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新聞収集家・山名隆三氏宅を訪問

 3月9日に高木主筆をはじめ6名で、大津市の新聞コレクター・山名隆三氏の自宅を訪問した。主筆の他は、笹原さんと私、あと私の勤務先である大阪商業大学の同僚3人(明尾さん、池田さん、小田さん)である。

 山名氏は二大新聞コレクターのお一人。特に幕末から明治20年代以前の新聞や号外の収集に特徴がある。資料数は2万8千点を数え、自宅を「山名新聞歴史資料館」と命名しているほどに充実している。

 当日はその珍しいコレクションを拝見することができた。幕末の和本仕様の新聞、錦絵でカラフルに彩られた紙面、大きさがハガキと同様の号外等のさまざまな実物を堪能した。

 その後一行は、京都の骨董街へ繰り出し、掛け軸をじっくり見て回ったが、主筆と明尾さんはひたすら値踏みしていた。当日は3月上旬にもかかわらず、午後から気温が急上昇。20度を超える暑さのなか、骨董街を汗だくで歩き回わることになったが、私にとっては歴史を目の前で“実感”できるいい1日であった。

 今年の12月に、本学商業史博物館で、主筆所蔵の歴史資料と本学所蔵の中谷コレクションを使用した企画展と連続講座を計画している。ただ補助金申請をしており、これが通らないと確定しない。ただ企画展は実施したいと考えているので、詳細は追って連絡させていただきたい。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2013-04-12 16:38 | その他 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(64) 私立大学評判記(その53)

 今回は「私立大学評判記(十九)」、「慶応義塾大学部(四)」に入る。
 まず古島一雄は、次のように述べる。

 「慶応義塾が其特色を棄ててまでも雄を神田と争はんとする法律部が果たして如何なる成功を見るや否や。殊に其起さんとする文学部が果たして前年の覆轍を踏まざるや否や」

 慶応の特色である英米系学問をドイツ系に変えてまで法律部を前面に出し、神田にある私立法律学校群と争うことに意味があるのだろうか。また一度は失敗した文学部の再興に見込みがあるのだろうかと、古島は問うのである。
 そして、以下に続く。

 「従来世人が重きを慶応義塾に置きし者は其法律部にあらず其文学部にあらずして其理財科こそ実に彼れ義塾の生命として待たれたるにあらずや」

 彼は、そもそも慶応の中心は、理財科(現在の経済学部)であり、“慶応の生命”とまで述べている。

 「義塾出身の先輩者が方今実業界の要地を占むるの事実あればなり。従って世の慶応義塾を言ふものは一種の実業学校として之を見るもの多く実は其法律部あり文学部あるを知らざるなり」

 すでに当時、慶応の卒業生は実業界で要職について活躍する人材が多かった。世間では慶応を実業学校と見ており、法律部や文学部はまったく知らないから学生が集まらないのではないかと、古島は予想している。

 ちなみに当時、活躍中の人物として、次の人々があげられている。
 波多野承五郎、朝吹英二、高橋義雄(以上、三井財閥)、豊川良平、荘田平五郎(以上、三菱財閥)、本山彦一(藤田組)、高島小金治(大倉組)、牛場卓蔵(山陽鉄道)、井上角五郎(炭鉱鉄道)、阿部泰三(明治生命)、原田虎太郎(安田銀行)、山本達雄、伊藤欽亮(以上、日本銀行)
 
 そして最後に、以下のようにまとめている。

 「吾人は慶応義塾が実業界に於いて人材を供給せし偉功を認むると共に其理財科を見る特に注意を要するものあるを認む」

 古島は、慶応においては、学部を増加して学風がゆらぐより、理財科のみで行くべきだと主張したいようである。
 しかし、後世の結果から見れば、法律部も文学部も多くの学生を集め、優秀な卒業生を送り出しだすことになる。“総合大学化”は成功したのであった。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2013-03-24 12:51 | その他 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(63) 私立大学評判記(その52)

