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<羯南と古島一雄>(8) 私立大学評判記(その3)

古島一雄が新聞「日本」時代に連載した「私立大学評判記」は、明治36年11月3日に始まり、以後、50回連続、明治37年1月1日まで約2ヵ月間の長期にわたった。

連載が始まる10月23日には、下記の社告が出ている。これもその日から連日、掲載前日の11月2日まで続いた。

「帝国大学と対塁して高等教育の任に当たるもの、慶応義塾大学部、早稲田大学、法学院大学(現・中央大学)、明治大学、日本大学、法政大学及び哲学館(現・東洋大学)あり。本社は数か月間の苦心に由りて収集したる各種材料に基き、既往現在及将来の三期にわたりて詳らかにその長短善悪を較論し、講師及関係者の人物性行は言うに及ばず、各学校の特色学風、得業生(当時の私立大学の卒業生のこと)の現状、教授科目、月謝、学校経済、その他各学校の秘密に至るまで細大漏らさず、すべてこれを評判記中に収めんとす。まさにこれ各学校のパノラマたるのみならず、また実に少壮人士の就学案内たるを得べし。本社はこれを11月3日の紙上より掲載すべし。」 (( )内筆者注)

明治も30年代半ばを迎えると国民の大学への進学熱が高まってきていた。教育社会学者の天野郁夫は、明治30年代に日本の学歴社会の原型がつくりあげられた、と述べている。

私立の法律学校も“大学”を名乗ることを国に認められるようになった。それまで私立大学にとっての法的根拠がなかったが、国としても学校制度に取り込むため明治36年4月に専門学校令を公布した。(私立“大学”なのに“専門学校”令とはおかしいが、国はまだ私立大学を“大学”として認めていなかった。国にとって大学とは、東京と京都の2つの“帝国大学”のみだった。)

学校教育のはみ出し者であった古島が、「私立大学評判記」を書くことになった。古島にその時の気持ちを尋ねてみたいものだ。

そういえば、陸羯南も司法省法学校(現・東京大学法学部)を中退している。彼らは、「立身出世」につながる正式なルートに乗らなかった。いや、乗れなかったのか…。

いしがみ
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by kuga-katsunan | 2008-10-30 20:38 | その他 | Comments(0)

陸羯南とスポーツ報道

 陸羯南研究の歴史の中で、「陸羯南とスポーツ報道」をテーマにした研究や文献はないという。
 羯南の生きた幕末から明治という時代を思えば、致し方ないのかもしれない。

 テニス、ラグビー、ゴルフ、サッカー。野球などの例外を除き、およそルール化された近代スポーツのほとんどは英国を発祥の地とするか、少なくとも英国で体系化されている。それも18世紀から19世紀の英国である。産業革命を成し遂げたことによって生まれた時間、経済力などを背景にして、貴族階級を中心に、余暇の楽しみや富国強兵につながる肉体強化、社交の道具、教育上の規律を生み出す場として、スポーツのルール化、ゲーム化が進められた。

 日本に入ってくるのは維新以降で、東京(築地)、横浜、神戸、大阪、長崎、箱館、新潟など外国人居留地に持ち込まれ、主に大学などの教育機関を通じてジワジワと広まっていく。その速度は競技によって濃淡はあるが、スポーツジャーナリストの玉木正之氏は黎明期のスポーツ報道として、時事新報が明治29(1896)年に報じた第一高等学校と横浜の米国人アマチュアクラブとの野球の試合結果の記事を挙げている。

《第一高等学校生徒と横浜なる外人のアマチュア倶楽部部員とが昨日午後1時より横浜の公園にベースボール競技会を開きしに、第一高等学校生徒の大勝利に帰して、おおよそ20余点の差なりしという》

かざま
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by kuga-katsunan | 2008-10-29 22:04 | 研究 | Comments(0)

弘前・陸羯南会の発足を祝す

 14日、陸羯南の誕生日に、その生地弘前で陸羯南会が発足した。

 以前、このブログでも紹介させて頂いたように大正八年九月、陸羯南の十三回忌に再版された著書<原政及国際論>の前書きにも陸羯南会が出てくる。
 青森出身の新聞日本で活躍した小山内大六、没後出版された「羯南文集」の編集をした梶井盛、愛媛出身の子規門下の歌人であり新聞日本でも短歌欄を担当した森田義郎らがこの会の発会を主唱していた、との記述がある。

  弘前の稲葉克夫先生の御著書<陸羯南の津軽>のあとがきには、弘前でのこれまでの陸羯南研究の動きが書かれている。

  このあとがきによれば、これまでも

昭和49年  陸羯南を語る会
平成10年  「陸羯南賞」創設準備委員会

の動きがあったことがわかり、そして昨年の陸羯南生誕百五十年没後百年記念実行委員会につながっていった。

  戦後の陸羯南研究の歴史の中では丸山真男の論文が嚆矢としてあげられるが、弘前でも鳴海康仲先生の陸羯南顕彰の活動は改めてその大きさを強く感じる。
 その編纂された<羯南陸実先生>は小冊子ながら年譜、主要論文、書簡、関係者の追憶を網羅しており、新刊で陸羯南の著書が入手し難い現在、かってアメリカの研究者バーバラ・J・ティターズも懇望したように、またその復刊が期待される。

