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明治の言論人(後編)

 青木先生は生前親しくしていた司馬氏から、「陸羯南の研究をしてはどうか」と持ちかけられる。明治と昭和。時代は異なれど新聞人として数多くの人材を育成した点を司馬氏は着目したのだろう。しかし青木先生は病に倒れ、目的を達することなく六年前に他界した。
 研究の継続を遺言として受け取った我々塾生たちは、銀行勤めの先輩を中心に「陸羯南研究会」と勝手に名乗りをあげて研究を開始。羯南生誕の地、弘前や子規のふるさと松山を訪れたり、近衛家との関係を調べに、京都の陽明文庫に押しかけたり。また図書館にこもって新聞日本と同時代他紙との比較をしたり。ブログもかれこれ三年になる。
 研究を進めると陸羯南の”言論”に対する誇りが浮かび上がってくる。絵や小説入りの大衆新聞が幅を利かせてきた時代、「国民主義」を掲げ最後まで硬派な論調を貫いた。
 司馬氏は青木先生に対し「同じ情報といっても新聞やテレビは”インフォメーション”ではなく”ウィズダム”を伝えるべきである」と言ったそうだ。二百三十日に上る政府の発行停止処分を受けながらも、政府の姿勢を糾弾し国の有り様を訴えてきた陸羯南はまさに”ウィズダム”を読者に伝えて来たわけで、現代のメディアにも学ぶべき点が多い。

つかもと
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by kuga-katsunan | 2009-07-29 19:20 | Comments(0)

子規に見せたかった世界 その1

松山市立子規記念博物館発行の「子規博だより」に寄稿された高木主筆の「子規に見せたかった世界」転載させていただきます。

一、子規と羯南と、陸羯南研究会

 子規の叔父、加藤拓川が、司法省法学校時代の友人たちのなかでも、最も信頼をおいたのが弘前出身の新聞人陸羯南であった。羯南が亡くなった時、拓川は次のように語っている。

  「陸は古い朋友でした。書生時代からの旧友も少くないが、三十年間一日の如く絶えず兄弟の交をしたのは一人だけです。」 (「朝日新聞」明治四十年九月五日)

明治十六年、子規が上京してきた時、拓川はその甥に自分の親友羯南を紹介している。その時の様子を羯南
が、子規が亡くなって編まれた『子規言行録』の序で次のように紹介している。

  「明治十六年の夏のころと記臆して居るが、友人加藤拓川(今の白耳義国在勤全権公使恒忠氏)が仏蘭西へ往かうといふので、語学練習の為めに築地の天主教会堂に寄宿して居た。或日予の寓居に来て色々話した中に、『此のごろ国元から甥のヤツが突然やって来たが、まだホンの小僧で何の目当も無く、何にしに来たのかと聞いたら、学問しに来たと云ふてる。僕も近々往くのだし世話も監督も出来るぢや無し、いづれ同郷の人に頼んで往くのぢやが、君の処へも往けと云って置いたが、来たらよろしく逢ってくれ玉へ、との話もあった。二三日たっとやって来たのは十五六の少年が、浴衣一枚に木綿の兵児帯、いかにも田舎から出だての書生ツコであったが、何処かに無頓着な様子があって、加藤の叔父が往けと云ひますから来ましたと云って外に何も言はぬ。ハア加藤君から話がありました、是から折々遊びにお出なさい、私の宅にも丁度アナタ位の書生か居ますからお引合せしませうと云って予の甥を引合はした。やがて段々話する様子を見ると、言葉のはしぐに余程大人じみた所がある。対手になって居るは同じ位の年齢でも、傍から見ると丸で比較にならぬ。叔父の加藤といふ男も予よりは二つもわかい男だが、学校に居る頃から才学共に優ぐれて予よりは大人であった。流石に加藤の甥だと此の時はや感心した。」
   (小谷保太郎編『子規言行録』明治三十五年十一月十九日)

 この出会い以来、羯南は子規にとって、東京での親代わりのような存在となった。子規が大学を中退し、文学の世界に集中しようとした時に、自ら主宰する新聞日本にその活躍の場を与えたことは、子規を知る諸賢にはよく知られたことである。
 筆者は、大学時代の恩師の縁から、この陸羯南の功績や、彼のもとに集まった人々の実像を研究する社会人グループ「陸羯南研究会」のとりまとめをしている。
 元産経新聞編集局長でこの陸羯南研究会の多くの会員の共通の恩師である故・青木彰筑波大学名誉教授の遺志を継ごうというのが結成の趣旨である。
 青木教授は、新聞社時代の尊敬する先輩だった作家司馬遼太郎と非常に親交が深かった。司馬遼太郎はその作品「坂の上の雲」、「街道をゆく北のまほろぱ」にも書いているように、羯南を高く評価し、青木教授に「たれか、講師をよんできて、”陸羯南と新聞「日本」の研究”というのをやりませんか」と提案していた。
 お二人は、羯南研究を少しずつ進めていたが、実現しないうちに亡くなった。この研究会の活動は、司馬遼太郎、青木教授と受け継がれてきた。”宿題”を、何とか形にしようという取り組みである。
 三十代から七十代までの約二十人の国内外の会員が、本業の合間に羯南関係の資料を読み、各地の羯南ゆかりの地や人を訪ねて、調査、交流を深めている。
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by kuga-katsunan | 2009-07-29 18:59 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(17) 私立大学評判記(その10)

