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<   2008年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

東京女子大学 丸山真男記念文庫

 丸山真男の蔵書は、東京女子大学の図書館に所蔵されている。

丸山の自宅が東京女子大学に近かった縁から、その蔵書と草稿等は丸山真男記念文庫として図書館に寄贈された。

 図書館の地下の所蔵庫の一角に、文庫が管理されているが、驚くべきは、その所蔵形態が丸山真男の家の本棚に並べられていた順番をまもっていることである。

 蔵書の並び方はその所有者の頭の中の整理の状況を現わしている、ということが、その本棚に入り込むと、あたかも丸山真男の頭の中に入り込んだ様な錯覚に陥る。
 
 試みに、陸羯南の関係の蔵書は、と探してみると、近衛篤磨の関係図書、谷干城の伝記、その近くに三宅雪嶺、福本日南、長谷川如是閑、そして徳富蘇峰の著作が並んでいる。

 父親の丸山幹治の著作も一緒に並んでいるかと思ったが、これらは少し離れたところにあり、丸山の兄弟たちの著作とともに、丸山家の人々の著作のたなの一群のなかにあった。

 陸羯南のオリジナルの著作を探したが、こちらは自らが関わった全集があるだけで、オリジナルの著作は見当たらない。

 実は現在公開されている文庫は全体の一部にすぎない。

「丸山眞男文庫が2005年4月から一部公開されています。今回公開されたのは、故丸山眞男氏から受贈した書籍約18,000冊のうち、約12,000冊です。全て開架に置かれ、自由に閲覧できます。」(東京女子大学  図書館)

 残りの約三分の一がまだ公開されていないのだ。
図書館は<丸山眞男文庫所蔵図書資料類の部分公開について>とする一文を掲げている。


「戦後日本の代表的知識人であった丸山眞男氏が遺された膨大な図書資料類や各種草稿資料類は、1998年9月に丸山家から東京女子大学に寄贈され、翌年春から同大学図書館の丸山眞男文庫室に収蔵されています。図書館では、このうち各種の草稿資料類に関する調査と整理を専門家に委嘱する一方で、氏が遺された図書資料類に関しては、なるべく早期に一般の利用に供することを目指して努力を重ねて参りました。その結果、本年4月8日より部分的な公開が可能となりましたので、お知らせ致します。

 上記の図書資料類に関しては、1999年春の搬入後、図書館員による整理作業が始まり、2001年春には受贈の記録として、仮目録『丸山眞男文庫寄贈図書資料目録』が作られて丸山家に届けられました。関係者にも配布されています。その後さらに丸山家から搬入された書籍類を加えた総計は、和漢書が約一万六千冊、洋書が約二千冊、和・洋雑誌がそれぞれ約千タイトル・百四十タイトルにのぼります。国立情報学研究所の「総合目録データベース」に準拠した目録情報が、図書館のコンピュータ内部に構築されています。

これらの図書資料類には、丸山氏の思想・学問の形成をうかがううえで不可欠の書籍類、氏の豊かな学殖をものがたる一般教養関係の良書、氏と親交のあった作家や学者の作品などが数多く含まれています。また政治学を中心とする社会科学や思想史に関わる内外基本文献の集積という点で、よく纏ったコレクションになっています。さらに近現代日本思想の諸潮流や各時期の主な争点などを概観する上でも有益です。戦後60年を迎えて日本国憲法や教育基本法の改正が問題にされている現在、改めて戦後精神の原点は何であったかを考える上で、戦後民主主義の旗手といわれた氏の蔵書からなるこの図書資料類は大きな意義をもっているといえましょう。

 これらの蔵書中には、丸山氏が書きこみや線引き、折りこみなどを行った書物や、論文執筆時に参照したことの明らかな本などが約五千部あります。これらは丸山研究にとって貴重な資料的価値をもっていますが、一般に公開するには、専門家による事前の十分な調査と手当てが必要です。長い年月の間には、どれが丸山氏自身によるものであるかが不明確になる惧れがあるからです。また貴重書については、原本の劣化を避けるためにデジタル資料による供用が考えられますが、その選定のためにも調査が必要です。さらに手沢本の目録作りが計画されており、そこには個々の図書に対する書きこみや傍線の頻度などに関する情報も付される予定です。以上のような諸事情から、丸山文庫の蔵書全体を公開するには、なおしばらくの時間が必要となります。この点について皆さまのご理解をお願いする次第です。」

