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カテゴリ:研究( 96 )

安部井磐根への手紙

 羯南の書簡を少しづつ掘り起こしているが、数が多いのは国会図書館の拳政資料室にある安部井磐根あての書簡。

 明治26年から明治39年まで、年代不詳のものも合わせて26通が所蔵されている。

 国会図書館のページによれば、1999年9月に個人から寄贈とされている。

 全集の書簡の部には、明治25年の安部井から羯南あての書簡が2通収録されている。

 安部井は、国会図書館の紹介文によれば

「 天保3(1832).3.17福島生まれ。

 旧二本松藩士。戊辰戦争後、二本松藩の旧領回復に奔走。
若松県監査、若松県参事を経て1878年、初代福島県会議長。
1879年初代安達郡長、県令三島通庸の施政に反対し、1882年辞任。
1886年から改めて県会議長に3度選ばれた後、1890年衆議院議員(第1回総選挙当選)、
1893年衆議院副議長。
1900年〜02年国民同盟会参加。
1916.11.9死去。」

 とある、

 時代的には衆議院議員として活躍している時期から、晩年に近いものまで長きにわたる。

同じく国会図書館の資料紹介によれば

「安部井宛の書簡には、「対外硬」の同志である神鞭知常、陸実(羯南)、寺師宗徳等の発信のものが多い。
書類には、郡長・県政時代のものや、国政時代の条約改正および大日本協会等の「対外硬」組織関係資料などがある。
日記は1882年から1916年までのものがある。
来客名・書簡の往来・会合日程等が淡々と記されたものだが、代議士時代の記述からは、活発な人的交流の様相がうかがわれる。
さらに国文学に造詣があり、歌人としても秀でていた安部井にふさわしく、自作の歌・漢詩も相当数ある。」

 日記もあるとのことだが、これには羯南も出てくるであろうか

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2012-04-29 05:10 | 研究 | Comments(0)

新聞記者としての経歴  池辺吉太郎

 三山池辺吉太郎は、いうまでもなく羯南の親友の一人だが、羯南の没後、回想を雑誌<文章世界>に寄せている。
 文章世界の編集者と縁があったのか、明治41年5月の号にも聞き語りのような形で自らの半生を振り返っている。
 
 柴四朗の、雑誌<経世評論>に誘われた経緯も書かれている。

 もともと熊本出身の三山だが、地元の漢学者・古照軒国友昌の塾に入った。国友重章の父君だが、重明との縁もここから発している。

 経世評論へは、重明の口ききと書かれている。

 柴は大阪毎日の主筆として大阪に行ったが、<佳人之奇遇>の大ベストセラーで味をしめた博文堂の社主原田氏は、柴をたよりに大阪支店を設立。兼業として雑誌<経世評論>を出させて更にひと儲け、の算段だったようだ。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2011-10-16 19:54 | 研究 | Comments(0)

成田与作のこと

  東亜時論の復刻にあたって、東亜同文会のことを調べていると、そこここに成田与作のことが出てくる。この人物について、なにかてがかりがないかと探している。

  弘前の陸羯南会の舘田会長から、「青森県人名事典」(東奥日報社、昭和44年4月刊)の記載をお教え頂いた。


 「成田与作(ーよさく)明治4~明治43(1871~1910)

 弘前市鷹匠町出身。東奥義塾を卒業して上京、明治法律学校(のちの明治大学)に学ぶ。
先輩陸羯南に愛され、近衛篤麿らによる東亜同文会の創立に関与、のちその事務局長となる。
明治33年近衛公の中国旅行のさい随行するなど、その信任を得ること多かった。
38年外務省嘱託を兼ね「東亜関係特殊条約集」の編纂に従った。

この間、地方後輩のため東京に寄宿舎「修養社」の設立に尽力した。

43年9月三浦半島に遊び水泳中水死し、先輩知己ら痛惜された。」

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-08-28 06:48 | 研究 | Comments(0)

