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カテゴリ:トピックス( 163 )

青木先生と<毛沢東の悲劇>

 今日は青木先生の命日。

 最近、中国関係の仕事にもどったので、昔の中国のことをよく知っている人にお会いする機会が多い。
 時々話題にのぼる本が、この柴田穂氏の書いた<毛沢東の悲劇>である。

 柴田氏は幼き日を中国ですごし、文化大革命の初期を中国で取材した中から生まれた傑作である。
同時代の現象の本質を見抜くことは難しいが、この作品はそれを成し遂げたものといえよう。

 その第一巻の巻頭の<はじめに>に、青木先生のことが出てくる。

「<毛沢東の悲劇>第一巻の発刊にあたって、「サンケイ新聞」への連載を企画、推進された青木前編集局長、藤村現編集局長、出版の企画、作業で私の重い腰を引っ張ってくれた「サンケイ新聞プロダクション」のみなさん、資料の面でご協力を受けた社外の方々に厚く御礼を述べたい。」

 この本が出版されたのが1979年6月、その時、青木先生は既に筑波にいらしていた。
文化大革命が終了して3年、中国もまた大きな変動の時代を迎えようとしていた。

 中国がどうなっていくかは、隣国の小さな島国、日本にとって常に大きな影響を与える。

 羯南が生きた時代も、結果的には欧米列国の植民地政策の前に、もっとも大きな<市場>であった中国が蚕食されている間に日本は近代化を果たして現代へ繋がってきている。

 日清戦争の終結後のアジアの国際環境の中で、日本の生き残りをかけて<支那保全>を掲げた人々がいた。
 近衛篤麿が会長、羯南が幹事長を勤めた東亜同文会である。
 その発起書は羯南が書いたものといわれている。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-12-16 21:00 | トピックス | Comments(0)

ブログ開設四周年 週刊司馬遼太郎7

  あっという間の四年間ですが、青木先生の御命日も近付く11月、週刊朝日に連載されている週刊司馬遼太郎の7冊目が発行されました。

 http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=12096

 中に特別エッセーとして

   「ひとびとの跫音」の世界

    <子規を慰めた陸羯南シスターズ>太田サトル、村井重俊 筆

 が掲載されています。


 特別公開の羯南の娘さんたちの幼き日々の写真や、その後、皆で暮らした葉山の様子がわかる写真も掲載されており、家庭人としての羯南の顔がのぞきます。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-11-28 07:53 | トピックス | Comments(0)

佐野史郎の見た羯南

 坂の上の雲の第二部の開始を控えて、出版も花盛り。

NHK出版のドラマガイドに羯南を演じた佐野史郎さんのインタビューが掲載されていた。

「陸羯南は演じながらいろいろ調べましたが、大好きになりました。

 津軽の人ですが、プライベートな情報がほとんどない。

 ただ実家が複雑だったようで、これは想像ですが、

 新聞「日本」や子規に対するあの家長的愛情というのは、もしかしたら自分

の家に対する思いが果たせなかったぶん、いっそう強かったのかもしれないと

感じました」

(「坂の上の雲 第二部 NHKスペシャルドラマガイド NHK出版  2010年11月)

https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=64071732010

 この佐野さんの演技者としてのコメントを読んで、羯南の本質がまた一つ

現れたと思います。
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by kuga-katsunan | 2010-10-31 20:09 | トピックス | Comments(0)

成田与作のこと 2

 成田与作のてがかりを探しているうちに、弘前の稲葉先生に、成田の息子さんが書いた自伝があったはず、と教えて頂いた。

 わざわざご一緒に図書館までおいでいただき、検索をしたり、書棚を探したりしているうちに、書庫にあることがわかった。

 著者の名前の登録が間違っていたのだ。

 著者は、
成田乾一、である。

 普通に読めば、かんいち、登録もそうなっていた。

 稲葉先生は、正確に覚えていらして、

「成田けんいち、の本はないですか」

 と尋ねられた。

 後で、電車の中で、この本のコピーを読み始めて、あっと思った。

 乾一、この名前は、羯南の長男と同じ名前、ということに気がついた。

 羯南には七人の娘たちがいる。

 娘が五人生れたあとに、長男の乾一が生まれた。

 その喜びはひとしおであっただろう。

 子規は喜ぶ羯南に

    五女ありて後の男や初幟

 の句を送った。

 残念なことに、乾一は、一歳の誕生日をむかえずに亡くなった。

 成田は、師と仰ぐ羯南の、亡き子の名前にちなんだのだと思う。

 成田乾一の自伝は

  「動乱を驢馬に乗って  大陸十五年の回想」

 という。

たかぎ 
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by kuga-katsunan | 2010-10-24 06:18 | トピックス | Comments(0)

<明治の夢・歴史の今>坂の上の雲 関連ミニ番組 陸羯南 

 坂の上の雲の関連ミニ番組で、陸羯南が登場します。

   11月2日(火)

   NHK総合TV午後10:45~10:50    陸羯南


  http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/program/
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by kuga-katsunan | 2010-10-11 17:18 | トピックス | Comments(0)

