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カテゴリ:トピックス( 163 )

日華出版社  藤井石童

  今年は、新聞日本に縁の深い画家、中村不折の没後70年にあたる。

 不折の資料を少しづつ見ていくうちに、日華出版社の昭和美術百家選の中の、中村不折を見る機会を得た。

  筆者の藤井石童こと、秀五郎の巻頭が面白いので紹介させていただく。

「余が四十余年前、故福本日南の紹介により新聞「日本」の客員として海外事情を同紙に発表したことがある。

  其前後に画人不折の挿絵を同紙に見て初めて彼を知った。
 
  それより十余年を経て支那大陸生活に別を告げ、東都に筆陣を張り、各種述作の刊行に入り、親しく不折其人に接し、晩年美術評論紙を経営する様になり、益々認識を深めて来た。」

(藤井石童「中村不折」日華出版社、昭和16年10月)

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2013-06-23 07:44 | トピックス | Comments(0)

追悼 住田良能氏

 産経新聞社長を勤めた住田さんがなくなられた。
青木先生と司馬さんからの宿題である、陸羯南研究を始めるにあたり相談に行ったことがある。

その際、産経新聞に入社が決まった時に、陸羯南全集を買って、今もリビングの本棚の目につくところに置いて、羯南を意識しているとおっしゃった

 羯南のご子孫の方が、産経新聞の愛読者だと申し上げると、大変喜ばれた。これは、たぶん、青木先生と司馬さんも聞かれれば、同じだろうなと思った。

 新聞経営の激務の中での消耗が大きかったのではないかと思える。

これは、時代は違うが、明治期に、苦闘した羯南を想起させる。

 研究会が、2009年、青木先生の七回忌の時につくった「陸羯南と新聞日本の人々」に書いて頂いた文章を追悼の意を込めて、再録させて頂く。

「陸羯南研究発行に寄せて

             産経新聞社代表取締役社長        住田 良能


 小社だけでなく戦後のメディア界に大きな足跡を残された青木彰氏(青木塾のみなさん同様、以後は先生の呼称を使わせていただきます)がお亡くなりになられてからはや、六年の歳月が流れました。

 その先生の七回忌にあたり、筑波大学で先生の教えを受けた青木塾有志のみなさんが、陸羯南に関する研究をまとめられたことに新聞人の一人として感謝申し上げます。


 みなさんの陸羯南研究は、これまた小社の大先輩である司馬遼太郎氏から青木氏に託されたものの、先生が病に倒れて未完に終わり、高木宏治さんたちがその遺志をついだのが始まりと聞いております。

 研究会のメンバーが、週末の休みを利用して手弁当で羯南ゆかりの弘前をはじめ、資料発掘やゆかりの人々に会うために全国を飛び回ってお二人の遺志をさながら駅伝のタスキのごとくつなぎ、息の長い活動を続けられていることに深い敬意を表します。

 その成果は、新聞「日本」の付録である「日本画報」や「明治中期分県地図」を発掘したばかりでなく、復刻版発行にこぎつけるまでに結実しています。

  小紙をはじめ日本経済新聞、東奥日報などでも大きく取り上げましたが、研究会の活躍ぶりに泉下のお二人も目を細めておられることでしょう。
 
  さて、新聞をはじめとする現代のメディア界はかつてない激動期を迎えています。

  明治政府の専横と闘い続け、政府や政党はもとより、行き過ぎた商業主義からも距離をとろうと「独立新聞」の必要性を強く主張した羯南の今日性はいささかも古びていません。

  羯南の事績や新聞「日本」についてのみなさんの研究成果は、今日のメディア界を照射する鏡となると確信しております。

  末筆ながら研究会のますますの発展をお祈りいたします。」
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by kuga-katsunan | 2013-06-12 21:32 | トピックス | Comments(0)

羯南の年賀状との対面 

 先日、<切手と文学>というブログに羯南の年賀状を掲載されていらっしゃる方のことを書いたが、ご本人の御好意でお会いして実物を拝見する機会をいただいた。

  http://ikezawa.at.webry.info/201002/article_1.html

 実物はやはり重みがあり、時代が感じられ、久しぶりの羯南の新資料に感慨が深かった。

 興味深かったのは、宛名のところにある、墨のしみ、とのこと。
ひょっとすると、羯南の指紋かもしれません、というお話にウーンとうなってしまった。
編集を担当させて頂いた<東亜同文会報告>に羯南の講演録を見つけた時、思わず羯南の肉声を聞いたかのような錯覚に陥ったが、この指紋には、羯南の指に触れたかのような感触を感じてしまった。

