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井上劍花坊(5)

 井上劍花坊追悼号「川柳人」(1934年11月号、No264、pp6-8)に、羯南最後の弟子で後に読売新聞の編集長になる千葉龜雄の「呵々大笑いする井上さん」がある。そこから抜書きする。

 「私の良く知っている井上さんは、劍花坊としての川柳寺の住職よりも、井上秋劍としての新聞人であった。詳しく云えば私が氏を知ったのは、私が二十八九歳の一青年として、その頃、神田の雉子町にあった、日本新聞社の下っ葉記者として入社した頃からである。

記者になる前、その社の一室に、私は三宅雪嶺先生主宰の『日本人』の一記者として、八木徳二郎氏と一緒に雑誌を編集していたものだ。

新聞や雑誌を拝借に、折り折り新聞の編集局に時々入っていくと、古島一雄、安藤正純、河東碧梧桐、井上藳村、長谷川如是閑氏達がそれぞれ忙しげに働き、もしくは編集室と印刷場の間を、往復していた。

その中で、男性特異な声調子で、高調子に話している二人の人が目についた、いや耳についた。その一人は古島さんであった。・・・もう一人・・・井上秋劍氏であったのだ。

 間もなく私は、日本新聞の社会部に入った。河東氏が旅に出て、私が代わりに、部長のような役割になったのだが、何とこの社会部は、部長一人と社会部記者一人という把端な小さな世帯だ。

それも無理はない。当時の日本新聞社は、社会部などは有っても無くとも、社説と、国粋主義と、日本派の佛句と雄健華麗ともいうべき、文章典型的な文章で、新聞界に雄視していた。

で、どの記者も、国士型の気骨と、雄渾な文章の持主であった。日本新聞の名物記事の一つ中に、相撲があった。

何しろ、あの頃は、国技としての相撲の黄金時代、その競技を書くのも書き映えせぬ訳がない。始めは古島古一念(一雄)氏の執筆で、新聞界独特の素晴らしい文章として鳴渡っていた。

漢文の要素七分、ひどく勇ましいもので、文字通り、血湧き、肉おどる肉弾戦の快観が、活字の面に踊っていた。・・・・・

この名物欄を引き受けたのが秋劍氏であった。これがまた初代に劣らない大した名文で、その上毎日毎日、あの五六段に亘る記事をすらすら書いてゆく快筆にも敬服した。

書いていながら、得意な文句や表現を見つけ出すと、例の呵々大笑って奴で、あたり構わず、吹聴する。と、云った訳。・・・・・」

                            しぶさわ
by kuga-katsunan | 2009-03-15 21:44
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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