東亜同文会幹事長 陸実

 東亜同文会は、羯南らの東亜会と近衛篤麿の同文会が合併して明治31年11月に成立した。

 今回、復刻した東亜時論はその機関誌である。

 編集後記の一部を再録させて頂く。


「陸羯南は、東亜同文会の最初の幹事長であった。

 機関誌「東亜時論」にも、彼の文章が発表されている。

 一般に羯南は明治期を代表する新聞人の一人として評されることが多い。

 しかし、改めて彼の生涯の事績をたどってみると決して「新聞人」だけの枠におさまった人物ではなかったことが見え隠れする。

 例えば、明治十二年から十三年にかけて、故郷の青森で「青森新聞」の編集長を勤めていた間、自由民権運動がおこった。

 その運動は、一つには国会開設の建白という方向をとったが、明治十三年三月二十七日、青森県内で会合が持たれた時に、その出席委員として、羯南は参加している。

 この時点での彼の運動への関与の度合いについては、現在残されている資料では、これ以上知るすべもないが、この時期の知識層の青年として、ごく自然に、政治的な志向性を持っていたのではないかと推察される。」


たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-08-01 21:46 | トピックス | Comments(0)

大連旧影 大連図書館から

 日本新聞社の後継者たちの海外展開の一つとして、大連で末永純一郎の創刊した遼東新報について調べているうちに大連図書館の資料にいきあたった。

 <大連旧影>と題されたこのサイトは戦前の大連の姿を写真入りで紹介している。

http://www.dl-library.net.cn/wenxian/old/

 <文化与教育>と題された部分に、遼東新報の社屋の写真がのっている。

http://www.dl-library.net.cn/wenxian/old/content.php?id=1162

 瀟洒な洋館が、大連で初めての日本人向けの新聞社だったわけだが、同じコーナーには、その初代の社長として、末永純一郎のことも紹介されていた。


http://www.dl-library.net.cn/wenxian/old/content.php?id=1161

 大連図書館には、日本ではもはや読むことのできない、遼東新報が所蔵されているのだろうか。


たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-05-29 06:21 | トピックス | Comments(0)

twitterに対応しました

twitterのハッシュタグを取得しました。twitterのアカウントを取得し(ちなみに私はmikimaroです)文末に#katsunanとつけてもらうと、この陸羯南関係の投稿が見られます。

またなるべくブログが更新されたら私のtwitter上で紹介したいと思います。

つかもと
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by kuga-katsunan | 2010-04-23 17:32 | トピックス | Comments(0)

千葉県佐倉市立美術館浅井忠<松永彦右衛門父母像>

 羯南が主催していた囲碁の会<長清会>のメンバーには多彩な人々がいた。

画家の浅井忠も有名だが、実業家松永彦右衛門もその有力メンバーの一人であった。

松永の御子孫から、浅井忠の出身地である佐倉の美術館にその作品が寄贈されたことを記念して、修復が完成した作品の展示が開催される。


  <佐倉・房総ゆかりの作家たち―新収蔵作品を中心として

    会 期 平成22 年3月28 日(日)~平成22 年5月23 日(日)

    午前10 時00 分~午後6時00 分(入館は5時30 分まで)

    休 館 日 月曜日

    (但し、5月3日(月)は開館し、5月6日(水)は休館)

    展示期間 平成22 年4 月27 日(火)~5 月23 日(日)

  ■浅井忠≪松永彦右衛門父母像≫

  この作品は、浅井忠の囲碁仲間であった松永彦右衛門の両親を描いたもので、

  浅井としては珍しく日本画仕立に肖像画を描いています。是非、ご高覧ください。>

(佐倉市立美術館の案内より)

http://www.city.sakura.lg.jp/museum/


  これを機会に松永、そして長清会の新たな事実が見出されることを期待している。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-04-03 07:37 | トピックス | Comments(0)

日本新聞と朝日新聞  安藤正純遺稿

  昭和32年10月に発行された<安藤正純遺稿>を入手した。

安藤は日本の記者として活躍した人物の一人。

国会図書館の憲政資料室にその文書が保管されている。

「旧蔵者 安藤正純 (あんどうまさずみ)

 旧蔵者生没年 1876-1955

 旧蔵者履歴 1876.9.25東京生まれ。1895.7哲学館卒、1899.7東京専門学校卒。1894.12『明教新誌』記者。1899~1900.4同主筆。『桜新聞』客員、『政教新聞』『日之出新聞』主筆も勤める。
1901.12日本新聞社入社。1906.7大阪朝日新聞社入社。
1919.7衆議院議員(第14~21、25~27回総選挙当選)、1924.12政友会入党、1925.大阪朝日新聞社退社、1926.5宗教制度調査会委員、1927.5田中義一内閣文部参与官、1931.12犬養内閣文部政務次官、1936.5立憲政友会幹事長、1945.11日本自由党結成に参画、1946.2日本宗教連盟理事長、1947.2~50.7公職追放、1950.7自由党筆頭顧問、政務調査会長。1952.10~55.10衆議院議員、1953.5第5次吉田内閣国務大臣、1954.11日本民主党結党に参加、1954.12~55.3第1次鳩山内閣文部大臣。1955.10.14死去。」

(国会図書館  憲政資料室HPより)

  新聞日本の社員には珍しい東京人。

 しかも浅草の真龍寺の僧侶の子供である。

学校を卒業してから、あちこちの新聞を経験し、明治34年に新聞日本に入社する。

 遺稿の中には、<日本新聞と朝日新聞>という回想が収録されている。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-03-28 22:00 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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