 このお話は、雑誌<郵趣>の2012年3月号の著名人の手紙という連載にも取り上げられているということでご興味のある方は是非ご覧ください。小学生のころの愛読雑誌に久しぶりに対面しました。

 羯南の年賀状については、羯南全集の10巻の補遺に、宇野祐三宛ての年賀状が掲載されている。

  新年之御吉慶千里同風目出度申納候・・・・・・

 この年賀状は明治三十三年元旦となっており、前出の稲垣満次郎あては明治三十年。
宇野は、この年賀状を論文<伊東重と陸羯南>で取り上げられた、弘前の川村欽吾先生の著実によれば

  「現在の黒石市上十川の旧家宇野家の当主の先代で、

  旧派の和歌をよくし多くの明治歌人たちと交流があった」
(川村欽吾「伊東重と陸羯南」東奥義塾研究紀要6号 1972年)

他の書簡もそうだが、この年賀状も含めて整理することによって羯南のソシオメトリーを作成できないだろうか

たかぎ
 
  
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by kuga-katsunan | 2013-02-17 08:08 | トピックス | Comments(0)

本多庸一先生召天100周年記念資料展

もう一つ展覧会ものの紹介。

 本多庸一といえば、羯南と同時代人の弘前出身の教育者、今の青山学院の生みの親の一人である。

 その本多の没後百年を記念してその生涯をたどる展覧会が開かれている。

 http://www.aoyamagakuin.jp/news/2012/013.html

 「本多庸一(ほんだ よういつ 1848~1912)は、青山学院の日本人初の院長(1890~1907在任)であ  り、明治期キリスト教界の中心人物としてキリスト教宣教と、そのための世界的視野・国際的関心の喚起に 奮闘の生涯を送った人物です。

  本多先生が天に召されて今年で100周年を迎えたことを記念し、青山学院では、本多庸一先生召天100  周年記念行事を種々計画しております。その一つとして、ただいま「本多庸一先生召天100周年記念資料  展示」を開催しています。

  聖書の一節を記した直筆の書や絶筆書簡(複製)、貴重な写真類だけでなく、肖像画や書籍など本多先生  にゆかりの品々が豊富に展示されています。」
<青山学院のHPより>

  
開催場所は、青山学院の間島記念館(青山キャンパス内)2階の展示室、期日は11月30日(金)まで
(7月末までは、毎週 月・火・水(休日・祝日を除く)に開館。 8月以降の公開日程については後日お知らせ。
時間10:00~16:00。
問い合わせ先:青山学院資料センター TEL:03-3409-6742

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-07-04 23:03 | トピックス | Comments(0)

盛岡 原敬記念館

  盛岡の駅からほど遠くない場所に原敬の記念館がある。

 原敬は言わずと知れた首相経験者であり、東京駅の駅頭で暗殺されたことは、痛ましい最期として記憶に残っている。

 その原が若き日に、司法省法学校で、羯南とともに学生時代を送っていたことは、羯南側の伝記などには詳しい が、原側の記述には乏しいものが多かった。

 その原の記念館で今、<原敬と司法省学校時代>の企画展が開かれている。

 学友として、羯南と加藤拓川が紹介されており、羯南の原に対する手紙も展示されている。

 親戚でもある赤石定蔵のメルボルン領事館での処遇に関する手紙であるが、この書簡は全集にも収録されておらず、以前、東奥日報の記事でも取り上げられたが、羯南の同郷人に対する心遣いを感じさせる書簡となっている。

 http://www.mfca.jp/jigyou/12_0608-0930harakei.htm

 この企画展は9月30日まで

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-07-03 21:10 | トピックス | Comments(0)

桐生悠々と池辺三山

 桐生悠々といえば、信濃毎日新聞の主筆として新聞史に名前を残している。
 大正期のシーメンス事件、昭和初期の社説「関東防空大演習を嗤ふ」の二回にわたって、その座を追われた。
 自らの節に殉じる新聞人であったが、若き日々には、下野新聞、大阪毎日新聞、そして大阪朝日新聞と、あちこちの新聞社で腕を磨いた。
 彼は、二度目の主筆辞任の後に、個人雑誌「他山の石」を発行し、そこに、自らの半生を振り返る随筆「思い出るまま」を執筆した。

