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<羯南と古島一雄>(23) 私立大学評判記(その16)

 「(五)私学と官学」の3回目となる。今回は、古島一雄の帝国大学に対する批判を紹介しよう。

 もともと政府批判に立つ新聞「日本」でもあり、古島の官学への舌鋒は鋭いものがある。
 まず、下記のように始める。

 「吾人は必ずしも既往の事跡に就いて酷論快を取るものにあらず、仮令其動機が一個の商略に存せりと雖も、時代の進歩と文運の隆盛が、私立大学の勃興に満腔の同情を捧ぐるものは、従来実に官学の弊に飽けばなり。」 

 そして、古島らしい筆致が次のように続く。

 「試みに彼の帝国大学に見よ。彼の師範学校に見よ。如何に其教育の形式的にして、其学問の受験的なるや。彼等学生の多数は、学問するが為に学問するにあらず、試験の為に学問するなり。彼等教授の多数は、教育するが為に教授するにあらず、俸給を得んが為に教授するなり。」

 学生は官吏になる試験のために勉強し、教員はカネのために教育をする、という。確かに、この頃、明治30年代半ばを過ぎると、帝大を出て官僚になるというのが定着していた。
 さらに批判は続く。

「法令を以て其教育を画一にし、制度を以て其学問を拘束す。外には政府の干渉ありて独立の主義を行ふ能はず、内には上官の掣肘ありて自由の行動を取る能はず、故に其人を造るや、恰も重箱に石花菜を盛るが如く、幾千の学生皆同一の模型より成り、学に実用の妙なく、人に活動の気なし。」

 これは、画一化教育への批判であり、現代の大学教育にも、また学校教育全体にも通じるものである。
 以下、痛烈な言葉が投げかけられる。  

 「殊に其勢利に急なる、或は運動費を投じて婚を勢家に結ぶものあり、或は暮夜権門に出入りして利禄を貪るものあり、某の徒は、曲学世に阿り、某々の輩は衒学文を售る。未だ籠を出でざるに、早くもカッカカッカと鳴く月給鳥あり、未だ巣を出でざるに我利々々と弗箱を嚙る鼠族あり、殊に其の吏臭紛々、俗悪の気、鼻を撲って来るに至っては、吾人の堪ふる所にあらざるなり。」

 当時は、帝大を卒業することが、立身出世に結び付く時代となっており、古島は、その“利”の側面を取り上げ、徹底的にあげつらう。
 そして、次のように私学に触れて行く。

 「此時に方りて、私立大学なるもの勃然として興る。吾人豈に之を歓迎ぜざるを得んや。」

 次回は、古島の私学の擁護論を紹介しよう。


  いしがみ
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by kuga-katsunan | 2010-01-30 17:30 | その他 | Comments(0)

寒川鼠骨の<陸翁の長清会> 2

寒川鼠骨の<陸翁の長清会>に登場してくるのは、

  浅井忠、三浦梧楼、陸実、三輪信太郎、磯野徳三郎、平坂閎

  松永彦右衛門、桂五十郎、池辺吉太郎、三宅雄二郎、国分高胤

という絵巻物のメンバーのほかに

  犬養毅
  山田喜之助
  濱村蔵六
  平坂恭介
  中村不折
  釈清潭
  稲葉君山
  鈴木豹軒

という人物である。

 平坂恭介は、動物学者で、台北帝国大学教授(1887~1965)、前に出てきた 平坂閎
とは親子であろうか

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-01-27 23:50 | 研究 | Comments(2)

弘前:「陸羯南会」たより  総会

 弘前の陸羯南会から総会の案内を頂戴しました

    2010年2月20日(土)

     PM3時ーPM4時半

     一 今、陸羯南物語に注目

                             報告者   舘田 勝弘

     二 総会

        会長挨拶

        収支報告

        活動計画

        予算、役員人事

     PM4時半ー6時半

        懇親会

 
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by kuga-katsunan | 2010-01-26 05:21 | ニュース | Comments(0)

