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カテゴリ:トピックス( 163 )

犬骨坊と南八

 3月25日の日本経済新聞のコラム「風見鶏」には、羯南が明治29年の三陸津波に際して特派員を派遣して報道したことが紹介されている。

 特派員に動行した画家は、中村不折だったが、特派員二人、ペンネームで現地の様子を書き送った犬骨坊とは、松山出身の五百木瓢亭であり、南八は、青森出身の浅水又次郎であった。

 五百木は、松山の士族出身、松山医学校で医学を学び、医師の資格をとった医師であった。東京に出てから子規と句作に親しんだ。
 日清戦争で召集、その間に新聞日本に「従軍日記」を連載、犬骨坊はその際のペンネームだった。

愛媛県史の資料によれば、帰国後除隊し、日本新聞社に入社した。
 この津波の折には、編集部の社員だった。

たかぎ

 
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by kuga-katsunan | 2012-03-25 18:26 | トピックス | Comments(0)

弘前:羯南生家

 先日、4月に中国に赴任する新聞社の友人を、弘前に案内をした。

駆け足だったが、青森の近代文学館で資料を拝見してから弘前に伺った。

近代文学館にかざられていた羯南の短冊は

 神ますと仰きまつれは増鏡吾が真心の影にさりける

という、羯南の歌集<瑞穂舎歌草 牟多加記>の中の、雑の部、心魂に掲載されている作品である。

 弘前では郷土文学館にある羯南の軸を初めて拝見した。

こちらは、羯南の漢詩集の第五集にある作品。

辛丑遊清詩紀、即ち明治34年に羯南が、近衛篤麿らと清と朝鮮をまわった時の作品集にある。

 全くの余談だが、以前、京都のオークションで落札できなかった<山東関>の作品も同じ詩集にある。

即ち,題は、<太液池>

   秋風満目入残荷

   太液荒涼嘆浙波

   水殿渚宮人去尽

   月明夜夜為誰多

 この二つを並べ、羯南の清国行を想ってみたい、とするのは贅沢であろうか

 在府町にある、羯南の生家も訪ねた。

 雪景色だが、羯南没後百年の時にたてられた碑の隣に大きな売物件の看板が出ていたのには驚いた。

 羯南が東京で家族と暮らした根岸の家は、彼が面倒をみた隣の子規庵、向いの中村不折宅に比して原型をとどめていない。

 なくなった鎌倉の苫家も現代的な別荘がたっている。

 生家の跡地を活かして、せめて記念館のようなものは考えられないだろうか

 たかぎ  

            
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by kuga-katsunan | 2012-03-22 06:03 | トピックス | Comments(0)

池辺三山日記

 お正月でもあり三山の日記を読み返してみる。

 三山の資料の多くは、長男の池辺一郎氏によって、駒場にある近代文学館に寄託されている。その目録も発行されている。中には、国民同盟会を組織していく過程のメモなども残っている。組織化するために例えば誰がどの地域を担当するかなどの記述もあり、まだまだこれから調べる余地がある。

 三山が折にふれ書いていた手帳、日記の類は、日本近代文学館資料叢書の中の「文学者の日記」として三巻本となって公刊されている。

 日記は第三巻に年代にわけて掲載されている。
第一日記は明治35年である。日英同盟が締結された年、三山は、朝日新聞の重鎮として忙しく立ち働く姿が見えてくる。

 ただ忙中閑ありのようで、時々、国分青崖が訪ねてきたりして、囲碁をしたりしているのは微笑ましい。囲碁をうちながら、論説の考などを語り、練りなどしていたのだろう。

 読み進むうちに、あっと思った記述がある。

「六月一日湯島麟祥院ニテ長清会三浦将軍陸羯南等九名集ル
 本庄子爵モ来ル湖村青崖鬼塚等来ル  勝負傍観入興」

(日本近代文学館資料叢書「文学者の日記」3 池辺三山(三))

