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丸山真男と羯南  その三

丸山真男が直接父親である丸山幹治の羯南評をひいている部分がある。

<親父は羯南の弟子ですから
「羯南は大したものだ。羯南は決して自由主義を全面否定していない」
と言ってました。>

丸山真男は羯南の<自由主義如何>を読んで、<ナショナリズムの立場から、自由主義をある意味で強く肯定しながら、その限界を指摘している。>と評しています。

丸山幹治は<明らかに親米派>。

このタイミングの<親米派>の<自由主義>の側からも、自分たちの対極にいると意識されており、しかし単純な対極ではなく、一括否定の形ではない、限界指摘の立場、と読んでいたようである。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2006-12-30 07:02 | 研究 | Comments(0)

丸山真男と羯南  その二

 丸山真男は、<日本>が<日本人>と一緒になり、<日本及日本人>になってからの思想的傾向については、彼の伯父(丸山の母の兄にあたる)である井上亀六が社主になってから変化していった、としている。

 その井上に思想的影響を与えたのが杉浦重剛、そしてその私塾である称好塾系統の人々ということも指摘している。杉浦は形式的には日本の社長を勤めている。

  ただそこに決定的な影響を与えたのは中野正剛だ、との論者もあり、この部分はいまとなっては、それぞれの著作にあってみるほかはない。

  丸山の父、幹治と井上は、新聞日本で机を並べて働いた間柄、それが義兄弟になっていったわけだが、幹治は、日本について何か書き残しているだろうか

  たかぎ
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by kuga-katsunan | 2006-12-29 04:56 | 研究 | Comments(0)

丸山真男と羯南  その一

丸山真男が戦後すぐのタイミングで羯南の再評価をしたことはよく知られている。
同時代ですら陸羯南研究の題を見て、中国思想の研究と思われた、というのは皮肉にも聞こえるが、彼の回顧談が出版された。

何故、丸山真男が羯南に取り組んだかは、やはり彼の父、丸山幹治が新聞日本の記者だった影響が大きいのであろう。

回顧談の中の羯南像を見てみたい。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2006-12-26 23:55 | 研究 | Comments(0)

戦争と新聞

 昨年、ノンフィクション作家の黒岩比佐子さんに、「戦争と新聞」というタイトルで四回の連載をしていただきました(小学館『週刊ポスト』)。
 
 日露戦争勝利の後、日本が国際社会の中でリアリズムを失っていくことの象徴的な出来事となった日比谷焼討事件。ちょうど百年前のこの事件を契機にして、新聞がいかに転向していったかを克明に追ったものです。
 
 その後、文春新書から『日露戦争 勝利のあとの誤算』として出版されています。
 
 この激動の時代状況をふまえつつ、当時の新聞人の群像を俯瞰してみるのも面白いかもしれません。
 
 あまりお役に立てませんが、「参考文献」になりそうな本を紹介させていただきます。


 くめた
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by kuga-katsunan | 2006-12-16 12:16 | 研究 | Comments(0)

羯南の実務経験

てらだ様

   仰るとおり古今東西、それにつけても金が仇の世の中ですね。

   全集10巻にある羯南についての回想・追憶の中にも池辺三山が死の
   床の羯南を見舞った際に、<しみじみと、金が欲しいよ>と言い出した
   部分は胸が痛みます。

   職業柄、新聞日本の資金調達、経営体質などが気にはなりますが、
   オーナー系企業の場合オーナーの経営手腕が大きく影響を与えます。

   どうやら日本の金庫番は、羯南の同郷の赤石定蔵だったようですが、
   このあたりは貴兄、きしだ君と調べてみたいですね。

   羯南は青森新聞の編集長、北海道紋別製糖所、政府文書局を経て、
   東京電報、日本の新聞経営に乗り出したのですが、やはり彼の
   目的は、企業としての新聞社の隆盛ではなく、新聞を通して、
   何を訴え、何を成し遂げるか、だったようです。

   いずれにしても数少ない資料の中で一つずつ探っていきましょう

                                  たかぎ
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by kuga-katsunan | 2006-12-15 23:56 | トピックス | Comments(0)

古今を通じて経営は

 ブログ開設、ありがとうございます。
 高木さんから「みちのく紀行」に誘われながら、一度も同行できず、申し訳ありません。弘前城の桜をぜひ見たいとは思っているのですが。
 私に与えられたテーマは「羯南の新聞経営」です。まだほとんど手付かず状態ですが、ブログ開設に背中を押されて、春原昭彦氏の「新聞経営の先人」(日本新聞協会)を購入し、読み始めました。その一節に「古今を通じて新聞経営者の悩みは尽きぬ」とありました。経営のことはまだよく分かりませんけれど、今の新聞社の状況を意識しながらの作業になりそうです。アドバイスなどよろしくお願いいたします。