 これらの活動に参加された相川文蔵氏には<陸羯南おぼえがき>(昭和40年)、<郷土の先人を語る  陸羯南>(昭和42年)の著作がある。
また川村欽吾氏が東奥日報、東奥義塾紀要などに書かれた<陸羯南をめぐる人々>のシリーズは、伊藤重、赤石定蔵、珍田捨己、北里柴三郎、加藤拓川、賀古鶴所などの関係者を網羅しており、特に陸羯南晩年の片腕として活躍した赤石本人にも取材した<赤石定蔵と陸羯南>は、陸羯南の経営者としての苦闘を語る部分も含み非常に貴重である。川村氏の論文には、全集に所収されていない資料を参照されたことを示唆する部分もありその研究資料の分析も待たれる。

  戦前に戻れば、東奥日報の文化部長も務めた文人・竹南長谷川虎次郎が、昭和初期に「羯南文録」の出版や、三十三回忌のおりなどにふれて書いた一連の<陸羯南翁追憶>もその時代を伝えて意義深い。

  陸家からは、数多くのオリジナル資料が、弘前の郷土文学館に寄贈されており、その一部は昨年の展覧会で陳列され、今後とも数多くの内外の研究者がその詳細な内容の公開を期待している。

  世界的な経済混乱が続く国際情勢の中で、改めて経済体制のありかたを含め、民族、国家の問題が全面に出てくる時運となってきている。
  この時期に、明治国家の草創期、同様のテーマと格闘した陸羯南の会が発足したことは大きな意味をもっている。広く国内外との交流を踏まえ、現代的な意義をおさえながら、大きな発展を遂げられんことを願ってやまない。

  陸羯南が、日露戦争の前年、明治36年欧米視察の出発にあたり、杉浦重剛が贈った漢詩を紹介させて頂く。

     
           入海不求徐福薬

           乗槎敢履仲尼言

           籍君三眼能看取

           建国美風何処存


                                               たかぎ

 


  



  
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by kuga-katsunan | 2008-10-18 07:27 | トピックス | Comments(0)

弘前   陸羯南会  発足

 弘前で、陸羯南会の設立総会が14日に開催された。

地元の陸奥新報さんのHPに記事が掲載されていましたので紹介させて頂きます。


<功績伝える活動に意欲 弘前で陸羯南会の設立総会


 弘前市出身の明治の言論人・陸羯南の功績を伝え研究を続ける待望の「陸羯南会」が発足し、設立総会が生誕日の14日、同市立弘前図書館で行われた。

 今後、羯南とその関係する人々の研究・顕彰を図り、講演会や感想文募集、会誌発行などさまざまな事業を展開する。

 弘前市出身の明治の言論人・陸羯南の功績を伝え研究を続ける待望の「陸羯南会」が発足し、設立総会が生誕日の14日、同市立弘前図書館で行われた。

今後、羯南とその関係する人々の研究・顕彰を図り、講演会や感想文募集、会誌発行などさまざまな事業を展開する。

 設立総会には発起人の鳴海康安さん、羯南研究家の稲葉克夫さん、舘田勝弘県郷土作家研究会代表理事らのほか、石岡徹弘前市教育長、新渡戸満男弘前商工会議所会頭、斎藤三千政弘前ペンクラブ会長ら20人が出席。

 発起人を代表して鳴海さんが「継続し活動を進めていくことが大きな力となる」とあいさつ。石岡教育長が「昨年のパワーが会の発足につながった。自由な活動を期待したい」と激励した。
 
 会長には事務局長兼任で舘田さんを選出、副会長は笹森建英弘前学院大学教授らが、顧問には新渡戸さん、鳴海さん、稲葉さんが就任した。名誉顧問には相馬●一市長を予定している。
 
 総会では設立趣旨、規約、予算案などを決めた。

 活動計画では来年1月24日に設立記念講演会を開く。中学生を対象とした羯南伝記を通した感想文や夢を募集、研究・調査内容を掲載した機関誌「陸羯南会誌」も年1回発行する。

 松山子規会との交流、俳句大会の開催なども予定し、活動として実行していく考えだ。

 舘田会長は「歴史のあるものに作り上げていかなければならない」と決意を示した会では年会費3千円で会員をこれから募集、寄付金なども募って活発化を目指し、広く羯南の功績を伝えていく。
※●は金へんに昌>

(陸奥新報 2008,10,15)
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by kuga-katsunan | 2008-10-16 05:33 | トピックス | Comments(0)

研究を深め永く伝承を・10月14日「陸羯南会」発足へ

 弘前の「陸羯南会」発足について、青森の東奥日報さんの今日の社説がHPに掲載されていましたので、転載してご紹介させて頂きます。


<研究を深め永く伝承を/「陸羯南会」発足へ

 明治を代表する言論人・陸羯南(弘前出身、本名・中田實)を研究する「陸羯南会」が生誕の十月十四日、弘前市で設立される。

 二〇〇七年に、同市で催された「陸羯南生誕百五十年没後百年記念事業」で「日本」新聞の主筆兼社主だった羯南の存在が取り上げられた。
市の支援を受けた事業で、明治言論界の巨星は県内外の関心を集め理解も徐々に深まった。