 羯南を中心とした囲碁の会である、長清会は、折にふれ開かれていたようだが、場所は上野、寛永寺の分院・元光院と記述されている資料ばかりであった。

 この湯島の麟祥院は初見の場所である。

また会のメンバーでも

  本庄子爵

  鬼塚

の二名の名前も初見である。

たかぎ 
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by kuga-katsunan | 2012-01-02 06:36 | トピックス | Comments(0)

新聞日本 運動記者 安倍能成

 以前、中野目先生のお弟子さんから、安倍能成が若き時代に新聞日本の記者をしていた、と聞いて何か資料はないかと探していた。

 安倍は、松山出身の哲学者で一高校長、学習院院長を務め、一高時代の同級生で後の岩波書店の創業者岩波茂雄との交友は一生続いた、という。

 その安倍が岩波から出した「我が生ひ立ち」という自伝(1966年11月)の中に<運動記者>という項があった。

 「三十七年の七月に落第して、私は月々に十一円を、貧しい郷里の父から送つてもらふのをすまなく思った。」(同書)

 日露戦争の戦中である、安倍は一高を落第、改めて故郷の父を思ったようである。
友人の友人の紹介で、新聞日本で運動記者を求めているとの話があった。安倍は、運動に興味がないと一度断るが背に腹はかえられず、面接に赴く。

 「とうとう小川町に近い神田雉子町の、煉瓦二階造りの日本新聞社へゆくと、出てきたのは河東碧梧桐と長谷川如是閑の二人で、結局私は採用されることになった。」(同署}

 まったくの余談だが、先日のテレビドラマの「坂の上の雲」では日本新聞社は平屋の日本家屋になっており、キャプションで入った所在場所も違ったところとなっていた。

  閑話休題、河東は安倍と同郷、長谷川も前年に日本に入ったばかりの新人記者、若手の気安さでじゃあ、まあ、君、書いたものを拝見、ということになったようだ。

たかぎ 
 
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by kuga-katsunan | 2011-12-24 05:52 | トピックス | Comments(0)

鈴木虎雄遺文集

 鈴木虎雄は羯南の次女の娘婿。

大學を出てすぐに日本新聞にはいったこともあり、種々の人物の結節点にいる。

彼が羯南について書いた文章、子規について、長清会について、とあちこちに残っている。

本業の中国文学についての本は古本になっても高価だが、この種の文章はうもれがちである。

このままでは確実に散逸するので、一冊にまとめられないものだろうか。

さ来年が虎雄没後50年、ここが一つの機会とも思う。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2011-09-06 19:47 | トピックス | Comments(0)

宇都宮太郎日記

 宇都宮太郎は、陸軍のアジア戦略の要となっていく人物だが、彼の日記が残されている。
明治33年が最初の日記であるが、残念ながら彼がイギリス公使館付きの駐在武官であった明治34年から38年までのロンドン時代の日記は残されていない。

 残された日記は、「陸軍大将宇都宮太郎日記」として三巻で出版されている。(2007年4月岩波書店)

 明治期の日記については、茨城キリスト教大学の斉藤聖二教授が解題を書かれている。

「明治37年に日露戦争が開始されると宇都宮はかねてから希求していたその戦争に参加するべく再三帰朝を請願する。(中略)
結果的に、彼は、ロンドンにおいていわゆる「明石工作」等を背面で支える仕事に従事」

たかぎ  
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by kuga-katsunan | 2011-08-27 22:50 | トピックス | Comments(0)

ウラジオストクの井上亀六

 友人がウラジオストックに赴任することになり、あらためてシベリア関係の本を何冊か読み始めた。その中に、石光真清の手記がある。

 石光は、熊本の出身、陸軍に入り、日清戦争に従軍の後、日露戦争に向けてシベリアで諜報活動を行った。(余談だが彼の子息は後に柴五郎の伝記をまとめることになる。)


 彼の手記は4冊にわかれて出版されている。シベリアへ行くくだりは、二冊目の<嚝野の花>に描かれている。
彼は明治32年の8月25日にウラジオストックに着いた。日本郵船の社長、陸軍参謀本部次長らと一緒の旅であった。軍民一緒の行動である。

