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<羯南と古島一雄>(59) 私立大学評判記(その48)

 今回は「(十八)慶応義塾大学部(三)」に入る。鎌田栄吉と門野幾之進との抗争のその後について語られている。
 古島一雄はまず、以下のように述べる。

 「鎌田氏は帰朝講師の不平を利用して門野排斥に成功せしかば今は事実の上に其の排斥の理由を表明せざるを得ず。而して其具体的の理由は規則改正に於いて公にせられたり」

 一私学の事件ではあったが、社会の注目を集めたようである。私学といえども、当時において社会に認知された存在であったことがわかる。それゆえ塾長の鎌田にとって、当騒動の理由を説明する社会的責任があった。
そして、次のように続く。

 「分科制度が果して慶応義塾の将来に利益あるや。随意科を減じたりしは果して義塾の特色を失はざりしやは別問題として鎌田氏が講師を利用せしと同時に帰朝講師は又た多数学生の後援を有したりしを見れば此の規則改正が学生の希望を斟酌すると甚だ多かりしを見るべく、少なくとも時代の風潮を追いたりしを知るべきなり」

 ここで注意すべきは、学生の意見が大きな影響力を持っていた点である。『慶応義塾百年史』によれば、学生は檄文を草し、門野の辞任を評議会へ要求したのであった。

 なお、『慶応義塾百年史』には、当時、社頭(相談役的存在であった)の小幡篤次郎が、福沢諭吉や学生に信任の厚かったOBの日原昌造宛の書簡が残っており、困惑した状況を伝えている。そこから福沢没後の後継者争いは、慶応自体の存続をゆるがす危機的状況であったことがうかがえる。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-10-28 20:58 | その他 | Comments(0)

毎日新聞  司馬遼太郎と青木彰展

  毎日新聞で、以下紹介されました。


  http://mainichi.jp/feature/news/20121007ddlk08040080000c.html

「司馬遼太郎と青木彰展:ジャーナリストの果たす役割知って 筑波大できょうまで /茨城

毎日新聞 2012年10月07日 地方版


 筑波大で6日、「司馬遼太郎と青木彰10+件名誉教授」展が始まった。青木氏(03年死去)は元産経新聞社記者で、同社で司馬10+件遼太郎の1年後輩だった。両氏の著作や資料のほか、協力して研究を始めようとしていた明治の新聞人、陸羯南(くがかつなん)(1857〜1907)の貴重な史料を出展。7日まで開かれる。

 青木氏は78〜89年に筑波大現代語・現代文化系教授を務め、その傍ら自宅でマスコミ志望者を教えた。同展で初公開された司馬10+件が青木氏に出した手紙(複写)は、5枚の原稿用紙に「よきジャーナリストをそだてること、みごとな御方針だと思います。たれか、講師をよんできて“陸羯南と新聞『日本』の研究”というのをやりませんか」などと書かれている。

 同展では陸羯南が明治中期に主筆兼社長として発行した新聞「日本」の現物も展示。同紙は権力に対し毅然(きぜん)とした論調を張り、正岡子規らが記者として活躍した。

 青木氏の教え子で筑波大非常勤講師の高木宏治さん(55)は「2人の業績を振り返って、ジャーナリストが果たす役割を考えるきっかけにしてほしい」と話している。会場はつくば市天王台の筑波大・大学会館2階マルチメディアルーム。午前10時〜午後4時。【安味伸一】」
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by kuga-katsunan | 2012-10-08 19:17 | ニュース | Comments(0)

産経新聞 「司馬遼太郎氏の手紙 筑波大で初公開へ」

 3日の産経新聞に紹介されました。

以下、産経ニュースから

「作家の司馬遼太郎氏が生前、産経新聞時代の同僚だった故青木彰筑波大学名誉教授に送った手紙が

6、7日、筑波大学で開かれる「司馬遼太郎と青木彰名誉教授展」の中で初公開される。

 手紙が書かれたのは昭和53年頃。

この中で司馬氏は、大学教授に転身したばかりの青木氏を「よきジャーナリストをそだてること、

みごとなご方針だと思います」と激励。

正岡子規ら幾多の文化人やジャーナリストを育てた明治の新聞人、

陸(くが)羯(かつ)南(なん)の研究を勧め、自身も「大風に灰をまいたような話をしてもいいです」と

研究の「露払い役」を買って出ている。

 青木氏は司馬氏没後、司馬遼太郎記念館建設に尽力。

メディアのご意見番としても活躍し、平成15年に死去。

遺志は教え子の高木宏治さん(55)らに引き継がれ、同展でも陸が主筆を

務めた新聞「日本」の一次資料が多数展示される。

 高木さんは「手紙から2人の絆の深さが伝わってくる。

 展示会をきっかけに陸研究の裾野を広げていきたい」と話している。

 会場は茨城県つくば市天王台の筑波大学会館。

 問い合わせは、同大広報室(電)029・853・2040。」
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by kuga-katsunan | 2012-10-04 01:03 | ニュース | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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