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<羯南と古島一雄>(12) 私立大学評判記(その7)

 今回は、「(二)緒言(中)」を取り上げる。古島一雄は、ここで、まず加藤弘之と福沢諭吉の政論を紹介し、次に、民権論が高揚するなか政府の言論統制に触れる。

 そして、「学者の専有たりし政治論は、今や民間志士の手に移され、評論新聞となり、草莽新誌となり、慷慨激越、或は政府の転覆を説き、或は大臣の暗殺を論じ」と述べ、さらに、それらの雑誌について、以下のように批判する。

 「過激なる雑誌の議論は、其意気の太(はなは)だ壮烈なりしに拘らず、其主張は甚だ単純にして、政論として一定の原則を有するものなし。」※( )内は筆者補足。

 しかし、新聞については、次のように高い評価を下している。

 「政論の体裁を具えて現れ来たりしものは、(郵便)報知新聞一派の議論と、之に反対して起きたる(東京)日日新聞の漸進主義なり。」※( )内は筆者補足。

 さらに、新聞と大学との関係を次のように述べる。

 「而して日日新聞の議論は、多く福地(桜痴)、末松(謙澄)二氏の手になりと雖(いえど)も、其議論を供給せしものは、今の所謂帝国大学中の一派にして、報知新聞の記者は、実に慶応義塾の出身者たりしなり。」※( )内は筆者補足。

 明治35年当時、大学出身者の職業として新聞記者の道があったことがうかがえる。陸羯南は、現在でいえば東大法学部中退であり、正岡子規は、東大教養課程での中退となるが、彼らも大学教育を受けたので大学出身の仲間に入れてもよいだろう。
 しかし、古島は、大学には行かなかった。    

 ちなみに当時、帝国大学を卒業後は官吏へ、私立大学の場合は、民間企業を含めて多方面へと展開を広げていた。大学卒業後のルートが確立しつつある時代であった。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2009-02-26 22:36 | その他 | Comments(0)

幻の陸羯南書簡集

  先日、神保町の中野書店さんから目録が届いた。

順番に見ていくうちに飛び起きた。

羯南から三宅雪嶺への書簡が出品されていた。

あわてて全集をめくってみたが、明治25年9月13日から明治29年2月1日までのこの9通の書簡は、ちょうど抜け落ちた部分であった。

写真も掲載されていたのだが、この9通が一巻の巻物になっている。

題に<陸実君>とだけ書いた巻物に手紙がはりつけられている。

封筒も一緒にはられおり、日本新聞社の定型封筒に陸実の名前が墨書されている。

雪嶺の住所は、牛込、麹町と転居している。麹町は雪嶺の妻花圃の縁であったか。

仕事帰りであったので夜分だったが、いつもお世話になっている三宅雪嶺を研究されている先生にお電話をさしあげた。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2009-02-21 08:49 | ニュース | Comments(0)

新聞「日本」付録“各県図”展示

 新聞「日本」付録の“各県図”が青森県立図書館で展示されています。

東奥日報さんに記事が掲載されていましたので、転載させて頂きます。



 <弘前市出身で明治期を代表するジャーナリスト陸羯南(くが・かつなん)が主筆・社主だった日本新聞社が一九〇一(明治三十四)年から〇三年にかけ発行した新聞「日本」付録の全国分県(各県)地図が、復刻本として学術図書のゆまに書房(東京都)から出版された。

 県近代文学館は県立図書館一階の一般閲覧コーナーで三月二十二日まで、復刻本と当時の付録地図「青森懸管内全圖(全図)」など七県の原地図を展示している。>

(東奥日報  2009年2月18日)
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by kuga-katsunan | 2009-02-19 23:02 | トピックス | Comments(0)

新聞『日本』附録 明治中期分県地図 発行

 明治34年から36年にかけて、新聞『日本』附録として製作された<明治中期分県地図>が発行されました。

 以下、ゆまに書房さんのHPから転載させて頂きます。

<二十世紀初頭の日本を示す、我が国最初の新聞附録全国道府県地図。

新聞『日本』が1901(明治34)年1月25日より1903(明治36)年12月27日にかけ、附録として発行した各県別の地図(47道府県および台湾)を全て収録。地図裏面の「重要統計」も掲載する。また、同時期の『日本』の附録である中国、朝鮮、露西亜の地図も付す。

