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梁啓超の墓参  その2

梁啓超は、清朝末期、政治家、ジャーナリストで、その師であった康有為と
共に、1898年の戊戌の変に敗れ、日本大使館に助けを求めて日本へ
亡命した。結局辛亥革命の翌年の1912年に中国へ戻ったが、その間に
日本で受けた影響は大きなものがあったものと言われている。

亡命期間中に、日本の種々の人々と交友したが、その中に羯南もいた

細かい資料は、日本においてきてしまったので、ここでは割愛するが
興味を持たれた方は、彼の年賦や、<共同研究 梁啓超>
また、中国の研究者の方の最近の研究をご参照頂ければと思う。

犬も歩けば、ではないが、こんな形で、羯南にからむ
北京を紹介していければ、と思っている。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2014-06-29 22:47 | 紀行 | Comments(0)

梁啓超の墓参  その1

家内が慰問に来てくれたので北京の郊外にある植物園に出かけた

香山という地域で北京の北西にあり、大学地域、頤和園を抜け更に北西に上がる
もともと秋の紅葉が有名な地域だ

香山紅葉好

かって留学した時に教科書にもその美しさを謳う文章が載っていた

広大な植物園の奥に臥仏寺という釈迦の涅槃像で有名な寺がある
今はその寺を覆い包むように、植物園が形成されている

雨上がりの早朝、まだ人もまばらな植物園を奥に進んでいくと
<梁啓超墓>の指示板があった。
こんなところに、という意外の思いもあり、指示板のさすままに
進むと石づくりの大きな墓である

建築家であった息子の設計による、という墓石だが、なにやら
20世紀初期のヨーロッパの建築様式も感じさせる。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2014-06-29 22:40 | 紀行 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(75) 私立大学評判記(その64)

 「私立大学評判記(二十二)慶応義塾と高等商業学校(下)(三井に於ける両校の混戦)」が続く。
 古島一雄は、中上川彦次郎と益田孝の派閥抗争を具体的にまず以下のように語る。

 「中上川氏は銀行を自家の本営となし、波多野氏を挙げて之が副将たらしめ、更に朝吹氏を護らしめ、高橋氏を挙げて呉服店を監せしむ」

 波多野氏とは波多野承五郎のことであり、三井銀行の理事であった。また、朝吹氏とは朝吹英二であり、三井財閥の鐘ヶ淵紡績や王子製紙の役員を歴任した。高橋氏は、三井銀行に入社後、三井呉服店(三越)に移り経営改革を断行した高橋義雄のことである。いずれも慶応義塾卒で、福沢諭吉の愛弟子である。

 次に古島は三井銀行には次のような慶応義塾卒の人材がいたとして紹介している。それは、大阪支店長平賀敏、横浜支店長矢田績、神戸支店長小野友太郎、広島支店長柳荘太郎、長崎支店長丹幸馬、三池支店長高山長幸、深川支店長、岩本述太郎である。
 さらに、三井呉服店に日比翁助、本店秘書係長に安富衆輔、本店出納係長に坪井仙次郎がいた。

 一方、益田の率いる三井物産については、高等商業学校卒業の以下の面々がいたとする。竜動支店長小室三吉、香港支店長犬塚信太郎、大阪支店長福井菊三郎、新嘉坡支店大野市太郎、横浜支店北村七郎、口ノ津支店河村貞二郎、京城支店小田切捨次郎、芝罘支店長平野寛一郎。

 また、本店石炭課長に河村良平、参事に藤瀬政次郎、福井邦太郎、東京支店に田村実、中山兵馬、大庭敏太郎、大井寛治、さらに芝浦製作所に太田黒重五郎、同族会に成瀬隆蔵がいる。

 そうして、以下のように語っている。

 「此の如く両軍の英士猛将綺羅星の如く各々其陣地を扼して砲列を敷きたりしが故に、中上川対益田の争は一転して慶応義塾対高等商業の争いとなり、三井なる大会社は今や此二校競争の犠牲に供せられんとするの奇観を呈したり」

 しかしこの派閥抗争が三井財閥にとって、決してマイナスにはならなかった。古島は次のように述べる。

 「然れども此競争は陰険なる卑劣の競争にあらずして、実力の競争となり、革新の競争となりしかば、大改新を要せし三井其物に取っては千載の好機たりしやも亦た知る可らず」

 中上川・益田抗争は正々堂々の、イノベーションの競走であり、三井財閥の発展期にあって大いにプラスに働いたのであった。

 
 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2014-06-28 11:14 | その他 | Comments(0)

〈北京〉

5月下旬に北京に赴任してから、1ケ月がたった。早くも盛夏が続いているが、その分、空気はまずまず。

羯南は、明治34年7月から8月にかけて 近衛篤麿と一緒に中国、朝鮮を歴訪している。

113年前の、彼らの旅の足どりを辿る試みは、2011年から続けてきた。

今度は腰を落ち着けて、これまで行けなかった足どりの細部を解き明かしてみたい。 

 たかぎ
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by kuga-katsunan | 2014-06-25 23:42 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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