 今回は「私立大学評判記」を離れ、私立大学の経営の本質についてのひとつの見方を述べてみたい。

 これまでの記述のように鎌田栄吉と門野幾之進の抗争や法律部の改革があったにもかかわらず、慶応義塾の経営はビクともしなかった。その理由は、明治30年代に学生数が破竹の勢いで増加したからである。(詳しくは本稿第52、53回をご参照ください。)

 そもそも授業料の徴収という方法を日本で最初に行ったのが福沢諭吉である。慶応にとって授業料収入こそが専任教員を養い、かつ経営を支えるすべてであった。

 私立大学にとっての最大の経費は当時も現在も人件費である。ただ現在は私学助成金が存在するので、当時は現在以上に人件費の割合が大きく、またその国庫補助もなかったわけで、台所は常に火の車であった。それゆえ多くの私立大学、特に法学系は、校舎が借用のため、専任教員をまったく持たず、非常勤講師のみで、夜間にパートタイムの教育を行っていたのである。

 ちなみに、法政大学の前身である東京法学校の教員は、司法省勤務等、他に本職を持つ人が多く、しかも無報酬であった。
 
 しかし、専任教員をかかえていたのが、慶応であり、あともうひとつが早稲田の2校のみであった。私立大学が永続的な組織として発展をとげるためには教育と研究活動への安定的な担い手となる教員が必要であり、そこに注力したのが、慶応であり、早稲田なのである。だからこそ慶応と早稲田は、他の私立大学より抜きん出ることができたのであった。

 やはり私立大学経営の本質は、“教育”であり、その中心を担う教員の力量なのである。
 (参考:天野郁夫『大学の誕生(上)』中央公論新社2009年)

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2013-02-23 09:22 | その他 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(62) 私立大学評判記(その51)

 この「(十八)慶応義塾大学部(三)」も今回で終わる。
 古島一雄は慶応義塾の英国批判の最後として、英国崇拝の原因を以下のように転載している。   

 「一、英国の強大なるに眩目せると 二、英人の生活の程度高きに続けると 三、英人が紳士として垢抜せるを欽慕せると 四、日本人は多く英語を学ぶも独逸等の語を知らず故に常に英書を読み英人等の手前味味噌を有り難く拝読して其思想に全然威化せられたると 五、日本の漫遊者流は多少の言語通ずるの故を以て英国に比較的永く滞在するも他の欧州大陸に至れば盲唖の夜遁同然にて素通りをなすに過ぎざるが為めに更らに其事情を解せざると」

 そして、古島はそうした慶応の学風が英米風からドイツ風へ変貌していることについて、次のように批判する。

 「吾人は留学生の多数が独逸修行なりしを知る、従て其独逸的威化を受けたるの大なる彼等が俄かに英国崇拝より一転して独逸崇拝に移りたるを見るとは言へ、先生の墓木未だ拱せざるに三田の特色たりし常識一点張りの教育主義が、早くも学者的教育に傾かんとする至ては驚くべき変化にあらずや」

 古島は福沢諭吉が植え付けた慶応の人格陶冶となる常識を重視する“教育主義”が、机上の空論に陥る危険性のある“学者的教育”に席巻されそうだと警鐘をならすのである。
 さらに、彼は以下のようにも語っている。

 「殊に其一旦早稲田に奪れて廃滅に帰せし文学科を再興して文部省特典の下に教員養成に従事せんと欲するが如き、慶応義塾の本質が既に幾多の変化を現しつつあるを見るべきなり」

 明治政府と一線を画していたはずの慶応であったが、文学科を再度設置する際に教員免許が得られる特典のある文部省の政策に便乗する態度を見て、彼は“独立自尊”の精神はどうしたのかと憂い、既に慶応の本質は変わりつつあると指摘するのである。

 このように慶応は時代の流れに敏であった。実はこれは今も変わらないのではないか。湘南藤沢キャンパスでの総合政策学部等の新学部の設置、また他大学に先駆けて導入したAO入試等と、時代潮流に鋭敏な慶応のDNAは現在も生き続けているのである。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2013-01-26 15:21 | その他 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(61) 私立大学評判記(その50)

