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<羯南と古島一雄>(13) 新聞「日本」の人々-雑誌「大日」から(その1)

 先日、高木主筆から雑誌「大日」(昭和7(1932)年1月号)に掲載された古島一雄の「『日本』時代を語る」という文章をいただいた。

 ここでは、新聞「日本」の発行の経緯からその特色、内容等の概要がまとめられており、とりわけそこにかかわった人々が詳しく紹介されている。しかし、それは、古島が昭和26(1951)年に出版した著書『一老政治家の回想』の「二 新聞『日本』の思いで」等の中で登場する新聞「日本」の人々と多少、異なる。

 そこで本稿では、雑誌「大日」での記事「『日本』時代を語る」(以下、「大日」とする) と『一老政治家の回想』の「二 新聞『日本』の思いで」等(以下、「回想」とする)とを比較して紹介しよう。(なお、2007年5月の当ブログでの高木主筆による「古島一雄の<新聞日本の人々>」を大いに参考にさせていただいている。)

 まず、「大日」では、新聞「日本」の発刊の経緯について、杉浦重剛が中心となり、以下の人々がかかわったとしている。

高橋健三、小村寿太郎、長谷川芳之助、福富孝季、磯野徳三郎、千頭清臣、中村弥六、三宅雄二郎(雪嶺)、志賀重昴、宮崎道正、今外三郎、谷干城、鳥尾小弥太、三浦梧楼

 また、そこに合流した団体として、次の名前が挙げられている。

 紫溟会(佐々友房が長:熊本)、玄洋社(福岡)、盈進社(加賀)、広島人の一部(浅野長勲が長)、土佐人の一部

 そして、以上の人々と団体が、日本倶楽部というものを組織して、議論の結果、ニュースなしの議論ばかりの新聞を出そうということになり、「日本」が生まれた、とする。

 そこには、「回想」で登場する“連判状”は出てこないし、連判状の仲間として挙げられている人々のなかで、以下が出ていない。

 巌谷立太郎、平賀義美、谷田部梅吉、谷口直貞、中谷源六、河上謹一、伊藤新六郎、西村貞、国府寺新作、手島精一、高橋茂

 一方、「回想」には、次の個人と団体は、明確に新聞「日本」の発行の関係者として書かれていない。

 中村弥六、三宅雄二郎(雪嶺)、志賀重昴、今外三郎、鳥尾小弥太、紫溟会、玄洋社、盈進社、広島人の一部、土佐人の一部

 ただ「回想」では、中村弥六は、大隈の条約改正に反対する人物として、新聞「日本」が反対派の集会所のようになった時に現れるだけであり、三宅雪嶺と志賀重昴は、雑誌「日本人」の仲間として紹介されているのに過ぎない。(三宅は、もちろん新聞「日本」の論説を書いた張本人であるが、明確に、発行にかかわったとは書かれていない。)      

 また、紫溟会、玄洋社、盈進社、広島人の一部、土佐人の一部について、それらに該当する記述は推測できるが、明確な役割が書かれていない。さらに日本倶楽部との関係もわかりにくい。

 「回想」では、連判状の人々と、出資者・後援者(谷干城、三浦梧楼、浅野長勲、近衛篤麿)、相談役(杉浦重剛、千頭清臣、古庄嘉門、高橋健三、宮崎道正)との違い、また、彼らと新聞「日本」の社員との違いが、明確でないところがある。

 しかし、雑誌「大日」の方が、『一老政治家の回想』よりも新聞「日本」が発行されていた時代に近く、古島の記憶もまだ正確だったのではないかとも思われる。(つづく)

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2009-03-29 15:13 | その他 | Comments(0)
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