弘前新聞と東海健蔵

 新年の東奥日報に<北の文学連峰 本県文筆家の系譜>のシリーズの中で、斎藤三千政弘前ペンクラブ会長が<陸羯南と佐藤紅緑>という連載をされている。

 佐藤紅緑に入る前に、没後100年の時の東奥日報の平成十九(二〇〇七)年一月一日、陸羯南の「生誕百五十年・没後百年」を記念した特集記事を紹介されている。

  「偉大な足跡 いまも心に」

のヘッドライン以下の記事を賞賛されていらっしゃるが、私も初めてこの紙面を拝見した時には、非常に感銘が深かった。

 羯南の伝統が今も生きている、ということにまず驚き、改めて地元への影響の強さに感じ入った。

 弘前にあって羯南ゆかりの人々のシリーズをはじめ、多くの著作を残された川村欽吾氏のことは何回か紹介させて頂いたが、先日メルボルンに駐在している旧友が一時帰国した際に、改めて同氏の<赤石定蔵と陸羯南>を再読した。

 ご存じの通り、赤石は弘前の東海家に生まれ、母方の赤石家を継いだ。
彼には兄健蔵、弟勇蔵がいる。

 定蔵は、明治17年東奥義塾を卒業し上京、東京専門学校(早稲田大学)に入学、19年20歳の時に東京で開催された津軽同郷人会で羯南と出会う。

 この縁で、定蔵は羯南の東京電報に入社することになるが、弟の勇蔵は羯南の長女と結婚することになる。

気になったのは、弘前に残った兄の健蔵のことである。

 健蔵は、インド藍の輸入で急速に財をなし、東海商店を拡大する。

その後、彼は明治30年には弘前新聞を創刊する。これも実は羯南の影響があったのではなかろうか。

弘前市議会議員、議長を歴任した健蔵は、昭和19年に82歳で亡くなった。

 太平洋戦争開戦の直前、彼の創刊した弘前新聞は、戦時報道統制によって、八戸合同、青森日報、東北タイムスの県内日刊紙とともに、東奥日報へと統合。

 定蔵が社長を勤めた台湾日日新聞も日本の植民地支配の終焉とともに終刊となった。

 勇蔵は海軍技術将校としてイギリスに留学、横須賀で軍艦の建造にあたったが、極楽寺の羯南終焉の別荘から通っていたという。

 明治、大正、昭和と、この三兄弟は、弘前、東京、オーストラリア、台湾、イギリスと生き抜き、ある意味、大日本帝国とその運命を伴にした。

たかぎ

 
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by kuga-katsunan | 2010-01-17 20:06 | トピックス | Comments(0)

<鉄道敷設後の陸奥国>と新幹線新時代

 今年、青森に新幹線が延びる。

 1月4日の東奥日報の社説には、標題の、羯南が明治23年に同じ東奥日報に寄せた<鉄道敷設後の陸奥国>という社説が引用されている。


http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2010/sha20100104.html


  羯南の時代から110年。

 鉄道の開通と新幹線の全通。時代は違うが、その効果は似た部分があるともいえる。

 21世紀はアジアの時代でもある。

いみじくも羯南の号が沿海州を想起させるように、日本全体も、アジア、そしてロシアのシベリア地区の成長力と協働することの重要性も増してくる。

日本海を中国、朝鮮、ロシアとともに囲む内海と考えた時、青森は、その中心地の一つに位置するといえないだろうか。

 東京電報以来、羯南のもとで育った成田鉄四郎が、東奥日報の二代目主筆時代に書いた<陸奥湾の将来>所収の諸論文を読み返してみようと思う。

 また羯南とともに、東亜同文会活動に挺身した青森出身の成田与作の著作が、<樺太及沿海州>であったことも一つの方向を示しているのだろう。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-01-10 22:07 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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