 「(十八)慶応義塾大学部(三)」が続く。
 前回の後半で触れたように慶応義塾は法律部の改革を進めるにしたがって、従来の学風である英米学問を批判し、ドイツ学問を重視する態度を表明するのであった。
 古島一雄はそれについて次のように述べている。

 「講師青木氏の如きは其学報に於て公然英国崇拝の非を論じ、英国の制度を評して支離滅裂なりと罵り、英人は学問を尊ぶの気風なしと曰い、盛んに独逸制度の完美を嘆称し、我国の攻学気風が独逸的となりたるを喜ぶと同時に従来英国崇拝の気風が動もすれば此の攻学気風に一頓挫を来たさんとするを憂い、慶応義塾に於いては特に独逸流儀の研究を必要とすと断じ、暗に門野氏を目して英国崇拝の腐儒と為せり」

 古島はさらに加えて、「試みに其議論の一部を録せん乎」とし、学報に掲載された文章を長々と当記事の半分を占めるほどに引用している。その一部を見るてみよう。

 「攻学気風を見るに、独逸は国勢尚幼稚なるが故に社会万般に鋭進せんとせるが中にも、学術研究の気風の熾んなる。世界英国無比と称するも過言に非ず。而して其の効験の著しきことは社会上のみならず、商工業の上にも航海造船の上にも均しく現われ最近三十年の独逸の進歩は深く其根底を学理の研究に発したること疑を容る可らず」

 「彼の応用化学の如きは実に他国の及ばざる発達を為せるが故に、工業上に直接の利益を生ぜしが如きは其の一例にして、流石の負惜み強きお国自慢の英人にても斯は捨置難しとて伯林(筆者注:ベルリン)の工部大学校に続々入学を申込む者ある程なり」
  
 「英国は、由来実務の才能に誇り、学問を軽んずるの国にして、酷評すれば英国には学問と称すべきもの無しと云うも可なり」
 
 さらに英国批判が続くのであるが、古島はそうした慶応義塾の状況をどのように見たのであろうか。次回、それを紹介しよう。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-12-26 11:00 | その他 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(60) 私立大学評判記(その49)

 引き続き「(十八)慶応義塾大学部(三)」である。門野幾之進を排斥後、慶応義塾は「時代の風潮を追い」、法律部の大改革を実施した。
 古島一雄は以下のように語る。

 「帰朝講師中の覇権を握れる神戸寅次郎氏は青木徹次氏と共に法律部の面目を一新せんと期し、慶応義塾が最も嫌ひなりし帝国大学出身の博士、学士を請ふて其の講師たらしめ以て雄を神田の四法律大学と争はんと欲したり」(筆者注:青木徹次ではなく、青木徹二の間違いと思われる。)

 帝国大学出身の新たな講師を13人も迎える一方、慶応出身者はわずかに2名のみだった。そこには神田にある法学院大学(現・中央大学)を始めとする、当時勢い盛んな四つの法律を中心とする大学への対抗意識がある。時代潮流に乗り遅れず、法律部を強化することが求められていたのであった。
 このように慶応には、時流に敏感なところがあり、それは現在にも継承されている。
 古島一雄は次のように続ける。

 「法律部が三田風を脱して神田化せんとしつつあるやを見るべきなり。単に神田化せんとするのみならず英米一点張りの義塾は今や漸く独逸化せんとしつつあるなり」
 
 創立者福沢諭吉からの伝統であるイギリス・アメリカの学問中心から、ドイツの学問を重視しようというのである。
 次回、さらにその詳細を紹介しよう。
 なお、この法律部改革について『慶応義塾百年史』では触れられていない。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-11-28 09:56 | その他 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(59) 私立大学評判記(その48)

 今回は「(十八)慶応義塾大学部(三)」に入る。鎌田栄吉と門野幾之進との抗争のその後について語られている。
 古島一雄はまず、以下のように述べる。

 「鎌田氏は帰朝講師の不平を利用して門野排斥に成功せしかば今は事実の上に其の排斥の理由を表明せざるを得ず。而して其具体的の理由は規則改正に於いて公にせられたり」

 一私学の事件ではあったが、社会の注目を集めたようである。私学といえども、当時において社会に認知された存在であったことがわかる。それゆえ塾長の鎌田にとって、当騒動の理由を説明する社会的責任があった。
そして、次のように続く。

