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<羯南と古島一雄>(54) 私立大学評判記(その43)

 今回は「(十五)慶応義塾大学部(一)」である。ここではまず、慶応義塾大学と早稲田大学の学生数が比較される。古島一雄は「最近の調査によれば」ということで、以下のように学生数の詳細を紹介している。

 慶応義塾大学
  大学部本科 267人
   内訳 理財科 198人
       法律科  35人
       政治科  34人
  予科 421人
   小計(大学部本科+予科) 688人
  普通部 951人
  商業学校 494人
  幼稚舎 224人。
   総合計 2,357人

 早稲田大学
  本科  694人
  予科 1348人
  専門部 765人
  高等師範科 324人
  文学部 151人 
   小計(本科+予科+専門部+高等師範科+文学部) 3,282人
  早稲田中学 1,013人
  早稲田実学校 356人
   総合計 4,599人

 本科等の高等教育及びそれに類する学生数では、早稲田の3,282人に対し、慶応が688人であり、早稲田が圧倒している。

 一方、『日本帝国文部省年報』の明治36年度版では、他の私立大学の学生数は次のとおりである。
 和仏法律学校(現・法政大学) 1,124人
 明治法律学校(現・明治大学) 1,784人
 東京法学院(現・中央大学)   1,260人
 日本法律学校(現・日本大学) 1,533人
 関西法律学校(現・関西大学)   684人

 各大学とも高等教育及びそれに類する学生数であるが、慶応はここでも学生数が他大学に比べ少ないことがわかる。しかし、慶応の方が社会の評価は高かく、入学試験も他大学より難しかった。

 ちなみに明治31年(1989年)の試験科目は、日本地理、万国地理、日本歴史、万国歴史、博物学、物理学及化学、数学、英文和訳、和文英訳、英語会話及書取、日本作文、図画となっている。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-05-27 14:41 | その他 | Comments(0)

津軽学

 津軽を深く掘り下げる雑誌「津軽学」をきくちさんから頂いた。

http://jomonjin.exblog.jp/17786593/

 羯南研究会のことをとりあげて頂いていた。

 題名は「それゆけ、羯南探偵団」である。

 家内からは、おじさん探偵団とからかわれている。

 半藤さんの歴史探偵ではないが、明治以降の資料は更に出てくる可能性がある。

 これまで復刻した

 日本画報

 新聞日本 分県地図

 東亜時論

 東亜同文会報告

 いずれも、原典をよく読めば、その存在はわかるが、いずれもその全貌を知ることは難しかった資料である。

 司馬遼太郎賞の受賞者である長谷川毅カリフォルニア大学教授は、その授賞式で

「歴史は誰かが光をあてなければ暗闇の中で静かに眠っている。」

 とスピーチした。

これからも、すこしづつ光をあてる努力をしていきたいと思う。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-05-20 22:47 | トピックス | Comments(0)

同時代人 野村胡堂

 生前、父が入院していた病院の近くに、野村胡堂が住んでいた家があった。

 車椅子で父と散歩しているときによく前を通ったが、はるか前の作家の家が戦災を逃れて眼前にあるのが不思議な感じであった。

 回想集である「胡堂百話」の中に<俳人子規の死>と題する一文がある。

「正岡子規の死んだ時は本当に泣きたい気持ちで、駆け付けたものである。(中略)根岸庵に駆けつけると、世話人の手が少なかったのか、私のような学生までが、受付係りを仰せつかった。」

 子規の葬式は羯南が仕切ったというから、学生時代の胡堂は羯南の指図で受付に立ったのだろう。

「柩を埋めて、その上に置いた銅版に「子規居士」と鋳抜いた素朴な墓碑銘が、今もありありと眼の底に浮かぶ。」

 この墓碑銘も羯南の筆になる。

 胡堂は岩手時代、石川啄木と同人誌を作ったりしていたが、上京して一高に入学、子規の葬儀はその在学中のこと。

 東大を中退して報知新聞の記者になり、銭形平次を生み出したのは昭和6年のころである。

 新聞記者時代、時事川柳の連載を始めたが、それが新聞日本の影響だったのかどうか今や知る術もない。

 たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-05-20 22:31 | トピックス | Comments(0)

弘前:羯南詩碑

 弘前の市外の「鷲(わし)ノ巣」(弘前市狼森)という小高い山の頂に、羯南の漢詩を刻んだ詩碑がある。

 名山出名士

 此語久相伝

 試問巌城下

 誰人天下賢

 この名山は、岩木山のこと。
詩を碑にしたのは、弘前の医師の鳴海康仲氏(1897~1977)である。
1953年9月2日、羯南の命日に碑を建立した。

 羯南の詩を刻んだ銅板を、小中高校計約380校に寄贈したという。

 今、この場所から地元の小学生たちが自分たちの夢を叫んでいるという

 こうした経験は子供たちの心に刻まれる。

 羯南の生家跡地に記念館建設を実現できないだろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-05-19 11:23 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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