 丸山真男は、本に書き込みをすることで有名であった。

彼がどのように思索をまとめていったかは、それ自体が知識社会学的にも非常に面白いテーマだが、やはり陸羯南の著作もまだこの公開されていない蔵書の中に埋もれているのだろうか。

たかぎ



 
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by kuga-katsunan | 2008-01-27 21:20 | トピックス | Comments(0)

菊池九郎(1)

 有山輝雄著「陸羯南」によれば、羯南は、1873年(明治6年)、前年に再興されたばかりの私立東奥義塾に入学している(翌年、退学し宮城師範学校へ入学)。
この東奥義塾再興の中心人物が、菊池九郎である。

 その後、羯南は、司法省学校を経て、1879年(明治12年)秋、青森新聞社に入社している(翌年8月頃退社)。
このとき、羯南と共に国会開設運動を展開し、後に青森新聞を譲り受け、1888年(明治21年)に東奥日報社を設立した人物もまた、菊池九郎である。

菊池九郎とはどのような人物であったのであろうか。

秋永芳郎著「東奥の炬火 菊池九郎伝」によれば、菊池九郎は、1847年弘前に生まれ、1926年迄の生涯80年間に、

1)教育:東奥義塾の創設(1872年)

2)マスコミ:東奥日報社初代社長(1888年)

3)政治:青森県議会議員連続3回(1882年)、初代弘前市長(1889年、1911年にも市長)、衆議院議員国会開設以来連続9回(1890年)、、山形県知事(1897年)

4)地域産業振興:殊に林檎栽培の普及に尽力

等数々の偉業を達成した「東奥の炬火」に相応しい人物であったようだ。

以降、羯南との関係を中心に少々詳しくみてゆきたい。

しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2008-01-27 13:01 | その他 | Comments(1)

青木先生のメモ

  おかもと君から青木先生が、陸羯南について考えておられたメモを頂戴した。
おかもと君が以前ブログに書いていたメモである。
先生のお考えがよく出ているので、御紹介させて頂く。

   <「陸羯南と新聞「日本」(仮題)


◎執筆の狙い
 三宅雪嶺、徳富蘇峰、池辺三山、山路愛山らとならび、明治中期新聞界の巨峰である陸羯南の「人と思想」を、新聞「日本」を主舞台とした不屈不撓の言論活動、「日本」に蝟集した雪嶺、正岡子規、長谷川如是閑ら“羯南人脈”群との交流などから再構築する。
 
 これにより羯南らの活躍期と同時代性が認められる今日の思想状況、ジャーナリズムの新たな道標を目指し、

「明治日本」に日本再生の原点を求めていた故司馬遼太郎の遺託に応える。

◎主な内容

 ① いま、なぜ陸羯南か

   ・現代日本の思想状況と羯南

   ・今日のジャーナリズムの危機と羯南

 ② 陸羯南の人と思想

   ・羯南という人-その生い立ちと青春放浪

   ・羯南の友人群像-加藤拓川、原敬、福本日南、国分ら
  
   ・思想史の中の羯南-文明開化と国民主義と国粋主義
  
   ・「近時政論考」「原政及国際論」などを読む。

   ・「羯南と諭吉(福沢)」
   ・「羯南と蘇峰」
   ・「羯南と兆民(中江)」
   ・「羯南と重剛(杉浦)」

など。

 ③ 陸羯南と新聞「日本」

   ・最後の大新聞「日本」の盛衰

   ・羯南の新聞、新聞記者論

   ・羯南と「日本」の人々-その人格群

   ・“羯南人脈”と現代ジャーナリズム

   ・ジャーナリストは羯南に何を学ぶべきか

 ④ 司馬遼太郎と陸羯南>


 青木先生は<羯南らの活躍期と同時代性が認められる今日の思想状況>としていらっしゃるが、その<同時代性>とは何であったのか、<今日のジャーナリズムの危機>とは、そして最後の<ジャーナリストは羯南に何を学ぶべきか>の一言が重い。

 このジャーナリストを、現代人と読み替えたとき、このテーマは非常に大きく広がる。

自らをはじめ、不肖の弟子たちばかりで恥ずかしいかぎりだが、一歩づつでも先生の目指していらしたところを蝸牛の歩みながら探りたい。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2008-01-16 22:17 | トピックス | Comments(0)

