄社というところになっているのだが、その住所が神田区雉子町32番地となっていた。この住所はたしか、と思い、帰宅して日本新聞社が出版した本を探してみた。

 23番地だったかな、とも思ったのだが、やはり日本新聞社も32番地であった。大正2年といえば羯南既に亡く、伊藤に譲渡された同社もたしか出火して移転した、と読んだ記憶がある。その後の同じ場所に出版社があり、そこから不折が本を出していたとは。

 編集のために何度か足を運んだであろうが、その時、不折の胸に去来するものは何であったのだろうか。発行者は鶴田久作となっている。彼と往時の日本新聞社の賑わいを話あったのであろうか、今となっては知る術もない。
嗚呼・・・。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-06-23 07:49 | トピックス | Comments(0)

羯南の娘たち

  <日本の名著>(中央公論社、昭和46年)のシリーズの中に、陸羯南・三宅雪嶺、とする一巻がある。

  その解説は、早稲田大学の鹿野政直による<ナショナリストたちの肖像>という文章だがこの<ナショナリスト>という意味を筆者がどのようにとらえていたかは難しい。もし通常のナショナリストであれば、この解説はその入口で方向を誤っていたのでは、と思いたくなる。明治期の国粋主義と昭和期のナショナリストはやはりその意義は異にするものと考えたほうが良いのではないだろうか。

 そこにはいくつかの写真が引用されているが、<明治29年の日本新聞社の人々>(中村不折が羯南の十三回忌に配ったもののようだ)の写真も貴重だが、昭和38年に撮影された羯南の娘たち、とする写真も素晴らしい。

 羯南には、七人の娘があったが、この写真には、何とそのうちの六人が元気そうにうつっている、その長寿や、大慶の一言あるのみである。
この娘のなかで、具体的に、父羯南を語っている人がいる。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-06-03 21:57 | トピックス | Comments(0)

俳人から医師へ  露月 石井祐治

  医師をやめて俳人になった五百木飄亭がいれば、俳人でありながら病弱であったため、結果自らが医師となった新聞日本の記者もいた。
  露月こと石井祐治である。

  露月の出身地である地元秋田市教育委員会の紹介によれば

<明治6年5月17日~昭和3年9月18日。
秋田市雄和女米木出身。
正岡子規門下で高浜虚子・河東碧梧桐・佐藤紅緑とともに、子規門四天王と称された、日本派俳壇の巨匠です。>

 (秋田市教育委員会雄和公民館 HP)

 露月は子規との出会いの回想に、<小日本新聞社>、<日本新聞社>への入社のいきさつを書いている。
 もともと文学を志望して秋田から上京したのだが、坪内逍遥に、文学には、天才と資本が必要、と断られてくさっていた。そこへ友人から子規の従兄弟である藤野古白を紹介され、その縁で子規にあうことができた。

<余は小日本社編集局の一隅に居られる事となって、大得意で浅草の医家を引払った。
(中略)
先づ来合わした不折子のために忽ち余の似顔を壁上に貼られた、そこには子規君のをはじめ社中の皆々のが同じく貼られてあった。
(中略)
 余は飄亭即ち当時の艶種記者たる五百木氏に属して普通の小雑報書きとなった。>
(<吾家の子規居士> 明治35年11月9日  俳星  第三巻第八号)


 子規、不折、そして飄亭と、まさに役者がそろっていた。新聞<小日本>には若手が自由につくる、瑞々しい雰囲気があふれている。

  <桃の酒 さめて桃散る 日暮れかな   露月>

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-05-12 08:45 | トピックス | Comments(0)

中村不折  書道博物館と新聞日本  その一

 鶯谷の駅を降りて山手線の外側へ少し歩いたところに羯南の旧宅のあった場所がある。その隣が子規旧宅であったことは有名で、<仰臥漫録>をはじめとして子規の随筆のなかにもよく出てくる。
 今は、子規旧宅も羯南の旧宅も、昭和20年のアメリカ軍の意図的な非戦闘員への大空襲で焼けてしまい(その際に羯南の資料もほとんど焼けてしまったという)現在の子規庵は戦後再建されたものであり、羯南の旧宅のあった場所は近代的洋風家屋となっている。

 その向かいに古風な洋館がたっているのは気がつきにくいが、この入口には<書道博物館>との表示が右書きの石文字で残されている。
ここが、中村不折旧宅であり、彼がたてた書道博物館である。ここは空襲にも耐え戦前の姿を残している。昨年は、彼の生誕140周年で、揺籃の地である長野とこの旧宅で<中村不折のすべて展>が開催された。

 画家であり、書家であった彼も日本新聞社の社員の一人であった。明治29年に撮影された日本新聞社の社員の集合写真の中に羯南のすぐ上にうつっている。

明治27年、彼は、浅井忠の紹介で当時、小日本の挿絵画家を探していた子規に紹介されたのである。その出会いの時の様子を子規は<墨汁一滴>の中に描いている。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-01-21 23:58 | 紀行 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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