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卒業の歌  国分操子先生

 年末に<卒業の歌>は、気が早いのだが、明治時代に作詞、作曲された女学館の歌がある。

以下、同校のHPから引用させて頂く。

<卒業の歌
                 国分操子  作詞

                  大山たま  作曲

花はうるはしき 錦を織りて
式場を飾り 鳥は楽しき
楽を奏して 祝意をあらはす
思へばうれしき 卒業式よ
長き年月 恩師益友
我を教へ 我を励まし
人の踏む道 讀み書く業
裁ち縫う術さへ 習ひ得て
今日の筵に 連なる我等
學びの庭を 今日より出でて
浮世の海の 初航海に
のぼらん我等 よしや浪風
荒れん瀬に會うも 年頃日頃
いとねんごろの 師の御教へを
磁石と頼み 正しき道を
進みて行かば 何か恐れん
たつ浪吹く風 あな面白や
あなうれしや 進め友どち


 「東京女学館卒業の歌」は高校三年生の3月、卒業式の直前に初めて教えられる、いわば女学館教育の最後の総仕上げに位置する歌です。
 明治45年に国語の国分操子先生が作詞、音楽の大山たま先生が作曲しました。

 当時、女学館ではこのお二方の先生によって、毎年新しい卒業の歌が作られていたいといいます。
 なかでもこの歌は特に当時の生徒たちに愛唱され、以来今日に至るまで歴代の卒業生に歌い継がれてきました。

  校歌が作られたのが昭和23年ですから、それ以前の卒業生にとって、女学館時代を懐かしむ象徴としての歌はこの曲だったのです。

  同窓会の「白菊会」でも、あるご年齢以上の集まりでは、現在の校歌ではなく、「卒業の歌」が歌われるそうですし、毎年の白菊会総会でも、必ず歌われています。>


  毎年新しい卒業の歌が作られていた、ということがまず驚きである。

更に校歌より先に、この卒業の歌が作られていた、という経緯も新鮮である。

  明治45年にこの作詞をした国分操子先生は、誰あろう、羯南の盟友:国分青厓夫人であった。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2008-12-20 06:59 | トピックス | Comments(0)
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