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<羯南と古島一雄>(62) 私立大学評判記(その51)

 この「(十八)慶応義塾大学部(三)」も今回で終わる。
 古島一雄は慶応義塾の英国批判の最後として、英国崇拝の原因を以下のように転載している。   

 「一、英国の強大なるに眩目せると 二、英人の生活の程度高きに続けると 三、英人が紳士として垢抜せるを欽慕せると 四、日本人は多く英語を学ぶも独逸等の語を知らず故に常に英書を読み英人等の手前味味噌を有り難く拝読して其思想に全然威化せられたると 五、日本の漫遊者流は多少の言語通ずるの故を以て英国に比較的永く滞在するも他の欧州大陸に至れば盲唖の夜遁同然にて素通りをなすに過ぎざるが為めに更らに其事情を解せざると」

 そして、古島はそうした慶応の学風が英米風からドイツ風へ変貌していることについて、次のように批判する。

 「吾人は留学生の多数が独逸修行なりしを知る、従て其独逸的威化を受けたるの大なる彼等が俄かに英国崇拝より一転して独逸崇拝に移りたるを見るとは言へ、先生の墓木未だ拱せざるに三田の特色たりし常識一点張りの教育主義が、早くも学者的教育に傾かんとする至ては驚くべき変化にあらずや」

 古島は福沢諭吉が植え付けた慶応の人格陶冶となる常識を重視する“教育主義”が、机上の空論に陥る危険性のある“学者的教育”に席巻されそうだと警鐘をならすのである。
 さらに、彼は以下のようにも語っている。

 「殊に其一旦早稲田に奪れて廃滅に帰せし文学科を再興して文部省特典の下に教員養成に従事せんと欲するが如き、慶応義塾の本質が既に幾多の変化を現しつつあるを見るべきなり」

 明治政府と一線を画していたはずの慶応であったが、文学科を再度設置する際に教員免許が得られる特典のある文部省の政策に便乗する態度を見て、彼は“独立自尊”の精神はどうしたのかと憂い、既に慶応の本質は変わりつつあると指摘するのである。

 このように慶応は時代の流れに敏であった。実はこれは今も変わらないのではないか。湘南藤沢キャンパスでの総合政策学部等の新学部の設置、また他大学に先駆けて導入したAO入試等と、時代潮流に鋭敏な慶応のDNAは現在も生き続けているのである。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2013-01-26 15:21 | その他 | Comments(0)

羯南の年賀状

  たまたま羯南の年賀状について書いていらっしゃるブログをみつけた。

  <切手と文学>というブログである。

http://ikezawa.at.webry.info/201002/article_1.html

   2010年2月に書かれたブログには、明治30年に羯南が稲垣満次郎に出した年賀状が、裏表ともに写真入りで紹介されている。

   新春之御慶芽出度申納候 

   明治三十年一月一日

        陸 實

  と印刷された年賀状。

  以前、羯南が、松永聴剣に出したはがきを何枚か拝見したことがあったが、表に書かれた陸實のサインはまさしく羯南のもの。

  是非一度実物を見たいものです。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2013-01-23 21:31 | ニュース | Comments(0)

羯南の中国行 2

 研究会では、まず最初の海外の旅をたどろうと昨年、沈陽、大連、旅順をまわった。
今年は弘前の陸羯南会の舘田会長をお誘いして旅程の最初の部分である天津、北京、そして万里の長城の出発点であり、中国の東北部から華北地域に入る入口である山海関をまわった。
 羯南は近衛篤麿に中国朝鮮への旅に誘われたときには参加を即断したわけではなかったようだ。篤麿の残した日記によれば、二度羯南を誘っている。
 羯南にとっては、自分の日本新聞社の経営状態もおもわしくなく、その資金繰りに頭を悩ませていた時期である。
 篤麿と共に明治三十一年に始めた日中関係の団体である東亜同文会の機関誌「東亜同文会報告」には、この旅の直前に行われたと思われる羯南の中国についての講演が採録されている。

   
  「東亜の平和」    附^満州開放の利益

と題された講演で羯南が説いているのは、日清戦争を機に南下して中国の東北地域に駐留してしまったロシアに対して、いかにして中国、朝鮮、そしてその先にある島国の日本の平和を守るかであり、老大国である清国を活かし、保全をして、北東アジアの安全保障を実現するかに主眼が置かれていた。      たかぎ
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by kuga-katsunan | 2013-01-20 07:30 | 紀行 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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