 前回から引き続き「(四)私立大学の勃興」についてである。
 
 明治30年代、慶応義塾大学と早稲田大学は、私学の中で一歩抜きん出た存在であり、“大学”と謳っていた。でも、現在とは異なり、両大学とも学生募集には苦慮してきた。学生数の減少により、経営危機に陥った時期もあったのである。

 当時は、今のように私学助成という国からの補助金はなく、私学は、収入のほとんどを学費でまかなっていた。法律学校においては、学生数がその二大学に及ばず、学校経営は苦しかった。

 しかし、そうした中に、教育の質を充実すべく努力していたところもあった。古島一雄は、それを高く評価し、当記事に次のような事例を紹介したのである。

 「明治三十二年、英吉利法律学校が法学院と改称せしは、当時杉浦氏の文学院、樫村氏の医学院と相合して、一の大学を興さんと欲するに在りしは吾人の知る所なり。而して昨年五月、今の専門学科を修むる学年が、普通学の素養に乏しきを憂ひ、少なくとも中学卒業以上の学力を有するものにあらざれば、入学を許さざるの方針を定め、同時に其学制を改めんと期したりしは、又た吾人の記憶に新たなるのみならず、吾人は私かに其の意気を壮としたり。」

 法学院(現・中央大学)は、他の私学と合併して大学を設立しようと考えた。大学という高度な課程を設置する以上、従来の中心の課程である専門学科にも中学卒業(現在の高校卒業と同様)以上の学力を有することを入学の条件とした。

 そもそも専門学科は、学力が伴わなくても入学が可能であった。だから普通学(現在の主要5教科に相当)の学力に劣る学生が多く、授業に支障を来たしていた。だが、当時の法律学校は経営を優先したためそうした学生でも受け入れていたのである。

 当然、一定の学力の条件を付せば、学生数は減少し経営危機に陥り、自殺行為にもなりかねないのである。古島は、それでも教育の質の向上を目指す法学院の行為を、大いに評価したのであった。

 以上のような状況の中で、専門学校令が登場することになる。現在では信じられないことだが、明治36年まで私立大学(私立“大学”なのに専門学校令とはおかしいが、国が意味する“大学”とは、 帝国大学のみであった。)や法律学校についての法的根拠がなかった。しかし、高まる進学熱に押され、政府はその法制化を模索していた。巷間でも、文部省から専門学校令が出されると洩れ聞こえていた。  

 その法令の中で、入学資格については、中学校卒業もしくはそれと同等以上の学力を有するものを対象とするという、厳しい内容となるとの予想であった。

 古島は、この方針に賛成だった。しかし、蓋を開けてみると、想定どおりの専門学科ばかりでなく、中学卒業の学力を必要としない別科を含めて認めるという寛大なものであった。各法律学校は、なだれ込むように、こぞって専門学校令に飛びついた。

 古島は、従来から帝国大学の弊害を指摘し、私学の立場を擁護してきたのであるが、さすがにその行動に対しては、憤りを感じざるを得なかった。     (つづく)   

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2009-07-29 11:33 | その他 | Comments(0)

明治の言論人

  つかもと君のエッセイが業界の専門誌に掲載された。

おりしも今月は、青木先生の誕生月。

先生の誕生日を祝って転載させて頂く。


 「十数人のグループで陸羯南の研究をしている。

といってもほとんどは誰だかご存じないかとは思うが、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に出てくる正岡子規の後見人といえば「わかった」と頷かれる方もいるであろう。

 明治を代表する新聞人・言論人であり、後に長谷川如是閑や三宅雪嶺など著名なジャーナリストを多数輩出した高級紙「新聞日本」の社長兼主筆であった。

 研究のきっかけは昭和後期を代表する新聞人であり、自分の師である故青木彰筑波大学名誉教授。

産経新聞取締役から大学教員に転じた青木先生は、十二年間で約百人の教え子をマスコミ界に送り込んだ。」


つかもと 
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by kuga-katsunan | 2009-07-27 23:03 | トピックス | Comments(0)

小日本の発行停止通知

 日本が、度重なる発行停止に悩まされたことは、よく知られた事実である。

 日本本紙が発行停止になった時の、代替紙として<大日本>が準備され、発行された、というのが通説になっているが、大日本そのものも、そのすべてが発見されているわけではない。


 日本が発行停止になった時に、読者あてに発行停止を告知するビラ、はがきは、何種類か残っており、そのうちのいくつかを見たことがある。

 「       発行停止

 櫻花落盡し杜鵡血に叫はんとし『日本』は先つ発行停止に遇ふ

 停止の達に曰く

                        日本発行人  青柳力蔵

 本日発行日本第千七百十七號ハ治安ヲ妨害スルモノト認ムル
 ヲ以テ自今其発行ヲ停止シ且同號未配ノ分發賣頒布ヲ禁止ノ
 旨内務大臣ヨリ達アリタルニ付此旨通達スヘシ
   但各發賣所併發賣人へモ此旨通達スヘシ


                        警視總監   園田 安賢

 嗚呼此に至りて筆研暫く諸君に負く


                       東京神田區雉子町三十二番地

     明治廿七年四月十六日

                               日本新聞社    」

  発行停止の通達を受けるごとにこの種の通知を発行していたようだが、全貌は現在では未詳である。

  日本、大日本と次次に発行停止を受け、苦慮した日本新聞社は、まったくコンセプトを変えた家庭向けの新聞、小日本の発行を始める。

  編集長は正岡子規であったが、実はこの小日本も、たった半年あまりの発行期間の間に二度の発行停止を受けている。

  先日たまたまこの小日本の発行停止通知を見た。

たかぎ   
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by kuga-katsunan | 2009-07-11 10:45 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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