《黄泉還り対談》 陸羯南---正岡子規について語る その四

学生時代の子規

問  まず初めに、子規と初めて会った時の事についてお伺いしたいのですが。
陸  「あれは、明治十六年六月の頃だったと思うが、私が役所勤めをはじめて直ぐ、司法省法学校(現在の東京大学法学部)時代の友人である愛媛県松山出身の加藤恒忠君から話があって、
   『近々甥が上京するが、自分はフランスヘ行かねばならず、甥の面倒を見る人聞が居なくなるので、郷里の人に頼んでいく積もりだが、君の所へも顔を出す様に言っておいたから、その時は宜しく…』ということだった。
   それから四五日して、その若者が我が家にやって来た。
   正岡子規は浴衣に兵児帯を締め、『叔父が行けと言ったから参りました』と言ったきり、あまりものを言わない。私から色々話を切り出してやっと口を開くようになった。その話辰りを聞くと、中・々大人びており優秀な青年だと思った。子規の叔父の加藤は、私より二三歳若い男だが非常に優秀な人物で、血は争えないと感じたものだ」
問  その後ずっと行き来はあったんですか。
陸 「その後ぱ、なにか相談があれば来ると言う位のもので、彼は東京大学に入学したりで忙しくなり、数えるくらいしか会っていません」
問  どのような相談があったんでしょうか。
  「正岡子規の事は正岡君と呼んでいたので、ここからは正岡君と呼ぶ事にします。正岡君が東大には入って何年か経った頃(明治二十四年初秋)、何度か試験を放棄していて。大学の勉強に興味を失っていたようなんだ、と言うより大学をやめようとして相談に来たことがあった。
 私は、大反対した。その時は思い止まったんだが、彼の気持ちの中ではその事がくすぶっていたようだね」
問  大学を辞めてどうする積りだったんでしょうか。
陸  「彼は大学をやめても食べて行ける様に、小説家になろうとしていた、当時、幸田露伴や喪藤緑雨、尾崎紅葉などが小説家として成功していたんです。彼等は正岡君と同じ歳でしたそれで自分にも出来ると思ったのかも知れません」

つづく
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by kuga-katsunan | 2008-01-06 00:02 | その他 | Comments(0)

明治の写真誌「日本画報」復刻へ

 新聞日本の附録である、日本画報について、東奥日報さんの記事になりましたので転載させて頂きます。
  

  「明治を代表する言論人・陸羯南(弘前市出身)が主筆兼社主を務めた新聞「日本」の付録である写真グラフ誌「日本画報」の復刻版が今春、刊行される計画が進んでいる。

 日露戦争開戦後の明治期の世情を映し出すとともに、新聞のビジュアル化の過程を示す貴重な資料で、全国でも青森市の県近代文学館などで数セットしか確認されていない。学術出版社「ゆまに書房」(東京都)が企画しており、全国各地で調査研究を展開している陸羯南研究会(東京都)の熱心な働きかけが後押しした。

 「日本画報」の現物は長らく確認されていなかったが、二〇〇三年一-二月、富山市内の個人宅などで相次いで見つかった。県近代文学館は、羯南の生誕百五十年・没後百年の節目である〇七年、特別展に当たって古書店から三十七号分を入手した。

 日本画報は一九〇四(明治三十七)年六月六日、第一号を発行。タブロイド判、四-十ページで、月二回のペースで刊行され、〇六年十月の四十二号まで見つかっている。

 当時開発されたばかりの写真製版の技術を生かし、写真をふんだんに掲載している点が特徴。日露戦争開戦間もない世情を反映し、軍人の肖像写真や戦場の一場面が多いが、相撲やスポーツ、女性のファッションなども特集され、当時の風俗や文化が映し出されている。

 陸羯南研究会が「メディア史研究の上でも貴重な資料であり、復刻できないか」と、日本マス・コミュニケーション学会前会長の有山輝雄・東京経済大学教授を通じて、「ゆまに書房」へ打診。同書房は二十年ほど前に新聞「日本」復刻版を刊行した経緯もあり、出版に向けて前向きに検討を進めている。