 石光はそのままウラジオにとどまり活動を開始するが、当時ウラジオにいた日本人の記述が出てくる。

「当時ウラジオストックには新聞社の特派員として、日本新聞の井上亀六、時事新報の管某、大阪毎日の松島宗衛、国民新聞の上野靺羯(岩太郎)、朝日新聞の阿部野利恭がいて船便で記事を送っていた」
(石光真清、嚝野の花、中公文庫、1978年11月)

 明治も32年、既に海外特派員が主要な都市に展開していたとはいえ、ウラジオにこれだけ各社の特派員がそろっていたのは驚かれる。

 昨年復刻出版した、東亜時論にも、笹森儀助のシベリア報告が掲載されている。

たかぎ

 
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by kuga-katsunan | 2011-08-14 08:11 | トピックス | Comments(0)

羯南のロンドン行

 弘前の羯南会の舘田会長様から、弘前図書館の館報を送って頂いた。

 舘田さんの書かれた<陸羯南の「ロンドン見学のメモ」>が掲載されている。
郷土文学館に羯南のロンドンに行った際のメモが残っていた、という。

 「キューガーデン」の部分に、「宇都宮案内の事」と書きこみがあった、という部分を読んでアッと思った。

 宇都宮は、舘田さんの書かれているように、当時のロンドン公使館の駐在武官、宇都宮陸軍中佐のことと思う。
 宇都宮は、ロンドンで、日露戦争直前のヨーロッパにあって、対ロシア工作にあたっていた明石大佐を助けていたという。

 宇都宮には、日記が残されている。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2011-06-12 07:36 | トピックス | Comments(1)

弘前城 築城400年

 弘前城は今年築城400年を迎えるという。

 江戸初期の築城ということになる。

ホームページによれば、

<弘前城は、藩祖為信公により計画され、二代藩主信枚公により慶長16年(1611年)に完成しました。

 以来、弘前市は、先人達のたゆまぬ努力により津軽地域の政治・経済・文化の中心都市として発展してまいりましたが、平成23年(2011年)に築城400年の節目の年を迎えました。

 弘前城の築城は、現在の弘前のまちなみ形成の礎であり、築城から400年を迎えることは、歴史的にも、まちづくりの観点からも非常に大きな意義があります。>

http://www.city.hirosaki.aomori.jp/hirosaki400th/index.html

 北の地に作られた城は、明治以降も日本最強の師団の一つ第八師団の駐屯する町の中心となった。

私事で恐縮だが、先年亡くなった伯父は、太平洋開戦の年、弘前の師団と騎兵として着任し、弘前から満洲に出征した。

 以前、羯南会の舘田会長様から、弘前にあった陸軍将校倶楽部に連れて行って頂いたことがある。

http://www.h-kouseigakuin.jp/kyukaikousya/index.html

 この写真にもあるように桜の美しい場所であり、伯父も70年近く前にこの桜を見たかと思うと感慨が深かった。
 伯父はその後、満洲からニューギニアに転戦、そこで地獄を見たのであるが、南の島で、弘前の雪景色、そして美しい満開の桜を思い出したのであろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2011-01-30 19:17 | トピックス | Comments(1)

八幡の藪知らず

 正月に市川の親戚の家で集まりがあるときに、八幡の藪知らずの前を通った。

 八幡の藪知らずの由来は種々ある。

日本武尊の陣屋説
平良将の墓所説
平将門の墓所説
平将門の家臣の墓所説
昔の豪族・貴人の墓所とする説
水戸黄門の故事
葛飾八幡宮の跡地説

 等々

 霊験深い場所、ということはよくわかる。

 羯南にも縁の深いところ、というのは読者の皆さんもご存じのところ。

 司法省法学校の学生時代のエピソ-ドを、加藤拓川が伝えている。

たかぎ
  
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by kuga-katsunan | 2011-01-23 20:49 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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