 金沢出身の桐生は、大阪の土地になじめず何とか東京で就職口がないものかと、郷里の先輩の帝大法学部の戸水寛人教授の紹介で、朝日の池辺三山を訪ねた。

  たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-06-10 06:40 | トピックス | Comments(3)

津軽学

 津軽を深く掘り下げる雑誌「津軽学」をきくちさんから頂いた。

http://jomonjin.exblog.jp/17786593/

 羯南研究会のことをとりあげて頂いていた。

 題名は「それゆけ、羯南探偵団」である。

 家内からは、おじさん探偵団とからかわれている。

 半藤さんの歴史探偵ではないが、明治以降の資料は更に出てくる可能性がある。

 これまで復刻した

 日本画報

 新聞日本 分県地図

 東亜時論

 東亜同文会報告

 いずれも、原典をよく読めば、その存在はわかるが、いずれもその全貌を知ることは難しかった資料である。

 司馬遼太郎賞の受賞者である長谷川毅カリフォルニア大学教授は、その授賞式で

「歴史は誰かが光をあてなければ暗闇の中で静かに眠っている。」

 とスピーチした。

これからも、すこしづつ光をあてる努力をしていきたいと思う。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-05-20 22:47 | トピックス | Comments(0)

同時代人 野村胡堂

 生前、父が入院していた病院の近くに、野村胡堂が住んでいた家があった。

 車椅子で父と散歩しているときによく前を通ったが、はるか前の作家の家が戦災を逃れて眼前にあるのが不思議な感じであった。

 回想集である「胡堂百話」の中に<俳人子規の死>と題する一文がある。

「正岡子規の死んだ時は本当に泣きたい気持ちで、駆け付けたものである。(中略)根岸庵に駆けつけると、世話人の手が少なかったのか、私のような学生までが、受付係りを仰せつかった。」

 子規の葬式は羯南が仕切ったというから、学生時代の胡堂は羯南の指図で受付に立ったのだろう。

「柩を埋めて、その上に置いた銅版に「子規居士」と鋳抜いた素朴な墓碑銘が、今もありありと眼の底に浮かぶ。」

 この墓碑銘も羯南の筆になる。

 胡堂は岩手時代、石川啄木と同人誌を作ったりしていたが、上京して一高に入学、子規の葬儀はその在学中のこと。

 東大を中退して報知新聞の記者になり、銭形平次を生み出したのは昭和6年のころである。

 新聞記者時代、時事川柳の連載を始めたが、それが新聞日本の影響だったのかどうか今や知る術もない。

 たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-05-20 22:31 | トピックス | Comments(0)

弘前:羯南詩碑

 弘前の市外の「鷲(わし)ノ巣」(弘前市狼森)という小高い山の頂に、羯南の漢詩を刻んだ詩碑がある。

 名山出名士

 此語久相伝

 試問巌城下

 誰人天下賢

 この名山は、岩木山のこと。
詩を碑にしたのは、弘前の医師の鳴海康仲氏(1897~1977)である。
1953年9月2日、羯南の命日に碑を建立した。

 羯南の詩を刻んだ銅板を、小中高校計約380校に寄贈したという。

 今、この場所から地元の小学生たちが自分たちの夢を叫んでいるという

 こうした経験は子供たちの心に刻まれる。

 羯南の生家跡地に記念館建設を実現できないだろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-05-19 11:23 | トピックス | Comments(0)

昭和史を陰で動かした男

 犬骨坊のことを書いたら、

<昭和史を陰で動かした男>松本健一

という本が出ていることに気が付いた。
そういえば、以前、菜の花忌で松本先生が五百木のことを話されていたことを思い出した。

 副題は、忘れられたアジテーター・五百木瓢亭、となっている。
内容を読むとアジテーターという言い方は少し違うのではと思う。

 五百木は自ら実践の人であり、その信条に殉じた生き方だったと思う。

 あちこちに羯南とからむ話が出てくる。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-04-23 05:41 | トピックス | Comments(0)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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