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井上劍花坊(3)

 引き続き、坂本幸四郎「井上劍花坊・鶴彬-川柳革新の旗手たち」(1990)を中心に引用を進める。

 井上劍花坊は、1934年9月11日64歳で逝去しているが、その追悼号「川柳人」(1934年11月号、No264、pp3-4)に長谷川如是閑*が「『秋劍』を想う」と題して、日本新聞社時代**のことを記している。

 * 1875-1969年、大ジャーナリストで民主主義思想の指導者
 **日本新聞社入社までは井上は「秋劍」の名前しか使っていない。

 井上君と私とは三十年余年前に、同じ「日本」新聞の編集室に机をならべた同僚だったが、その頃は、われわれは君を秋劍と呼んでいた。あの響き渡るような音声と、華かな談話ぶりとは編集局の名物だった。

 のみならず君の風采も一種特徴があった。そうとう柄のある体骼で、両の肩をいかめしく張って、片方の手でいわゆる片褄をとって、足をバタバタ床を叩くように歩いた。

 ものを書くときには、右の手で拳固を作って、着物の肩を突きあげて、江戸っ児のいわゆるヤツを作っていた。風采、態度が、侠客伝中の人物のようであった。

君が劍花坊と名乗って川柳をやりだしてから、私は君のことを川柳によんで戯れに君に示したことがあった。それはなんでも

 あの音は秋劍きたると覚えたり

というようなものであった。

 君は漢文ばりの文章が上手だったので、それで相撲の記事を書いて好評を博した。日露戦争が勃発すると、殆どすべての記者が従軍して、留守は古島編集長-今日の貴族院議員、古島一雄氏ーと四・五名きりで、秋劍も私たちと共に留守組だったが、何人かの従軍記者から送ってくる文章を、かたはしから秋劍ばりの漢文調に書き直すので、君は昼も夜も大童になっていた。

その漢文張りの従軍記はおかげで、『日本』の売りものになって、さすがに『日本』の記者たちはみな文章家だと賞賛された。

君は全く縁の下の力持ちだったが、それでも愉快にやっていた。

 君はなかなかの精力家で、人のいやがる当直を一人でひきうけて、朝早くから、夜の二時、三時まで、のべつに働いていた。

『日本』には社会面というものがなかったので、社会部記者というものは一人もいなかったが、何か社会面の事件があるとやはり記事がいるので、そういうときには秋劍が一人で働いた。

その間には、劇評もやれば相撲記事も書き、川柳の選などは当直をしながら、合間合間にやっていたが、さすがにときどき投稿を選り分けながら、コクリコクリ居眠りをしては、またつづけるというようなこともあった。・・・・

 古島編集長は、そのころから犬養の懐刀といわれていたが、頗る機知に富んだ人で、文章も上手で、書の如きも、われわれには犬養氏のそれよりもいいと想われるくらいだった。

秋劍君に川柳を始めることをすすめたのは即ち古島一雄氏だったのである。

古島氏は川柳に早くから興味をもっていて、書物なども多少持っていたが、それを秋劍君に提供して、川柳をやるようにすすめたのが、後の、大劍花坊を産むそもそもの発端だったと覚えている。・・・・

                                      しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2009-03-01 23:01 | 研究 | Comments(0)
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