【本書の特色】
●短期間に集中的に発行された日本全国の分県地図であることに地図史上大きな意義があり、その全コレクションを収録する。
●20世紀初頭の日本の姿が地図の形で示され、地図裏面の各県重要統計も含めて、地理学、地方史、交通史、産業史などの研究に多くの示唆を与える。
●陸羯南の『日本』がこうした全国の分県地図や中国、朝鮮、露西亜の地図を附録として発行したことは、新聞史の上で注目すべきことである。
●本復刻板は、原則として原寸(A2判)で掲載。解題・解説を付し、また、裏面の重要統計の項目一覧を付す。

刊行にあたって       清水靖夫(日本国際地図学会評議員)
 本地図集の大部分を占めるのは、わが国最初の新聞附録の分県地図である。分県地図とは、都道府県別に図葉毎にまとめた地図の総称であり、この様式は現在に続いている。陸羯南の持つ思想の背景として、故郷そして日本地域の全てを、人々に認識させようと考え地図の作製を考えたとするのは、穿ち過ぎであろうか。
 廃藩置県後の混乱が、一段落着いたのが明治二十(一八八七)年、奈良県が大阪府から分離独立した年でもあった。また、市制・町村制が公布されたのが二十一年(翌年施行)であり、この時作られた市町村が現在に連なる行政単位の基本になっている。民間の地図製作者も、それまでの国郡図的なものから、新しい道府県別の地図の製作に着手したのは、二十年代の後期になってからであった。
 この分県地図は、道府県の区画と市町村が、ようやく人々の生活に直接関わるようになった時期に当り、明治三十年代中頃の三年間に全ての道府県について刊行されたのは興味深い。地図にはすべての市町村と主要交通路、主な名所・旧跡や山岳が描かれている。裏面には、その道府県の統計、解説、地域の説明が書かれ、道府県についての理解を助けている。また、この時期は国際情勢を反映し、日本も近隣諸国との間に緊張状態を形成、すでに日本の領域内に在った台湾を含め、朝鮮、露西亜を地図として包含している。
 明治中期の国内、周辺を見る上で興味深い地図群である。
 地図の表現は、地名のほか交通路や地形(地貌)で、地形は当時一般的に使われていたケバ表現だが、これはおおよその山地を表している。地図の製作には多くの時間が必要で、近年まですべて手書き(製図)であり、短期間に刊行するために数人の編集者(地図職人)を動員し、その特徴(個性)の見えるのも楽しい。
 全ての市町村名は網羅されているが、一部を除き個々の集落名までは記入されていない。また、当時の最新データを使用するべく努力したようで、例えば東京府では、三多摩は既に東京府になっているが、北部の保谷地域(西東京市の一部)は未だ埼玉県である。
 極く一部の地名に誤記があるが、止むを得まい。
 この分県地図は、新聞社が附録として地図を添付した先駆けとなった。その後の主要新聞が附録としていくのは、分県地図もあったが、東京や大阪などの大都市、東アジア地域への日本の進出を表した大陸物が多くなる。第二次大戦時の地図の統制により、全ての民間地図関係者に枠がはめられていく中で、新聞社による附録地図は、一部を除きこの時終焉をむかえている。

