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<羯南と古島一雄>(93) 私立大学評判記(その82)

 前回(2015年12月)から4か月も経ってしまい失礼しました。その前回「私立大学評判記(二十六)慶応義塾の学風(二)」の最終回で、伊藤欽亮に触れた。われわれにとって彼は、陸羯南から新聞「日本」を譲り受け社長となったにもかかわらず、三宅雪嶺以下、ほとんどの社員を追い出し、その後、新聞「日本」を葬った張本人としか映らない。

 しかし一方で、彼は当記事に登場するように、世間では高く評価される人物であった。彼はいったいどのような人間であったのだろう。少し詳しく調べてみたい。

 明治42年(1909年)に、実業之世界社から発行された『慶応義塾出身名流列伝』(以下『名流列伝』と記載)という本があり、そこでは当時、慶應義塾を出て、実業界はじめ各界で活躍する480名が登場している。ここに伊藤は日本新聞社長として、顔写真入りで2ページにわたって紹介されているのである。この『名流列伝』と、慶応義塾大学准教授の都倉武之氏がWeb版に書かれた「伊藤欽亮の時代」(『時事新報史』)を参考に、以下、伊藤の人物をまとめてみよう。

 まず伊藤の経歴について『名流列伝』では、次のように述べられている。

 「安政4年8月山口県阿武郡萩町に生る。郷里の小学校を卒業するや法律研究の目的を以って東上せり。是れ明治8年にして爾後其研鑚に身を委ね、其後慶応義塾に入る。」

 生年は陸羯南と同じである。上記では、小学校卒業後、明治8年(1875年)に法律研究の目的で上京と簡単にしか記述されていない。しかし、都倉氏によると、まずは海軍士官を夢見て上京し、近藤真琴の攻玉社に学んだとある。近藤は日本の航海術の基礎を築いた人物であり、彼を慕って彼が創設した中等学校である攻玉社へ入学したようである。

 しかし、理由は不明であるが、海軍の夢をあきらめ、明治10年(1877年)6月に慶応義塾へ転じたのである。ちなみに、明治10年6月といえば、西南戦争のまっただ中である。伊藤は当時19歳であった。
 
 慶応義塾では同級生に犬養毅がいた。また、伊藤は在学中、数学の成績が抜群で、毎回満点をとっていたという。もともと論理思考、科学的思考に強かったことがわかる。経営者としては適性があったようだ。

 また、犬養らと「猶興社」という団体を結成し、条約改正問題を盛んに議論し、演説会を行ったとのことである。政治問題に関心が高く、主導的にも行動していたようである。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2016-04-30 10:04 | その他 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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