特別寄稿 松永彦右衛門伝

 長清会のメンバーの一人、松永彦右衛門のご子孫のうちださんから、その生涯についての御寄稿を頂いたので、ご紹介させて頂きます。


「千葉県佐倉市立美術館では、先月末から

「佐倉 房総ゆかりの作家たち―新収蔵作品を中心として」
 
と題した展示が行われている。

その中に浅井忠が描いた「松永彦右衛門父母像」がある。


松永彦右衛門は浅井と共に羯南の催していた囲碁の会、長清会のメンバーでもある。


松永彦右衛門は、本名は久邦、号は聴剣で、慶應3年9月10日但馬国(兵庫県)城崎郡豊岡生まれである。

彦右衛門は通称で代々名乗っており、久邦の父も彦右衛門を名乗っている。


松永家については、記録に「松永家其先弾正久秀公ニ出ヅ」とあり、松永久秀の流れであると書かれているが真偽は不明。

丹後國田邉にて京極氏に仕え、京極氏転封と共に豊岡に移り、その後帰農した。


しかし、家業の醤油醸造で財をなし、藩に軍資を献上することにより苗字帯刀を許され、再び松永を名乗ることとなったようである。

さらに、松永は豊岡特産の柳行李に出資をし、その販路拡大に務めた。

豊岡市史にも出資者の一人として松永彦右衛門の名前がある。

豊岡には鳥居や灯籠を建てるなどしており、地元では裕福な家であったようだ。」

うちだ
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by kuga-katsunan | 2010-05-05 00:14 | 研究 | Comments(0)

聴剣松永彦右衛門 著<樺太及勘察加>

 来週27日から、佐倉市立美術館で始まる新発見の

  浅井忠の絵画展

    <松永彦右衛門父母像>

http://www.city.sakura.lg.jp/museum/

でも改めて紹介される、羯南の囲碁の会・長清会のメンバーの一人、豊岡出身の松永彦右衛門。

 彼の号は聴剣。

 著作として

    <樺太及勘察加>

が残されている。

 明治38年11月、日露戦争後の出版である。 

 国会図書館の近代デジタルライブラリーで読むことができる。

http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php

 目次を採録してみよう。


前編 樺太
第一章 概要
第二章 樺太なる名称
第三章 前世紀の樺太
第四章 樺太土人と大陸との交通
第五章 樺太に対する幕府時代の経営
第六章 海防論者の樺太観
第七章 樺太の探険家
第八章 魯国の東方経営に於ける樺太
第九章 国境談判委員の派遣
第十章 千島樺太の交換
第十一章 樺太の回復
第十二章 樺太の地勢(港湾、山脈、平地、河、湖、島)
第十三章 樺太の気象(風位、潮流、温度、結氷、気歴)
第十四章 樺太の人種(日本人、自由民、流刑人、異種人)
第十五章 樺太の市邑(都市、村落)
第十六章 樺太の産業
第十七章 樺太観風集
後編 勘察加
第一章 概要
第二章 東海岸
第三章 西海岸
第四章 黒竜会員鈴木重治探見記事
第五章 国際的漁業に関する意見
第六章 カマンドルスキー島
第七章 オコツク海沿岸
第八章 勘察加オコツク補遺(上)
第九章 勘察加オコツク補遺(下)


たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-04-25 07:08 | 研究 | Comments(0)

活世界  鈴木天眼のこと

  羯南全集の第九巻の終わりには、羯南が<日本人>他の雑誌に発表した文章や、種々の本の序跋の文章が収められている。

  東奥日報の記事の次に、


 <活世界>

という雑誌の記事が掲載されている。

 解説には

<『活世界』は北村三郎(川崎紫山)・佃信夫(斗南)・鈴木力(天眼)らが発刊した、国家主義的傾向に立つ雑誌である。>

 とある。

 天眼鈴木力は

<1867‐1926
明治-大正時代のジャーナリスト。
慶応3年7月8日生まれ。明治26年秋山定輔(ていすけ)創刊の「二六新報」の主筆となる。
35年長崎で「東洋日の出新聞」を創刊し、社長。
41年衆議院議員。
孫文の辛亥(しんがい)革命を支持した。
大正15年12月10日死去。60歳。
陸奥(むつ)二本松(福島県)出身。
本名は力(ちから)。
別号に独尊子。
著作に「小日本歟(か)大日本歟」など。>