 「分科制度が果して慶応義塾の将来に利益あるや。随意科を減じたりしは果して義塾の特色を失はざりしやは別問題として鎌田氏が講師を利用せしと同時に帰朝講師は又た多数学生の後援を有したりしを見れば此の規則改正が学生の希望を斟酌すると甚だ多かりしを見るべく、少なくとも時代の風潮を追いたりしを知るべきなり」

 ここで注意すべきは、学生の意見が大きな影響力を持っていた点である。『慶応義塾百年史』によれば、学生は檄文を草し、門野の辞任を評議会へ要求したのであった。

 なお、『慶応義塾百年史』には、当時、社頭(相談役的存在であった)の小幡篤次郎が、福沢諭吉や学生に信任の厚かったOBの日原昌造宛の書簡が残っており、困惑した状況を伝えている。そこから福沢没後の後継者争いは、慶応自体の存続をゆるがす危機的状況であったことがうかがえる。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-10-28 20:58 | その他 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(58) 私立大学評判記(その47)

 「(十七)慶応義塾大学部(二)門野氏対鎌田氏の争い」の続きである。古島一雄は、門野幾之進と鎌田栄吉の当初の関係は以下のようであったと伝えている。

 「鎌田氏の塾長と為るや、サスガの無頓着者も此の偏屈者(注:門野のこと)に対しては、多少の頓着なきを得ざりしは勿論なるべく、而してサスガの偏屈者も、この『ヨイ男』に対しては左までに偏屈を唱へざりしかば塾長の鎌田氏と教頭の門野氏とは、同一の報酬の下に、殆ど同一の仕事を為し、門野氏は只だ学生の作文添削を為して曾て教場に出づる事なく、両極端の性格は却て一時の小康を保ちたり」

 しかし留学生が帰国し、彼らが教員に加わると門野への批判が噴出した。

 「学制改革の急を叫ぶものあり、或は課程改善の要を説くものあり、或は政令の二途に出づるを責むる者あり、或は門野氏の怠慢を論ずるものあり、或は自家の薄遇を訴ふるものあり」  

 そして「新帰朝者は門野氏に対して公然辞職勧告を迫りたり」となった。それに対し、門野は「予の辞職は太だ易し、予に迫らんよりは寧ろ塾長に迫まれ、塾長に迫らんよりは寧ろ評議員に迫まれ」と述べた。

 しかし、「評議員の多数は、門野氏の学識が惜しむべきを認めたりしと同時に、氏の傲岸を憎みたる者多かりしは事実」であった。また福沢諭吉の息子、捨次郎が「鎌田氏と親善なると共に門野氏に快からざりしは門野排斥の大なる理由たり」であった。

 ついに「多年慶応義塾の名物男と立てられし学者は遂に教頭の椅子を退かざる可からざるに至り」、そして「権力の中心は今や全く鎌田氏及之に帰依する帰朝講師の手に移されたり」となったのである。

 この事実は、『慶応義塾百年史』に門野と鎌田の争いとして出てこない。また、捨次郎の影響があったことも語られてはいない。門野みずからが教頭辞任を申し出て、評議会が承認したと記述されているにすぎない。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-09-27 08:38 | その他 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(57) 私立大学評判記(その46)

 今回から「(十七)慶応義塾大学部(二)門野氏対鎌田氏の争い」である。前回が明治36年11月18日で(十五)となっているが、今回の11月19日は、(十七)となっており、第16回が抜け一つ飛んでしまったことになる。こういうことがあったとは、あんがい当時はいいかげんだ。

 さて本題に戻ろう。古島一雄は、門野幾之進と鎌田栄吉の人格を比較し以下のようにまとめている。

 「天は二物を与えず門野氏の学問には異常の大才を付与しながら、其局量には又非常の偏狭を以てしたり。故に学問ある偏狭者の通有性は門野氏も亦之を免る能はず。善き意味よりしては一種の傲骨漢と称せられ、悪しき意味よりしては一種の偏狭者と罵らる」