 4期 寺田
 
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by kuga-katsunan | 2006-12-15 03:24 | 研究 | Comments(0)

横道のフクヤマと大原社会科学研究所、徳富蘇峰

森銑三と石光真清
 文中やや唐突に出てくるフクヤマの祖父は河田嗣郎といい長崎生まれ、京大で社会科学、特に家族論を修め、大阪市立大の初代の学長のはずです。大原社会科学研究所をつくるのにかかわり、陸、池辺とともに明治の3大ジャーナリストといわれた徳富蘇峰(いま戦後日記が話題ですね)などとも交流があったようです。蘇峰は石光真清(明治元年生まれ)とほぼ同世代の6年生まれで熊本洋学校の出身。嘉悦学園をつくった嘉悦某女子の父親(横井小なんの弟子)らも同じで、横道を始めるとどんどん脇にそれます。

 フクヤマは近著「米国の終わり」で米国のイラク政策を批判しているといわれています。すみません、まだ読んでいませんが。

はらだ
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by kuga-katsunan | 2006-12-15 02:51 | その他 | Comments(0)

池辺三山

はまぐち様

海外勤務お疲れ様です。
何かとご苦労が多いとは思いますが、外にいると何かと逆に内のことがよく見えるもののようです。このブログにも国際的な視野で是非ご教示頂ければ幸甚です。

さて出発前のお忙しいところ三山の資料をいくつかお持ち頂きました。
その時も御話したように、三山は羯南とともに日本に携わったりしていたときに、旧主家である熊本の細川家の若様がフランス留学となり、お供をおおせつかって一緒にパリに学びました。

その際、勉強しているだけではもったいない、ということで、日本に<巴里通信>という記事を鉄崑崙というペンネームで送り続けました。その意味で最も初期の海外特派員の一人、ということができましょう。

その報道のスタンスはある意味で、いまの海外特派員のプロトタイプを形成している、という論者がいて貴兄には是非その部分をご自身の経験に照らして語っていただければ有り難く、宜しくお願い致します。
(そういえば北京のひがし君は、もう帰国されたでしょうか)

別途、ひろかわ君にお願いして池辺三山の孫娘婿である富永健一(私には懐かしい社会変動論を専門とする社会学者です)が書いた<池辺三山の生涯と思想>をお送りしました。ご参考にしてください。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2006-12-14 22:51 | 研究 | Comments(0)

外地にて

 陸羯南研究がいよいよ軌道に乗り始めたようで、喜ばしい限りです。
 さて、私と言えば、高木さんより、外地赴任にあたり、陸研究の一環として、池辺三山研究を命ぜられましたが、多忙を理由にほとんどが手つかずのままであります。申し訳ありません。
 ただ、池辺文献の巻頭を読んで、何となく理解したことは、陸なり、池辺なりを理解するには、当時のメディアを取り巻く社会情勢への正確な理解が不可欠だということです。そこで、私は最近、戦後ジャーナリズムの一ページを開いた元読売の鈴木東民について鎌田慧の書いた本を読んでおります。実は、この本は青木先生の本棚からちょうだいしたものです。本の傷み具合からして、青木先生もこの本は読まずに逝かれてしまったようですが、青木先生がなぜ、この本を手にされたのか興味があるところです(単に、同時代のジャーナリストとして、関心があっただけかもしれませんが)。
 戦後から、戦前へ、ジャーナリズム史を逆にたどっていこうかと、考えております。

東京新聞・浜口武司(アジア大会取材のためドーハにて)
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by kuga-katsunan | 2006-12-14 08:16 | 研究 | Comments(0)

陸羯南とインターネット

 陸羯南研究のブログ開設おめでとうございます。

 カイロ赴任中の浜口武司さん(いまはアジア大会の取材で、ドーハに飛んでいます)から「羯南研究会はおろか、しばらくは、日本に戻れそうにない。広川、私の代わりにお手伝いさせてもらいなさい」とテレックスが入りました。

 ご報告がてら、研究会の末席を穢させていただきたく、書き込みしています。

 司馬さんも青木先生も、羯南自身もインターネットのブログで研究の意見交換がなされるなどとは、夢にも思っていなかったことでしょう。そんな時代に生きながら、いまの日本がなくした先人の意識を探る。なにやら不思議な感じです。

12期 ひろかわ
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by kuga-katsunan | 2006-12-14 02:45 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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