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<羯南と古島一雄>(67) 私立大学評判記(その56)

 間が空いてしまって申し訳ない。今回は「私立大学評判記(二十)慶応義塾大学部(五)四校理財科の比較」の後半に移る。

 古島一雄は、次のように指摘する。

 「其出身者が如何なる方向に配置分布せられたるやを吟味すれば殊にその本質なるものあるを知る」

 つまり、慶応義塾大学、早稲田大学、高等商業学校(現・一橋大学)、専修学校(現・専修大学)のそれぞれのカリキュラム違いは、卒業後の進路として顕著にあらわれているというのである。

 慶応義塾大学の進路については、以下のとおりである。
 
      銀行                   231人
      会社                   440人
      独立して商業を営むもの       151人
      自家に在て諸種の事業を営むもの 132人
      官吏                    94人

 銀行や会社へ進む者が全体の6割、また、「独立して商業を営むもの」という現代でいえば起業家が15%を占めていた。当時は民間企業数自体が少ないということもあるが、チャレンジ精神も旺盛であったといえるだろう。

 そして、「自家に在て諸種の事業を営むもの」は、今では民間企業の経営者の後継者にあたり、2代目社長も多かった。そもそも慶応は、平民の富裕層出身者が多数を占めていたのである。したがって、「其割合には官吏若しくは府県会の議員たるもの少な」いのであった。

 また、早稲田大学は、以下の数字が上がっている。

      銀行・会社員         297人
      新聞記者           280人
      府県会の議員         135人
      町村吏員           185人
      官吏              240人

 慶応に比べれば、新聞記者や府県会の議員が多く、ここが早稲田の在野精神の特徴として現れるところである。しかし、意外と官吏、町村吏員も多い。  
古島は、「早稲田が重きを公法に置き、慶応義塾が力を私法に費やせる結果の如何に明白なる分岐点を生せるを見るべし」と指摘する。

 さらに、高等商業学校(現・一橋大学)を見てみよう。
  
      銀行・会社員         620人
      独立商業            43人
      自宅営業            58人
      新聞記者            3人
      官吏               85人

 圧倒的に銀行・会社員が多く、起業家も経営後継者もいる。やや慶応に似ている。

 専修学校(現・専修大学)はどうだろう。

      銀行・会社員         171人
      独立商業             3人
      自宅営業             93人
      官吏               265人

 意外と官吏が半数を占めていることがわかる。
 以上をふまえて、古島は「要するに慶応義塾と高等商業学校は実業家を産し早稲田は政治家を生み、専修学校は官吏を作ると言うの決して空言にあらざるを見る」とまとめ、当時のそれぞれの学校に対する社会の評価を伝えている。

 カリキュラムや卒業後の進路を見ると、それぞれの学校の特色がよく出ていることが確認できる。学校といえども社会のニーズを背景とした社会的存在なのである。専修を除き、各校ともこの特色は、現在においてもつながっているともいえるのではないだろうか。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2013-10-26 09:29 | その他 | Comments(0)

羯南の遼東半島足跡を辿る(旅順③)

旅順①②を踏まえて、研究会一行の踏査実績について簡単にコメントしたい。

1) 東鶏冠山北堡塁
 旅順港旧市街の北から北東約5km付近にある堡塁群(北から北東部へ松樹山、二龍山、一戸、東鶏冠山北)の中で、最強の堡塁と呼ばれたもの。乃木軍の最初の総攻撃は正面突破として、この堡塁群へ向けて行われた。

 この堡塁群は、ロシア・旅順守備隊最強といわれたコンドラチェンコ少将によって指揮されていたが、コ少将は12月15日、28cm榴弾砲の直撃弾を受け死去した。堡塁内に慰霊碑がある。

 堡塁内には、固焼き煉瓦をベトン(コンクリート)で塗り固めた頑強な兵舎跡が残り、小さな野砲等では全く歯が立たない理由がよくわかった。第11師団(善通寺)が占領したとの碑があった。

2) 一戸堡塁
 津軽出身の一戸兵衛少将(第6旅団長、当時少将でのちに大将)が、第2回総攻撃時に奪取した堡塁である。地図上では、東鶏冠山北堡塁の北西側のやや下った場所に位置するが、今回の踏査では現況を確認できなかった。

 満州戦跡保存会編『明治三十七八年 戦跡記念写真帖』(1920年発行)には一戸堡塁記念碑の写真があり、「『一戸堡塁』/明治三十七年八月以来第九師団及後備歩兵第四旅団ノ一部隊之ヲ攻撃シ同年十月三十日一戸旅団長躬(みずか)ラ戦ヲ督シ占領ス/陸軍大将 一戸兵衛書」との記述がある。

 元々はP堡塁と呼ばれていたが、一戸少将が奪取したことから、明治天皇の勅命で一戸堡塁と命名されたという。一戸少将は、8月の第1回総攻撃の時に、既に旅順の町を一望できる望台砲台近く迄達していたが、撤退命令を受け、やむなく引き返したという。
 

 佐野正時著『北の鷹-学習院長一戸兵衛大将の生涯』によれば、司馬遼太郎は魅力的な人物だと惚れ込み、太宰治は故郷の偉大な先輩と敬愛し、泉鏡花は「軍人は嫌いだがあの人は別だ」と、それぞれ一戸大将について、人格者として高く評価している。

3) 望台砲台
 東鶏冠山北堡塁の東側にあり(標高185m)、旅順市内や主な堡塁・砲台を一望できる。ロシア軍が降伏した1905年1月1日に第9師団(金沢)と第11師団によって占領された。

 現在でも2門のロシア軍の砲が置かれている。望台から旅順港自体は、白玉山の陰となって必ずしも十分に見渡すことはできなかった。

4) 水師営
 1905年1月5日乃木将軍とステッセル将軍が会見した場所である。尋常小学唱歌-第5学年用-『水師営の会見』で有名。

5) 高崎山(164高地)
 1904年8月15日に第1師団高崎連隊が占領したことからこの名前が付いた。高崎山の麓付近で車を降りたが、203高地の北3km旅順港は相当距離(直線距離で10km弱)がある。203高地は望めるがかなりの距離があった。

6) 203高地
 203高地は、1904年12月5日に乃木軍が占領した。旅順港を東南の方向に臨めた(直線距離で5~6km程度)。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」第11回放映(2011年12月11日)で観た、203高地から望んだ旅順港よりは、実際は近く感じた。

 正に港内は「まるみえ」であった。高地に散乱していた砲弾などを集め弾丸型の記念碑(10.3m)を建立し、爾霊山と記して戦死者を弔った。乃木将軍の次男・保典もこの山の山腹で亡くなっている。

7) 白玉山
 ここからは、旅順港および旅順口、市街地を一望できる。眼下に見下ろす旅順口は、100m足らずしかなく、陸上砲台を考慮外とすれば、閉塞作戦が可能と思わせるものであった。

 第二次閉塞作戦で落命した広瀬中佐に心で手を合わせた。なお、ここには東郷平八郎と乃木希典が日本兵の慰霊のために建てさせた66.8mの塔がある(1909年完成)。

8) その他
 その他としては、大谷コレクションがある旅順博物館、旅順の駅舎、大連と旅順を結ぶ予定の都市高速鉄道(旅順南線)の建設中の状況等を視察した。

  しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2013-10-07 20:00 | 紀行 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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