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<羯南と古島一雄>(14) 新聞「日本」の人々-雑誌「大日」から(その2)

 雑誌「大日」(昭和7(1932)年1月号)に掲載された古島一雄の「『日本』時代を語る」(以下、「大日」とする)という記事と『一老政治家の回想』(昭和26(1951)年)の第二章「新聞『日本』の思いで」(以下、「回想」とする)を比較し、その中に登場する“新聞「日本」の人々”の違いを、前回に続き紹介しよう。

 「大日」によれば、営業部として、宮崎道正、今外三郎、遠山英一、沢村則辰が紹介されている。しかし、遠山は、「回想」には出てこない。逆に、「回想」に会社の資金を預かる重要人物として登場してくる赤石定蔵が「大日」には、一言も触れられていない。  

 次に、編集部として、まず以下の人々が紹介される。

 末永純一郎(鉄巌)、国友重章、福本日南、九島惇徳、国分青厓、桜田文吾(大我)、山田烈盛、三浦徳三郎、佐藤宏

 続けて、三宅雪嶺、池辺三山は、「始めは社外から応援したが、後には入社した」、中心(社長兼主筆)は、もちろん陸羯南であり、「編集長は僕さ(古島)」と述べる。

 さらに、条約改正問題の後に来た者として、次の方々が並べられている。

 鳥居素川、長谷川如是閑、安藤正純(鉄腸)、正岡子規、中村不折、桂湖村、五百木良三(瓢亭)、河東碧梧桐、阪東宣雄、岩佐善太郎、佐々木正綱、浅水又次郎(南人)、佐藤紅緑、石井露月、千葉亀雄、遣沢直幸、丸山侃堂(幹治)、井上藁村(亀六)、末永節(嘯月)

 最後に、寒川鼠骨が記載されているが、古島は「はいって居たか居ないか覚えない」と言う。

 また、文芸欄の担当として、詳しく紹介されているのが、磯野徳三郎、西芳韮山人(松二郎)、(足立)半顔居士、坂井久良岐、井上剣花坊である。

 上記の中で編集部に文芸欄担当を含めて、「大日」のみに出てくるのは、以下の通りである。

 九島惇徳、山田烈盛、三浦徳三郎、佐藤宏、阪東宣雄、岩佐善太郎、佐々木正綱、浅水又次郎、遣沢直幸、末永節

 一方、「回想」にだけ登場する人物は、次の人たちとなる。

 内藤鳴雪、高浜虚子、仙田重邦、江見水蔭、武内桂舟、幸田露伴、内田魯庵、中川四明、落合直文、小中村義象、与謝野鉄幹、吉田東洋(ただし、写真職工)

 ちなみに、高木主筆による2007年5月の当ブログ「古島一雄の<新聞日本の人々>」と比較すると、「大日」にも「回想」にも出てこない人々は、以下の通りである。

 天田愚案、柴四郎(東海散士)、鈴木虎雄、斉藤信、三浦勝太郎

 さらに少し、資料を調べると上記に記載されていない次の人々も出てくる。

 中柴光素著の『明治の秋霜』(光伸舎、昭和48(1973)年)では、福田静処、本田種竹、折井愚哉。また、青森近代文学館図録『陸羯南と正岡子規』(平成19(2007)年)の「日本新聞社に在籍した青森県人」では、小山内大六、桜庭経緯、成田鉄四郎、花田節。

 調べれば調べるほど、まだまだ多くの<新聞日本の人々>が出てくるだろう。

  いしがみ
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by kuga-katsunan | 2009-04-29 18:39 | その他 | Comments(0)

羯南とエジプト

 はまぐち君がカイロから帰ってきた。

結局3年の駐在となったのだが、一別のときにお会いした子供さんも大きくなった、とのこと。

羯南とエジプトというと、特になにもなさそうだが、実際は彼の欧米視察の最後の寄港地がカイロであった。

イタリアから船にのりカイロにあがり、アレクサンドリア、ポートサイドへとまわっている。

日露開戦の直前、スエズの状況も視察したのであろうか。

  盟友の東海散士こと柴四朗も、明治22年に<埃及近世史>と題する書を著わしている。

彼は、欧米列強に圧迫される国々をテーマにした、<佳人之奇遇>でベストセラー作家となったが、その眼はその後も被圧迫国に注がれていた。

 英国の圧力のもとに苦しむエジプトは同時期の明治の人士にとっては、非常に近しい感覚を共有する国の一つであったのであろう。

 21世紀のエジプトを見てきた眼で、この時代を再度検証して頂ければ、と思っている。


 たかぎ
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by kuga-katsunan | 2009-04-26 18:10 | トピックス | Comments(0)