【収録地図の詳細】
No.  名 称     西暦 明治年月日 縮尺(分の1)
1  北海道管内全図   1903 36.04.15  1,200,000
  千島                3,600,000
2  青森県管内全図   1901 34.08.15  450,000
3  岩手県管内全図   1901 34.09.18  400,000
4  宮城県管内全図   1901 34.10.03  400,000
5  秋田県管内全図   1901 34.16.27  400,000
6  山形県管内全図   1901 34.04.25  320,000
7  福島県管内全図   1901 34.09.04  300,000
8  茨城県管内全図   1901 34.11.22  300,000
9  栃木県管内全図   1901 34.10.17  300,000
10 群馬県管内全図   1901 34.11.03  300,000
11 埼玉県管内全図   1901 34.04.03  210,000
12 千葉県管内全図   1901 34.12.03  300,000
13 東京府管内全図   1901 34.01.03  190,000 
  伊豆諸島             7,000,000
14 神奈川県管内全図  1901 34.03.13  190,000
15 新潟県管内全図   1901 34.05.10  500,000
16 富山県管内全図   1901 34.05.25  250,000
17 石川県管内全図   1901 34.16.13  400,000
18 福井県管内全図   1901 34.08.01  300,000
19 山梨県管内全図   1902 35.02.20  250,000
20 長野県管内全図   1901 34.02.21  400,000
21 岐阜県管内全図   1902 35.10.16  400,000
22 静岡県管内全図   1901 34.12.25  300,000
23 愛知県管内全図   1902 35.01.23  250,000
24 三重県管内全図   1902 35.11.20  400,000
25 滋賀県管内全図   1902 35.09.28  250,000
26 京都府管内全図   1903 36.08.07  300,000
27 大阪府管内全図   1903 36.03.25  200,000 
  大阪市全図             50,000
28 兵庫県管内全図   1903 36.10.22  450,000
29 奈良県管内全図   1903 36.09.25  250,000
30 和歌山県管内全図  1903 36.11.18  350,000
31 鳥取県管内全図   1903 36.01.21  260,000
32 島根県管内全図   1902 35.12.20  500,000
33 岡山県管内全図   1903 36.07.15  350,000
34 広島県管内全図   1903 36.12.20  350,000
35 山口県管内全図   1903 36.05.30  400,000
36 徳島県管内全図   1903 36.11.29  250,000
37 香川県管内全図   1903 36.12.27  200,000
38 愛媛県管内全図   1903 36.08.29  500,000
39 高知県管内全図   1903 36.02.25  400,000
40 福岡県管内全図   1902 35.04.26  350,000
41 佐賀県管内全図   1902 35.04.16  200,000
42 長崎県管内全図   1902 35.03.26  500,000
43 熊本県管内全図   1902 35.03.12  400,000
44 大分県管内全図   1902 35.07.08  400,000
45 宮崎県管内全図   1902 35.16.11  400,000
46 鹿児島県管内全図  1902 35.05.23  500,000 
  奄美群島              200,000
47 沖縄県管内全図   1902 35.09.10  400,000
  先島諸島              1,200,000
48 台湾総督府管内全図 1901 34.07.12  800,000
49 北清事件参考地図 1901 34.01.01  5,000,000
50 最新朝鮮地図   1902 35.01.01  2,500,000
51 露西亜全図    1903 36.11.03  12,600,000
52 旅順付近新地図  1904 37.08.15  100,000>
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by kuga-katsunan | 2009-02-14 07:36 | ニュース | Comments(0)

新聞日本 創刊120周年

 今日で、新聞日本は創刊120周年を迎えた。

 羯南時代は明治22年から明治39年の18年間、その後、伊藤社長のもとに大正2年まで。
その発行されていた時期は短かったが、振り返ってみると、新聞日本から巣立った言論人はその後の新聞各紙の中核をなした。
 調べていくほどに、その人材は日本国内のみならず、台湾、朝鮮、大連で発行されていた邦字紙の主力にもなっていたことがわかる。
 羯南は、人材を引きよせ、彼らを育て、そして大きな意味で日本のジャーナリズムの背骨を創造したことが大きな功績であった。
 その意味でこの創刊120周年は、日本のジャーナリズムが共通に共有できる<創刊>ということが言えよう。

 昨年、日本画報の復刻を行うとき、その資料の多くを富山の北日本新聞博物館の所蔵資料によった。
 その際、北日本新聞の方から、その社名が羯南の新聞日本によっていることを教えて頂いた。

 日本が戦時体制に移行するなかで、各地にあった地方の新聞は各県1紙に統合されていった。富山にあった北陸日日、北陸タイム、富山日報、高岡新聞の4紙が昭和15年に統合されて新たにできあがったのが<北日本新聞>であった。

 <新紙名はいろいろ候補名が挙げられたが、加藤金次郎の主張する「北日本新聞」が四社のどれにも類似せず、最も無難であるということで全員の一致を見た。>
(北日本新聞百二十年史)