 そして、門野が排斥された原因を次のように紹介する。

 「傲骨の人動もすれば人を凌ぐ。人を容るる能はずして人を凌ぐ。是れ氏が福沢の一問に憚られたると同時に同輩の人望を博する能はざりし所以なり」

 一方、鎌田については次のように述べられている。

 「之に反して鎌田栄吉氏の人と為り茫々乎として平々然たり。其何でもウンウンと引受くる所頗る大量なるが如く。其何事にも無頓着なる処太た寛容なるが如く。休日に気付かずして学校へ出で、其人なきを見てストライキと誤るが如き、馬鹿気たる愛嬌もあれば、高等教育会議に出でては大風呂敷を広げて、列席の人を驚かす一人前の法螺もあり」

 さらに、鎌田の説明にニュアンスが損なわれないよう、少し長くなるが原文を引用しよう。

 「筆を把らば時事新報の記者たるに足るべく、口を開けば一人前の演説家たるに足るべく、殊に其風采の鷹揚として迫まらざる処、精悍の気を見るに足るものなしと雖も何となく長者の風あり。故に或者は見て以て凡物となし、或者は評して以て無気力と誹るものあれども、要するに是れ、悪気もなく、邪気もなく、気取りもせざれば気障りもなく『小幡さん』の只だ『小幡さん』なる如く『鎌田君』も亦た只の『鎌田君』たるに過ぎず。『小幡さん』は水を飲むが如く、可もなく不可もなく、鎌田君は時事新報の所謂る買薬を飲むが如く、毒にもあらざらんかなれども去りとて又た薬にもならず、従って人に憚られもせざれば嫌われもせず先生は見て以って『ヨイ男』となし、生徒は見て以て『ヨイ人』となし、友人は見て以て『アレ丈けの男』と為す」

 そして、古島は鎌田の評価を次のようにまとめる。

 「是れ鎌田氏が其の後輩たるにも拘はらず、其学力の劣れるにも拘はらずして塾長に挙げられたる所以なり。福沢氏が其晩年参考の為め新着の書を講せしむるや、学力ある門野氏にあらずして、常に鎌田氏に頼りたるを見れば、又た以て両者の福沢氏の於ける関係を推知すべし」

 このように門野は学問の才はあったが、偏屈者で人望がなかった。一方、鎌田は学問には劣るが、人格者として評価され人望を集めていたのである。
 さらにこの門野・鎌田騒動の顛末は続く。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-08-31 08:42 | その他 | Comments(0)

<羯南と古島一雄>(56) 私立大学評判記(その45)

 「(十五)慶応義塾大学部(一)」の後半に入る。

 古島一雄は前回に紹介した門野幾之進の教育改革の失敗について、「吾人此に至りて遺憾ながら鎌田門野の衝突と云える事実を暴露せざるを得ず」と指摘する。
 さらに、門野について次のような事実を語る。

 「門野氏は新銭座時代の出身者にして鎌田氏等の先輩たるのみならず其の学問の該博深遠なる塾中第一と称せらる。往時、藤田茂吉、波多野承五郎、犬養毅、尾崎行雄が学生時代に於いて最も流行したりし教師に対するストライキは常に一人の門野氏に依って治せられたるを見るも、如何に氏が学問の上に尊敬を受けたるやを知るべく当時剛情者の犬養をして学問は門野に叶わぬと叫ばしめたるを見るも、氏が如何に学問を以って学生を圧迫したりしやを見るべきなり」
 

 このように門野は「学問の上には多大の尊敬」を受けた。しかし卒業後、生徒が他の教師に対しては、「先生」と呼ぶのであるが、門野氏には、「オイ門野」と呼び捨てしたというのである。

 ここで古島は、「氏が人格の上に於いて如何に待遇せられたりしを想見すべきなり」と述べ当回を終わる。そして、その詳細は次号「慶応義塾大学部(二)門野氏鎌田氏の争い」へ続くことになる。

 当連載は一面のしかも一番最初にしばらくの間、掲載されている。それだけ世間の注目を集めたと思われる。古島の方も綿密な取材を行っていたことがわかる。
 

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-07-28 16:41 | その他 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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