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<羯南と古島一雄>(56) 私立大学評判記(その45)

 「(十五)慶応義塾大学部(一)」の後半に入る。

 古島一雄は前回に紹介した門野幾之進の教育改革の失敗について、「吾人此に至りて遺憾ながら鎌田門野の衝突と云える事実を暴露せざるを得ず」と指摘する。
 さらに、門野について次のような事実を語る。

 「門野氏は新銭座時代の出身者にして鎌田氏等の先輩たるのみならず其の学問の該博深遠なる塾中第一と称せらる。往時、藤田茂吉、波多野承五郎、犬養毅、尾崎行雄が学生時代に於いて最も流行したりし教師に対するストライキは常に一人の門野氏に依って治せられたるを見るも、如何に氏が学問の上に尊敬を受けたるやを知るべく当時剛情者の犬養をして学問は門野に叶わぬと叫ばしめたるを見るも、氏が如何に学問を以って学生を圧迫したりしやを見るべきなり」
 

 このように門野は「学問の上には多大の尊敬」を受けた。しかし卒業後、生徒が他の教師に対しては、「先生」と呼ぶのであるが、門野氏には、「オイ門野」と呼び捨てしたというのである。

 ここで古島は、「氏が人格の上に於いて如何に待遇せられたりしを想見すべきなり」と述べ当回を終わる。そして、その詳細は次号「慶応義塾大学部(二)門野氏鎌田氏の争い」へ続くことになる。

 当連載は一面のしかも一番最初にしばらくの間、掲載されている。それだけ世間の注目を集めたと思われる。古島の方も綿密な取材を行っていたことがわかる。
 

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-07-28 16:41 | その他 | Comments(0)

本多庸一先生召天100周年記念資料展

もう一つ展覧会ものの紹介。

 本多庸一といえば、羯南と同時代人の弘前出身の教育者、今の青山学院の生みの親の一人である。

 その本多の没後百年を記念してその生涯をたどる展覧会が開かれている。

 http://www.aoyamagakuin.jp/news/2012/013.html

 「本多庸一(ほんだ よういつ 1848~1912)は、青山学院の日本人初の院長(1890~1907在任)であ  り、明治期キリスト教界の中心人物としてキリスト教宣教と、そのための世界的視野・国際的関心の喚起に 奮闘の生涯を送った人物です。

  本多先生が天に召されて今年で100周年を迎えたことを記念し、青山学院では、本多庸一先生召天100  周年記念行事を種々計画しております。その一つとして、ただいま「本多庸一先生召天100周年記念資料  展示」を開催しています。

  聖書の一節を記した直筆の書や絶筆書簡(複製)、貴重な写真類だけでなく、肖像画や書籍など本多先生  にゆかりの品々が豊富に展示されています。」
<青山学院のHPより>

  
開催場所は、青山学院の間島記念館(青山キャンパス内)2階の展示室、期日は11月30日(金)まで
(7月末までは、毎週 月・火・水(休日・祝日を除く)に開館。 8月以降の公開日程については後日お知らせ。
時間10:00~16:00。
問い合わせ先:青山学院資料センター TEL:03-3409-6742

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-07-04 23:03 | トピックス | Comments(0)

盛岡 原敬記念館

  盛岡の駅からほど遠くない場所に原敬の記念館がある。

 原敬は言わずと知れた首相経験者であり、東京駅の駅頭で暗殺されたことは、痛ましい最期として記憶に残っている。

 その原が若き日に、司法省法学校で、羯南とともに学生時代を送っていたことは、羯南側の伝記などには詳しい が、原側の記述には乏しいものが多かった。

 その原の記念館で今、<原敬と司法省学校時代>の企画展が開かれている。

 学友として、羯南と加藤拓川が紹介されており、羯南の原に対する手紙も展示されている。

 親戚でもある赤石定蔵のメルボルン領事館での処遇に関する手紙であるが、この書簡は全集にも収録されておらず、以前、東奥日報の記事でも取り上げられたが、羯南の同郷人に対する心遣いを感じさせる書簡となっている。

 http://www.mfca.jp/jigyou/12_0608-0930harakei.htm

 この企画展は9月30日まで

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-07-03 21:10 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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