(講談社 日本人名大辞典)

 この雑誌は明治23年12月の発刊。

羯南は、<人物論>と題する文章を寄せている。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-04-18 20:32 | 研究 | Comments(0)

学海日録から

 千葉の佐倉は、旧幕時代は佐倉藩であり、羯南の親友の一人、当時の洋画家の権威の一人、浅井忠の故郷でもある。

 佐倉学に造詣の深い方から、やはり佐倉出身の依田学海の日記が同時代人の記録として有用ではと勧められた。

 依田は

「生年:天保4.11.24(1834.1.3)
 没年:明治42.12.27(1909)
 幕末明治期の漢学・文学者。
 名朝宗,字百川,通称幸造,信造,七郎,右衛門二郎。
 学海と号し,明治後は百川を名とし,向島の別宅を柳蔭精廬と称した。
 江戸生まれの佐倉(千葉県)藩士。
 藤森弘庵に儒ならびに詩文を授かり,経世の意識も高まる。
 安政~慶応期は藩の中小姓,仮目付,郡代官,留守居役を歴任,大政奉還後は譜代藩として徳川慶喜の 助命嘆願,あるいは藩主の恭順を政府に伝えるために関西,江戸間を奔走。
 維新後は藩公議人,権大参事。
 明治5(1872)年,東京会議所書記。同8年,太政官修史局(のち修史館)の編修に任ぜられるも重野成 斎(安繹)派による川田甕江派排斥のため,同14年文部省音楽取調掛兼編輯局少書記官に転任。
 同18年非職,以後文筆で糊口した。
 魏叔子を奉ずる躍動感に溢れた漢文家として多くの序跋碑文記伝を残し,勘弥,団十郎らの演劇改良 を後援し,森鴎外,幸田露伴ら若手と小説合評をするなど活動は広い。
 時流に乗らず逆らわず,しかし鋭敏に時代の推移を見届けた46年間にわたる日記は文化記録として 突出した精彩を放つ。
 著書は『談叢』『譚海』『話園』『学海記縦』『学海画夢』『墨水二十四景記』『吉野拾遺名歌  誉』『侠美人』その他多数。
 <参考文献>学海日録研究会編『学海日録』全12巻,『墨水別墅雑録』
                                      (宮崎修多)
                 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版」

と多彩な人物。

 佐倉の方によれば、佐倉藩の江戸、東京事務所的な存在であった、とのこと。

 早速、学海日録を読んでみた。

 羯南が出てくるのは、明治31年12月29日の部分。

「くもる。
 三輪信次郎の招に応じて猿楽町の宅に至り、紅葉をみる。
 庭園いと広く楓樹多し。
 はやうつろへるもあり、又染出せるもあり。
 客は十五、六人あまりあり。
 日本新聞の陸実、三宅雄次郎、国府、桂の二子もありき。
 田口鼎軒、須藤時一郎なども会せり。」

 (学海日録、岩波書店、1991年7月)

たかぎ 
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by kuga-katsunan | 2010-03-28 06:24 | 研究 | Comments(2)

寒川鼠骨の<陸翁の長清会> 2

寒川鼠骨の<陸翁の長清会>に登場してくるのは、

  浅井忠、三浦梧楼、陸実、三輪信太郎、磯野徳三郎、平坂閎

  松永彦右衛門、桂五十郎、池辺吉太郎、三宅雄二郎、国分高胤

という絵巻物のメンバーのほかに

  犬養毅
  山田喜之助
  濱村蔵六
  平坂恭介
  中村不折
  釈清潭
  稲葉君山
  鈴木豹軒

という人物である。

 平坂恭介は、動物学者で、台北帝国大学教授(1887~1965)、前に出てきた 平坂閎
とは親子であろうか

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2010-01-27 23:50 | 研究 | Comments(2)

井上劍花坊(7)