 日本画報について、県近代文学館の黒岩恭介館長は「新聞『日本』で写真製版の技術開発を命じたのは、羯南だったという話がある。羯南の先進的な精神を示しているのでは」と話す。」

(東奥日報  2008年1月4日)

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by kuga-katsunan | 2008-01-04 22:56 | ニュース | Comments(0)

《黄泉還り対談》 陸羯南-正岡子規について語る その三

二)イタコの口寄せ

 暫くすると、豊子さんが口を開いた。
 「良ぐ来たな・…おめは誰だ…」 口寄せに成功した。その声は豊子さんではなく他人が憑依した、別人の口調だった。
 私は、干からびたのどの奥から声を振り絞った。
  「今日は、陸さんにお聞きしたい事が有ってやって参りました」やっと発した声だった。
 豊子さんの首が二度頷いた。それが陸羯南の意思であるかのように…。
 陸羯南を『黄泉の国』から蘇らせ。対話をすることが出来るのである。

口寄せは、降霊した人(陸羯南)の言葉がイタコの口(豊子さん)を通して表現されるのである。豊子さんの言葉は、生粋の津軽弁でイタコ独特の節回しでご詠歌を歌う様に表現されるのです。
 一部を紹介しましょう。

 『…シギッツウオドゴハオラエサキタドキア へコオンビバシメデ キタバッテ ナンモシャベネ オドナシイワラシデアッタゴシネ。
 オラハ マサオカツネノリデ ハジメデトウキョクサデデキタンダ。オンジガ イゲッテシャベッタハンデ アイサツニマイリマシタ。
 ソウシャペッタキリ ナンモシャベネンダ。シタハンデ オラガラ ナンガエロエロキイデ ヤットシャペルョウニナッタドモ シャベルノバキイデミダキャ タイシタサガシイワラシデアッタゴシネ。
 シギノオンジオヤノ カドウツネタンダツー オラノケヤグダフモ オラヨリワゲガッタバッテ タイシタアダマノエエヒトデ イガサマ サガシハズダッテ ガッテンイックゴシネ。…』

この様に延々と口寄せされるのである。

  これらを標準語に手直しをしたものが今回の『黄泉還り対談』です。

つづく
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by kuga-katsunan | 2008-01-03 04:24 | その他 | Comments(0)

《黄泉還り対談》 陸羯南-正岡子規について語る その二

一)恐山

 死者の霊魂が集まると言うその山は、真夏の陽光が降り注ぎ、とても鎮魂の場所とは思えない明るさに満ち溢れていた。登るにつれて硫黄の臭気が鼻を突き、岩だらけの山肌は頭上からの太陽に容赦無く照らされていた。
 その日は『恐山夏の大祭』の初日だった。多くの信者達は汗を噴き出しながら、緩やかな参道を黙々と歩いている。
 私と寺中さんもその中に入っていた。
 私が青森県下北の恐山を訪れたのは、百年前に亡くなった津軽の偉大な先人・陸羯南の霊に会う為であった。
 ここ恐山には、イタコが居て交霊が出来るという。イタコの口寄せは、私にとって初めての経験である。今回は下北に住む親戚の寺中さんにお願いして段取りをしてもらった。
 イタコの豊子さんは、私の為に他の人を入れずに、体を空けておいてくれると言うので、私は東京から夜行列車でやって来た。
 私は片手に一升瓶、もう一方の手には旅行鞄を持っていた。

