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「翔ぶが如く」にみる「谷干城」

 新聞日本最大のパトロン「谷干城」を司馬良太郎著「翔ぶが如く」で拾い読みしてみる。

 明治9年11月、谷干城は、二回目の熊本鎮台司令長官として着任(41歳)、その4ヶ月後の2月から約50日間、熊本籠城戦を行っている。薩軍1万数千に対し、鎮台の兵力は3千、堅牢な熊本籠城戦しかあり得えなかったようだ。

 谷が鎮台司令長官に選ばれたのは、陸軍卿山県有朋が強く押したことによる。山県は、熊本攻防戦は籠城戦がいいと考えていた。「谷は籠城の守将になるために生まれてきたような男だ」と言いたいくらい谷という男の性格を見抜いていた。

 谷は土佐人で、西郷の下野に批判的、学問があり、物事の道理を立てるのが好き、自分が構築した道理については、他に誰にも譲らない並外れた頑固さがあった。「山県は谷の頑固さを買ったのであろう」と書かれている。

 戦闘に当たって、地元の支援は期待できない上、鎮台幹部にも薩摩人が多く、西郷・薩軍に内応・投降する可能性もあった。参謀長樺山中佐も「谷将軍の人格によって部下の取り纏めがなされた。」としている。司馬自身も谷を「守将谷干城の私心のない統率力によるもの」と評価している。

 4月14日一番最初に救援に来たのは、(山田顕義少将の厳命を破ってだが、)戊辰の会津籠城の将で、谷に引き立てられた山川浩中佐であった。
                                        しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2007-05-27 19:15 | その他 | Comments(0)

在りし日の青木先生

十数年前の話をここに書かせていただくことをお許しください。

当時、日本新聞協会のコンピュータ関係の仕事をしていた私のところに青木先生がおいでになるのは、ちゃんと仕事をしているかを監視にこられる時ばかりではありませんでした。時折、ご自分が進めている、もしくは進めたい研究やいろんなミーティングの前に、参加される皆さんに配るレジュメのメモを作られては「おかぽん、清書してくれ」とお持ちになられたものででした。そんなにしょっちゅうではありませんでしたが。いろんなメモをコンピュータで清書しましたが、先生の字の書き方によってボールドをかけたり、斜体にしてみたり、サイズを変えたりなどをして。出来上がったものを先生にお戻しするとしばらく眺めてから、「ここのところ、もう少し大きい字にして」とかちょっと注文が出されるのが常でした。

陸羯南研究のレジュメを清書したのもそのころです。いつものように「ちゃんとやっとるか」とあらわれて、「おかぽん、これを清書してくれ」と「陸羯南研究」と題されたメモを渡されました。いつもに比べるとちょっと楽しげな口調だったような記憶があります。

いつものとおり、清書して、お渡しして。ちょっと注文をつけられて、手直しをして。いつもどおり進んだそのときをいまでも覚えているのは、そのあとがいつもとちょっと違っていたからでした。
それは「おかぽん、これからは陸羯南だぞ」と力強く、ニコニコしながらおっしゃられたことです。これからの言論界のために、日本の社会のために陸羯南のようなジャーナリストのことを研究することが大事だとおっしゃられてお帰りになられました。いつもより眼力が強く、研究に対する強い気持ちが感じられたことや、いつになく楽しそうに「お前も少しは陸羯南を勉強せい」とおっしゃられたことが今も記憶の中に残っています。本当に先生がその研究をやりたいんだな、そのお手伝いができる機会があればうれしいなと、そのときは思いました。

私はその後いろいろあって、先生に不義理をしながら生きてきましたが、陸羯南のことは忘れたことはありませんでした。先生がお亡くなりなったとき、陸羯南研究はどうなったのだろうと思いながらも、その数年間の不義理が恥ずかしくて、なかなかそのことを周りの方々に尋ねることができませんでした。昨年の青木塾で皆さんに久しぶりにお会いして、高木さんをはじめとするグループの皆さんが先生の遺志をついで、いまも活動されていることをお聞きして、きっと先生もよろこんでいるだろうなと、自分もうれしく思いました。

たぶんいまのような言論界の状況や社会情勢を見越していた先生が早くから目をつけて、陸羯南研究を進めようとしていのだと自分は思っています。先生は強い気持ちを持って、この研究に取組まれていたと思います。自分がちょっと触れさせていただいた先生の思いを皆さんにお伝えしたくて、ブログを書かせていただきました。

自分も皆さんのお手伝いができれば、皆さんと一緒に活動できるくらい力がつけば、と思っています。よろしくお願いします。

ご静読、ありがとうございました。

オカポン
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by kuga-katsunan | 2007-05-12 22:15 | その他 | Comments(0)

「この国のかたち」から

本件は、皆さんご存知なので、備忘的意味合しかない。
司馬遼太郎著「この国のかたち」第4巻の「75 徳」の後半で「陸羯南」のことに触れている。

雅号は、津軽なので「靺鞨(野蛮なツングース系諸族の住む沿海州)」の南という意味合いで、東北人の自負の裏返しだそうだ。

「もっと研究されていい人物」とある。「秀麗な容貌、情誼に厚い、身辺清らかで、論語の『以テ六尺ノ弧ヲ託スベク、以テ百里ノ命ニ寄スベク、大節ニ臨ンデ奪フベカラズ。君子人カ、君子人ナリ』は、あたかも羯南のために書かれたようだ。」とベタ褒めだ。

彼の司法省法学校時代の同窓に加藤拓川がいて、拓川の甥が正岡子規。子規が脊椎カリエスで、激痛をともなっているとき、羯南が手をにぎっていてくれると痛みが和らいだそうだ。

「徳のある人ひととはそういうものらしい。」とある。余程の人格者だったのだろう。

なお、余談ながら、子規が、寒川鼠骨に語った、
「人間は最も少ない報酬で最も多く働くほどエライ人ぞな。一の報酬で十の働きをする人は百の報酬で百の働きをする人よりエライのぞな。入りの多寡は人の尊卑でない事くらゐ分つとろうがな。人は友を撰ばんといかん。『日本』には正しくて学問の出来た人が多い。」は、小生大好きな一節である。
                                         しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2007-05-12 20:40 | その他 | Comments(0)

横道のフクヤマと大原社会科学研究所、徳富蘇峰

森銑三と石光真清
 文中やや唐突に出てくるフクヤマの祖父は河田嗣郎といい長崎生まれ、京大で社会科学、特に家族論を修め、大阪市立大の初代の学長のはずです。大原社会科学研究所をつくるのにかかわり、陸、池辺とともに明治の3大ジャーナリストといわれた徳富蘇峰(いま戦後日記が話題ですね)などとも交流があったようです。蘇峰は石光真清(明治元年生まれ)とほぼ同世代の6年生まれで熊本洋学校の出身。嘉悦学園をつくった嘉悦某女子の父親(横井小なんの弟子)らも同じで、横道を始めるとどんどん脇にそれます。

 フクヤマは近著「米国の終わり」で米国のイラク政策を批判しているといわれています。すみません、まだ読んでいませんが。

はらだ
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by kuga-katsunan | 2006-12-15 02:51 | その他 | Comments(0)

青木先生の陸羯南ノート

青木先生が陸羯南の研究に使われていたノートをお預かりしております。

将来先生の直筆原稿とともに保存していきたいと思っておりますが、ご関心のある方はおっしゃってください。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2006-11-26 01:39 | その他 | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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