 この動きを契機に、「羯南の精神や功績を後世に伝え、『日本』のもとに集った多くの県人の研究を進める必要がある」との機運が強まり、同記念事業の発起人でもある有識者らを中心に設置の運びとなった。

 陸羯南は日本が近代国家へと向かう激動の明治期に、当時の政府の極端な欧化主義に反対し批判、国民精神の発揚と国民の公益と独立を目指す「国民主義」を唱えた。
新聞発行停止などの政府の弾圧や苦境に屈することなく、言論を貫いたジャーナリストだ。

 会発足では羯南研究を掘り下げ、永く伝承していくことが求められる。
今後、一般会員を募っていくというが、幅広い賛同を求めていくべきだ。

 陸羯南は戦後、政治学者の丸山眞男氏の論考「陸羯南-人と思想」により再評価されたといわれる。
それ以前、明治きっての人物評論家・鳥谷部春汀(五戸出身)が「明治期の新聞界における羯南・陸實氏の位置はほとんど絶対的なりといふも可なり」と評したことで知られる。

 羯南研究の出版活動は盛んだ。
〇七年に、同記念事業などの一環として、一八八九(明治二十二)年の創刊時から一九〇六年までの「日本」の社説、著作を網羅した「陸羯南全集」が復刻。
地元出版界からは「陸羯南の津軽」(稲葉克夫著)など、今年四月には東京都の陸羯南研究会の協力で「日本」付録の写真グラフ誌「日本画報」(全四十二号)も再生された。
羯南研究はますます熱を帯びている。

 明治と現代の政治・国際状況は大きく異なる。
しかし、羯南の論は今に通ずるものがあるといわれる。

 明治の激動の一端を知ることは、今の日本、ふるさとを見詰め直し、未来を探ることにつながろう。
羯南とその時代を学ぶ意味は、そうした点にもあるのではないか。

 羯南は「日本」に入社した正岡子規(松山市出身)の素質を見抜き、生涯支えたことでも知られる。

 日本の俳句・短歌の革新を成し遂げた子規だが、地元には一九四三年に発足した「松山子規会」(会員約三百五十人)という著名な組織がある。
「子規の父」ともいえる陸羯南の研究会が立ち上がることは、子規との関係においても意義があるのではないか。

 「名山名士を出(いだ)す…」。

 羯南が弘前に残した不朽の名作(詩)には故郷の若者を励ます思いがあるといわれる。
「願わくは一片の名、留めて千載の史にあらんことを」は羯南自作の漢詩「吾心」の中の一文。

二十代の青年羯南は、千年後に名を残したいとの志を表現していた。

 いま歳月を経て、ふるさとの人たちの手でその陸羯南に小さな灯がともる。

偉人の足跡をたどろうとする新たな歩みに期待したい。>

(東奥日報 10月10日 社説)
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by kuga-katsunan | 2008-10-10 19:54 | ニュース | Comments(0)

弘前   陸羯南会(続報)

 弘前の陸羯南会については、地元の陸奥新報さんのHPに紹介記事が掲載されておりましたので、転載させて頂きます。

 「弘前市出身の明治の言論人・陸(くが)羯(かつ)南(なん)の功績を伝え、研究を進める「陸羯南会」(仮称)が同市の有志らによって立ち上げられることになった。

 羯南の誕生日である10月14日に設立総会を開く。
 
新聞「日本」の社長兼主筆として明治の言論界をリードした陸羯南。昨年、生誕150年没後100年記念事業が弘前市で大々的に行われ、今後もその功績を伝え、羯南研究や彼の元に集まった人々の研究を続けるべき―との意見が多く寄せられ、会設立の話が出ていた。

 今年に入り、新聞「日本」付録の「日本画報」が新たに出版されるなど、羯南に対し熱い視線が注がれている。
   
   その声に応えるべく、昨年の記念事業実行委員会の委員を務めた鳴海康安、稲葉克夫、笹森建英、小笠原豊、舘田勝弘、山本和之各氏が発起人となり、陸羯南会を発足することとなった。
  
 会では羯南の研究や羯南に関係する人々の研究を進めていき、広く羯南を伝える活動をしていく。

 主な事業としては
  (1)中学生を対象とした感想文「夢」募集
  (2)講演会
  (3)陸羯南・正岡子規記念俳句大会
  (4)機関誌「陸羯南会誌」発行
  (5)陸羯南に関係する人々の紹介や研究
  (6)関係団体との連携を強化し、会員相互の親睦(しんぼく)を図る

 ―などを計画している。
 
 設立総会は10月14日午後3時半から、市立弘前図書館二階会議室で行う。

 現在会員を募集(年会費2千円)しているほか、設立総会への参加を募っている。

 事務局は〒036―8043 弘前市東和徳町10の4、舘田勝弘さん方(電話・FAX0172―34―7861)。

(陸奥新報 2008年9月3日)
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by kuga-katsunan | 2008-10-05 07:01 | ニュース | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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