 「これから会ってもらうイタコの人はにし、西目屋の豊子ってなす、恐山でいぢぱん評判の高い人だすけ…」

寺中さんは歩きながら、私の興味を掻きたてる様に南部弁で言った。
 私はこの暑さで返事をするのも億劫で黙って歩いていた。
 ほどなく行くと、登り坂の両側には丸太で組んだ長屋のような小屋が並んでいた。
 この小屋がイタコの口寄せ場だと言う。粗末な板やカンバスなどで畳二畳くらいに仕切られた一角では、もう口寄せが始まったところもある。
 鉦の音、木魚の音、お経の声、絶えず吹く風に煽られるカンバスの音、それに坂を登る信者の砂利を踏む足音などが、景色と入り交じり混沌の様相を見せている。
 そんな坂の途中に、表に布を垂らしひっそりした一軒の小屋があった。
 寺中さんは、真っ直ぐにそこへ向かい、布の間に手を差し込み、暖簾のように掻き分けた。
 「居だがー」寺中さんは声を掛けながら長身心体を潜り込ませた。暫らくして、布の間から私を手招きした。私もその大きな暖簾を掻き分けて中に入った。天幕の中には、身体に巻きつくような重たい熱い空気が充満していた。
 中は真っ暗で、隙間から入る光が、埃を鋭い刃物の様に際立せていた。奥に幾本かのローソクの灯が、祭壇らしきものを浮き上がらせている。
 祭壇の前に三角に盛り上がった塊があって、それがイタコの姿であると理解するのに若干の時間が必要だった。彼女は着物を十二単のように、頭から被る様に着付け、じっと座って我々を待っていたのだった。
 暗くて足元が見えない中、私達二人は見当をつけて、その十二単の前に膝を折った。
 「東京から、この前話した人は連れで来たすけ、これから拝んでけさまい」
 寺中さんは、私の手から一升瓶を取って祭壇の前に置いた。次に私に写真を出す様に促した。
 私は鞄から陸羯南の写真を出して豊子さんに渡した。豊子さんは写真を掌でなぞった。イタコの大半は盲目である。豊子さんも眼が見えない。口元で息を掛けたり、匂いを嗅いだりするような仕草がみえた。
 「ずんぶ古いフウトだな…これは…」強い津軽訛りでそう言った。
  「はい、この人は今から百年も前の津軽の人です、何とかこの人を呼んでください」

 私はそう言って豊子さんに手をあわせお願いした。
 豊子さんは、写真を祭壇に供えて何度か礼拝を繰り返した。数珠を繰り両手でガシャガシャと擦りあわせながら何事か呟いた。それはお経のようでもあるし、呪文の様でもある。
身体を上下に揺すり喉の奥から悲鳴にも似た呼吸音を発した。段々動きが激しくなり、首をちぎれんばかりに振りつづける。
 私は金縛りに遭った様に、徐々に全身がしびれて来た。心地よい空ろな気分になり意識が体を離れて行く不思議な感覚を味わっていた。ただその場の光景だけが何の感情も無く眼や耳に入ってくるだけだった。
 豊子さんは一頻り激しく動いた後、祭壇の前で突っ伏した。
 寺中さんが豊子さんの様子を覗き、ひそひそと小さい声で話しを交わした。
 「古い魂ッコだすけ、なかなか降りで来ないって経てら…」
寺中さんは私の耳にそう呟いて、再び後ろの方へ控えた。
 私は頷く事も出ず、返事をすることも出来ず、ある種の恍惚とした感情に包まれていた。
それは、廻りの物理的な環境を超越した幸福な心地さえした。

つづく
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by kuga-katsunan | 2008-01-02 10:10 | その他 | Comments(0)

《黄泉還り対談》 陸羯南---正岡子規について語る

 新年明けましておめでとうございます
お正月にふさわしく、特別に、陸羯南の御親族の方から、特別寄稿を頂戴致しましたので連載形式で掲載させて頂きます。

 <前書き>
平成六年秋、青森県弘前市で、『陸羯南展』があり、私は東京から参加した。
 陸は旧津軽藩の中級武士の次男として生まれた。地元弘前の東奥義塾から、東京の司法省法学校に学び、新聞『日本』を創刊し鹿鳴館時代の急進的な欧化主義に反対し、「日本主義」を唱えた明治中期の代表的ジャーナリストである。
 しかし、私自身、青森に育ちながら地元で陸羯南のことを知る機会は殆んどなかった。
 私は、『陸羯南展』で、羯南が正岡子規を後見したという事を聞いた時から、興味を持ちはじめ、色々資料を集め始めました。
 陸に関する本には、「正岡子規を育てた…」と言う数行の記述があるにすぎない。それから今まで、陸の著作から正岡子規に就いて書いたものは見つかっていない。

 いっその事、本人から直接話を聞きたいと思った。
 青森には、死者の霊魂の集まる場所があるという話を思い出した。そこは恐山である。恐山のイクコは死者の霊を呼び出し、死者の話しを聞くことが出来るという。夢のような話である。早速夢の実現に向けて行動してみた。
 勿論、この物語はフィクションである。しばし、その夢の世界に身を委ねて見て下さい。

つづく
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by kuga-katsunan | 2008-01-01 00:36 | その他 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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