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<羯南と古島一雄>(73) 私立大学評判記(その62)

 「私立大学評判記(二十一)慶応義塾と高等商業学校」も今回が最終回となる。

 矢野次郎は18年間にわたりトップとして高等商業学校の発展に尽力してきたが、しかしながら当校での最後は、不幸にも追い出されるように去ることとなった。

 直接の契機は明治24年(1891年)の定期試験騒動であった。試験科目の地理と簿記について、本科2年生がそれは本来、補習科の性質のものであるとし、試験科目から除外するよう陳情したが、学校側はこれを認めず、学生側全員の試験ボイコットに発展した。これが矢野校長の辞職勧告に及び、ついに明治26年(1893年)、校長を追われることになった。当時、49歳であった。

 実は、この事件の伏線には、次の2つのことがあった。ひとつは、矢野の独断専行への反発である。彼は初代校長就任以来、長年にわたって君臨し、学生の卒業許可や就職先を彼個人の意見で決定したので、それに対する学生側の反発が高まっていた。また、教員の中にも矢野の専制に不満を持つものもいた。

 もうひとつは、学生側の書生派と前垂派の対立があった。書生派は天下国家を論じようと気概のある一派であり、一方、前垂派とは商家の若旦那を気取った学生一派である。書生派は、当時の不平等条約の下での日本の貿易が外国人商人に壟断されていることに憤慨し、専門知識を得ることで対抗すべく商業教育の高度化を要求していた。

 だが矢野の教育方針は「あくまで前垂式商業教育の技術的方面に習熟した学生、人に使われる人間を養成すること」にあり、教育内容も実用中心であった。ここにも学生の不満が充満していたのである。

 矢野は初代校長から度重なる廃校の危機があったのにもかかわらず、私財を投じてその危機を乗り越え、当校を発展させてきた。彼にとって当校は自分の分身のような存在であったであろう。

 往々にして長期にわたりトップに居座ることは、独断専行となりがちであり、矢野もその例外ではなかった。その後、矢野は日本麦酒株式会社取締役など歴任し、明治39年(1904年)には貴族院議員となっている。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2014-04-28 10:16 | その他 | Comments(0)

劉鉄雲と羯南

 樽本照雄先生に、

 <劉鉄雲「三代瓦豆文」「秦漢瓦当文」跋について>

という文章がある。

少し長くなるが、引用させていただく。

「前に掲げたのは、劉鉄雲に関する新出資料である。
日比野丈夫氏よりご提供いただいたものだ。
氏のお手紙に次のようにある。

 陸羯南が中国へ行った時、劉鶚から贈られた「三代瓦豆文」「秦漢瓦当文」の二冊をもっております。
鈴木豹軒先生旧蔵のもので、辛丑六月(明治三十四年)とあり、一度、羯南全集などを調べたいと思いながらそのままになっておりました。
『清末小説』10号のリストにはその名が載っておりませんので、一文したためました。

 瓦豆文、瓦当文ともに一冊で、それぞれ拓本を綴じたものです。瓦当文の方は一つひとつ自筆の解説がついております。ともに開巻第一葉に自筆で書いたもので、瓦豆文の方には年記がありませんが、瓦当文と同時の筆であることは間違いないと思います。

 以上の説明で充分のような気がするが、最小限の補足をしておく。」

 日比野丈夫先生は、京都大学に学ばれたので、羯南の娘婿の豹軒鈴木虎雄の教授も受けていたと思われる。
 虎雄は、この書を羯南の形見として、もらったのだろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2014-04-26 07:54 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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