 加藤金次郎は北陸日日新聞の経営者で、新聞経営に乗り出そうとして、昭和8年富山新報を買収した際に、敬愛する陸羯南にちなんでその紙名を<北日本新聞>にしようとしたことがあった。
その際は
<東北、北海道の新聞に間違われやすいといわれ、自案を引っ込め、北陸日日新聞にしたといういきさつがあった。>
(富山県言論の軌跡、北日本新聞社)

 加藤にとっては、昭和15年の4紙統合は二度目の挑戦であったわけであったが、その熱意が実り、その社名は21世紀の現代にも生きている。
 そしてここにも羯南の精神が生きている。

たかぎ

 
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by kuga-katsunan | 2009-02-11 20:05 | トピックス | Comments(0)

<坂の上の雲>から

TV Life Webに<坂の上の雲>の記事が掲載されていたので、転載させて頂きます。

<もっと一緒にいたかった…ドラマ『坂の上の雲』で20キロ減量の香川照之が渾身の演技
2009年1月17日(土) 13時59分

 2009年秋から3年にわたって放送されるNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の取材会が16日(金)、東京・調布で行われ、日本海軍の伝説的参謀・秋山真之役の本木雅弘、真之の幼なじみで俳人の正岡子規役・香川照之、子規の妹・律役の菅野美穂、子規の母・八重役の原田美枝子、子規の恩人・陸羯南(くが・かつなん)役の佐野史郎が出席した。

 激動の明治時代前半と真之・子規たちの青春を描く第1部(今秋放送=全5回)の収録がほぼ終わり、現在は2010年秋に放映される第2部(全4回)の撮影に突入。

 この日は病床に伏す子規を真之が見舞うシーンや、陸の仕切りによる子規の葬儀のシーン(第7回「子規、逝く」)などが撮影された。

 テレビドラマとしては異例の足かけ3年に及ぶ撮影の最中、それぞれが演じる役柄と同等といえるほど絆を深めたという本木は、
「ほぼ3年のスケジュールのうち1年以上が既に過ぎたんですけれども、今この何日かが香川さんと私の中で記憶に残る山場になっています。香川さんとは年齢も近く、長い撮影を共にしてきて、原作さながら本当に長く知っている幼なじみとつかの間の幸せを味わっているような瞬間を味わっています。短い生涯を文芸に捧げ、病に伏せてなお太陽のような輝きを周囲に与えていた子規さんと香川さんが私の中で完全に同一人物と化しました。産みの苦しみは常にありますが、このようにゆっくり役が気持ちに近づいてきてくれるようなお芝居ができることは生涯何度もある経験ではないので大切に演じたいと思います」とコメント。

 続いて、死にゆく子規の役づくりのため20キロ近く減量したと本木に暴露された香川は、
「僕はこの長い撮影がいよいよここで終わるということで本当に、久々に感無量です。この役を通して共演者の皆さんに出会えてよかったなと思える1年半でした。今日の撮影は本当に思い出に残ると思います。正岡子規という人物から離れがたくもありますが、最後まで子規さんに失礼のないように演じさせていただきたいと思っています。そしてこれは子規の気持ちと一緒だったと思うんですが、本当に(皆さんと)少しでも長く一緒にいたかった。真之が本木さんで…本当に…良かったです。いろいろなものを交換できました。何か大きなものを託して去っていくような不思議な気持ちです」

と最後は声を震わせながらコメント。

 スペシャルドラマ『坂の上の雲』は今秋放送(2009年11月29日~12月27日 毎週(日)後8・00~9・30=90分/全5回)。
また、この日撮影されたシーンは来年2010年の冬に放送される予定。

スペシャルドラマ『坂の上の雲』陸羯南役の佐野史郎。

「最初にお話をいただいたのは三年前とか三年半前とかで、そんなに先のことわかるかなと思ったら結構あっという間にやってきました。長いスパンでの撮影なので、我々キャストもそうですけど、スタッフの皆さんも本当に大変だろうと。完成を楽しみにしております」>

(TV Life Web)

http://www.tvlife.jp/news/ph_090117_03_001.php

http://www.tvlife.jp/news/ph_090117_03_006.php
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by kuga-katsunan | 2009-02-09 23:42 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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