 引き続き、坂本幸四郎著「井上劍花坊・鶴彬-川柳革新の旗手たち」から引用を進める。

 最後に、劍花坊の妻、信子のことに触れる。

 最初の妻トメが長男・麟児(1893年)、次男・鳳吉(1895年)、三男・亀三(1898年)を出産した後、産後が悪く、明治31(1898)年他界する。

 劍花坊は、明治32(1899)年、遠縁にあたる岡信子を懇望し結婚。信子は2度と郷里に戻らなかったという。当時、信子は山口日赤の看護婦をしていて、劍花坊より一つ年上であった。信子も20歳のころ一度結婚していたが離婚。日露戦争にも従軍し、勲八等宝冠章を貰っている。

 信子は姑と3人の子供がいる後妻なでの結婚をしぶったが、それでも結婚したのは劍花坊の魅力にひかれたからではないかと著者は推測する。劍花坊と信子の間には、長女・竜子(1901年)、次女・鶴子1907年)の二人の娘が生まれた(pp.47-50)。


「「井上劍花坊追悼号」の『川柳人』誌に、全国から多くの人の追悼句が載せられているその中に

一人去り二人去り仏と二人  信子

とあり、夫を失った妻、喪式が終わって日がたった一人になった気持ちをうたって佳句。」とある(p.158)。

「妻信子に支えられての劍花坊であって・・・先妻の男の子を立派に成人させ・・・・主婦として『川柳人』主催者として生き伸びた。劍花坊の意志を継ぎ、鶴彬をかばいとおし、彼の作品を載せつづけた。その結果、鶴彬が1937年、治安維持法で検挙され、『川柳人』は281号で廃刊・・・戦後の信子と『川柳人』復刊については拙著『新興川柳運動の光芒』によられたい。・・・

 劍花坊の最大最愛の弟子が妻信子であったことを彼は知らずに死んだ。・・・・太平洋戦争勃発の前夜

国境を知らぬ草のみこぼれ合い

の人類の平和を望む名句を生む・・・(1940年1月『巻雲』誌に発表)

 1948年、信子は『川柳人』を復刊し主宰・・・このとき80歳(数え年)・・・1958年4月16日死去。享年89歳であった。

『川柳人』は1989年現在も発行されており、主催者は愛娘、大石鶴子氏である。」(pp。159-160)という。

しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2009-09-27 23:21 | 研究 | Comments(0)

羯南とエジプト 2

 エジプトを訪れたことのある人は、よく分かると思いますが、五千年前に建てられたギザの大ピラミッドやルクソールの遺跡群を残したファラオの時代と比べ、三十年も前のボロボロの車が真っ黒な排気ガスを吐き出し、荷車を引っ張るロバや馬が幹線道路を走る現在のカイロの街とのギャップには驚かされます。

 地震もないのに、突然ビルが崩れたり、エレベーターが途中で止まったり、ひどいときには落下したなんてニュースも流れます。

 第二次大戦後のナセル革命で王制が打倒され、ナセルは近代化に着手しますが、次のサダトのとき、エジプト政府は自動車産業をはじめとする基幹産業に外国資本の参加を認めます。

 当時、隣国イスラエルとの間に緊張が絶えず、世界が東西冷戦下にもあり、手っ取り早く社会資本の充実を急いだのでしょうが、結果的に、現在のエジプトには国産車を作る能力も育たず、軍事物資から生活必需品に至るまで外国製品に依存する社会となってしまいました。エジプト綿で有名な繊維産業も「上流はいいが、下流はひどい。

 つまり、綿そのものは素晴らしいが、エジプト人に加工させると、仕上がりがひどくなるので、良質の綿はほとんどが輸出に回されています。
 
 エジプト人に「ピラミッドを造ったのは、君たちの祖先ではない。宇宙人か、さもなくば、七世紀のイスラム化でアラブ遊牧民が入ってきて、偉大な文明の子孫は駆逐されたのだ」と話すと、悲しいかな、「そうかもしれない」と受け入れる人が結構います。

  現在のエジプト社会に対する、一種のあきらめのようなものかもしれません。

はまぐち
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by kuga-katsunan | 2009-09-18 23:45 | 研究 | Comments(1)




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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