陸羯南創刊・新聞「日本」の附録地図展/弘前

 弘前の地図の展示会の模様が、陸奥新報さんの記事で掲載されていましたので、ご紹介させて頂きます。

 <弘前市出身で明治期のジャーナリスト陸羯南が創刊した新聞「日本」の附録地図展が17日から、弘前市立図書館一階ロビーで始まった。

  本県などの詳細な地図と裏面に記された統計などに、市民らが興味深そうに見入っていた。同展は5月20日まで。
 
 展示会は新聞「日本」の附録「明治中期分県地図」復刻出版を記念したもの。

 1901(明治34)年から03年にかけて刊行された分県地図は第1回が東京で、本県は第12回に発行された。また台湾や朝鮮、露西亜(ロシア)、中国の地図も刊行されたという。
 
 地図はすべての市町村や主要交通路、名所・旧跡、山岳などを詳細に書き込んだもの。裏面には人口や産業などの統計、地域の説明も書かれ、20世紀初頭の国内や周辺を知る上で貴重な資料となっている。
 
 本県の統計を見ると、1900年の人口は63万437人で戸数は9万5933戸。1899年の公立小学校は弘前市に六校あり、教員は男性が76人、女性は五人だけ。ちなみに全県では515校を数え、教員はそれぞれ1023人、74人と当時の男性上位を反映した数字が示された。
 
 今回展示されたのは本県と秋田、山形、宮城、新潟、長野、石川、茨城、京都、山口、愛媛、高知の12府県。それぞれが詳細に紹介された地図と統計で、採算を度外視しても当時の日本の情勢を人々に知らせようとした羯南の意気込みが感じられる。>

(陸奥新報  2009年4月18日)
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by kuga-katsunan | 2009-04-19 21:48 | ニュース | Comments(0)

弘前:陸羯南の新聞『日本』附録地図展はじまる

 先月の青森中央図書館の展覧会に引き続き、弘前中央図書館でも展覧が始まりました。

今日あたりが桜の開花宣言とのことですので、チャンスがあればぜひご覧ください。

青森県を初めとして12点が展示され、また、それらの裏の統計等がコピーされて真上に掲示されています。
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by kuga-katsunan | 2009-04-18 09:54 | ニュース | Comments(0)

新聞「日本」と政教社の人びと   丸山真男

 前述の丸山のインタビューの中の

新聞「日本」と政教社の人びと

 と題する章で、新聞「日本」、政教社のひとびとついての丸山の思い出が語られていく。


「私が個人的に接していない人として、たとえば古島一雄。

「日本」新聞の編集長で、この人は吉田茂の指南番というか、お師匠でしょう」

とまずまっさきに古島一雄が登場する。

この時期の人々にとっては、古島は、ジャーナリストというよりは、政治家、しかも吉田茂という戦後日本の枠組みをつくった政治家の「師匠」とされている。

 いわゆる、キングメーカー、ということになるのだろうが、明治期に時の政府と対峙したジャーナリストが戦争を経て、今も続く戦後政治体制を影にまわってつくりあげたことになる。
 現代のわれわれは、羯南と古島の目指した世界の中に生きていることになるのだろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2009-04-11 07:50 | 研究 | Comments(0)

如是閑さんと父と私  丸山真男

  てらだ君が東京に帰ってきた。

 かねて懸案であった、丸山幹治のことをもっと調べよう、という話になっている。
息子の丸山真男が父親のことを書いた文章が、もっとないかという話もあり、関係の資料をあたっていったところ、標記の聞き語りが出てきた。

 岩波書店の丸山真男集の16巻に所収されてたが、その解題によれば、昭和59年12月1日に新宿京王プラザホテルで行われたインタビューである。
 もともとの所収は、「長谷川如是閑ー人・時代・思想と著作目録」(中央大学、1985年)であり、インタビューのメンバーは、長谷川如是閑著作目録編集委員会の方々であった。

 丸山には、前にも紹介させて頂いたようにいくつか父、幹治についての発言があったが、これだけまとまって語っている資料は珍しい。

 しかもその内容は

「新聞日本と政教社の人びと」

という章も含んでいる。

「それで、おやじとの関係から、どうしても私の知らない、つまり、私の生まれる前の関係から始めなければならないのですけれども、私が成人してから後になって、ああ、あの人は如是閑とそういう関係だったのか、とはじめて知った人がたくさんいます。」

(丸山真男集  16巻  岩波書店  1996年12月)

以下、丸山真男がどのように、新聞日本の人々を紹介しているか、読んでいきたい。

たかぎ  
 
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by kuga-katsunan | 2009-04-05 06:47 | 研究 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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