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<羯南と古島一雄>(89) 私立大学評判記(その78)

 今回から「私立大学評判記(二十六)慶応義塾の学風(二)」に入る。
 古島一雄は、まず素町人主義への反論を次のように述べる。

 「試みに新銭座時代に見よ。障子は破れて之を繕ふ松下禅尼もなく、品川帰へりの王郎は時々剣を抜き畳を斫て莫哀を歌ふ。朱鞘の大刀は斜めに壁間に掛けられ、焼藷の皮は貧乏徳利と伍して机上に堆し、トコトンヤレ節でザツトのイツトを読む毛脛の偉男子もあれば、夏になれば屁子一貫の赤裸々にてウエーランドの経済書を輪読する連中あり。」

 慶應義塾大学がまだ新銭座にあったとき、塾生は士族出身であり、帯刀していたようである。身なりにかまうことなく、ひたすら勉学に励んでいた様子がうかがえる。勇ましくも可笑しくもある。

 「砲撃一発東台の天に轟くや塾に在るものは只だ小泉信吉のみ。アトハ面白半分の戦場見物、帰へり道でのおでん燗酒に余勇を鼓して兵児の謡を歌ふもあれば、附焼団子の弾丸に黒砂糖の硝薬、是は近頃の脇差と自ら酬ゆる下戸もあり。夜は横丁の黒犬を斬りて腕前を試めし、朝は夜着を被つて天下の前途を諭す。」

 戊辰戦争で上野が戦場となったとき、塾生はみな面白半分で見物に行ったのだが、小泉信吉一人だけが学校に残って勉強していたという。しかし、天下国家を論じあったとあるように、政治への関心が高かったことがわかる。    

 「之を前にして小幡篤二郎あり、松山棟庵あり、之を後にして荘田あり、吉川あり、朝吹、永田、肥田、門野、岡本、草郷、九鬼、渡邊、濱野、中上川、小泉等あり、先生は三百年の当弊を打破せんと意気込み。生徒は時代の暁鐘たらんとす。群豪雲の如く意気天を衝く。此時に当て彼等の塾中、果たして一個素町人的根性を有せしものありし乎」

 学生には逸材がそろい、彼らは時代の政治変革を目指していた。したがって、慶應義塾大学は素町人主義とは言えないと、古島は結論づける。

 ちなみに、ここに登場した人物を紹介しておこう。小泉信吉は塾長を務めた人物で、実業家(横浜銀行支配人)でもあった。小幡篤二郎は塾長となり、福沢諭吉の片腕であった。松山棟庵は慶應義塾医学所校長となり、東京慈恵会医科大学の創立者でもある。荘田は荘田平五郎のことであり、三菱財閥の重鎮であった。

 吉川は吉川泰次郎であり、実業家として日本郵船二代目社長となった。朝吹は朝吹英二のことであり、三井財閥の「四天王」と呼ばれた。永田は永田一二であり、ジャナリストとして数社の新聞社の主筆を務めた。肥田は肥田昭作のこと、文部官僚となり、東京外国語学校(東京外国語大学の前身)校長となった人物である。

 門野は門野幾之進のことであり、慶応義塾で教頭を務め、後に千代田生命保険初代社長となった。岡本は岡本周吉であり、本名を古川節蔵といい、慶応義塾初代塾長となった。草郷は草郷清四郎のことであり、実業家である。九鬼は九鬼隆一のこと、文部官僚として重要な役割を担った。

 渡辺は渡邊治のことであり、大阪毎日新聞社長となった。濱野は濱野定四郎であり、塾長を務めた。中上川は中上川彦次郎のことであり、三井財閥で「三井中興の祖」と言われた人物である。

 政官財各方面へ、時代を動かしていた人物たちである。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2015-09-26 11:17 | その他 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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